第18話 敦賀

 昼過ぎに車は敦賀つるがの街に入り、待ち合わせのホテルの駐車場に車を駐めた。

 ホテルのロビーでくつろぐ二人に出合った。水島さんから金子船長が紹介されると間を空けず本郷は自ら名乗り、加藤を助けたお礼とともに両手を前で合わせて深々とお辞儀をした。実に手際の良い絶妙のタイミングに山路はあっけに取られた。水島さんからお聞きの山路ですと直ぐに気を取り直して船長に名乗り上げた。

 越前大野で水島さんから聞かされた救出劇と金子船長の印象は掛け離れていた。浮流物からすかさず減速して漂流者を発見するや救助のヘリコプターを要請せず直ぐに船内に収容した。

 低体温症の遭難者は震災で混乱する沿岸の病院をたらい回しにされた挙げ句手遅れになるかも知れなかった。臨機応変な対応で彼は救われた。

 目の前の金子船長はその一切の救出劇を指揮した人とは思えないほど一見穏やかな好々爺こうこうやに見えた。

「こう見えても一旦ブリッジに立つと此の人は一変しますよ」

 山路の印象を否定するように水島はすかさず補足した。見抜かれた山路は苦笑した。しかしながら山路もあっけに取られた慇懃な挨拶をした本郷には船長の瞳の奥に有る何かを見抜いて居たのかも知れなかった。それを裏付けるように二人の本郷を見る目は一目置いていた。

 それぞれ立場に於ける一連の印象は一瞬の出来事だった。水島はすでにみんなを奥のホテルのティーラウンジへ案内していた。

 案内されたホテルのティーラウンジでは娘の未奈子みなこさんが待機していた。四人はソファーに囲まれた低いテーブル席に着いた。そこで水島が娘の未奈子を紹介した。

 なんせ女性は本郷さん一人だそうですから殺風景ではいかんと思って来てもらったそうだ。さっそく飲み物を聴く傍らでここのコーヒーはマスターのブレンドが絶妙ですからと未奈子は勧めた。更にお話をしながらでも召し上がれるとクッキーとビザ、アップルパイと未奈子はここのお奨め品を注文した。

 普段は家に詰めてるお前が何でそんなに詳しいのだと水島は突っ込んで来た。

「あの人が亡くなってからあっちこち出歩くようになったの」

 それはそうとせっかく本郷さんがいらしたのですから震災当日の様子をと未奈子は先ずは船長から当時の様子を本郷さんにと直接説明を促した。

 船長は出された珈琲に一口つけると話し始めた。

「冷たいと言っても外気に比べれば水温は高めですからそれでも長い時間は無理でしょうね」

 ーーその漂流者ですが、彼は洋服ダンスの中に居て時おり扉から顔を上げていたのを見付けました。もちろん双眼鏡でね。ブリッジには操船する航海士以外は手空きの甲板員も目視で危険な漂流物の監視の為にブリッジに上げました。操船と云っても外洋ではコンパスに進む方位をセットすれば船は自動で進みます。波があると舳先が乗り切るたびに左右に揺れる。その揺れに合わせて直進を保つ為に当て舵をします。これで誤差が少なくなります。航海士にその操船をさせて私は双眼鏡と目視で船に被害が出そうな大きい漂流物の監視に当たっていた。私はかなり大きなタンスのような物を発見して直ぐに双眼鏡で確かめていると扉が開き人の頭が見えた。それで航海士に右舷側の前方に見えるひときわ大きい漂流物に減速して接舷するように命じました。漂流物に人がいるのを確認すると停船を命じました。用意したゴムボートを接近させて彼を引き揚げました。彼は一見元気そうに見えましたが体力は限界に近かった。何より低体温症に掛かっているのを危惧して応急処置をして点滴を打ちました。三陸海岸沿いは震災で何処の病院も無理でしょう。搬送するヘリも救援物資の輸送で手が足りないから船で面倒を診ました。津軽海峡を越えて日本海側に入った頃にはスッカリ回復しましたが記憶が定かでなかったのです。そこで水島さんと相談して彼を預けました。

 説明を始めた金子さんは水島さんが言ったように、好々爺が一変してこれが海の男だと云う印象を受けた。

 これで加藤さんの発見時の様子は解った。その後の加藤さんについては山路さんから以前に聞かされていた。

 みんなは聴きながらもクッキーは食べていたが、ここで未奈子は手付かずのビザとパイを「美味しいわよ」と小皿に分けて勧めた。若い三人はともかく年配の二人も食べ出すと結構いけるらしく自らフォークを使って皿に取りだした。

「お父さんはいつも飲みに行く店は和食ばかりだからたまにはこういう食べ物も良いでしょう」

 水島と船長は顔を見回して頷いていた。

「越前大野の伊皿いざら旅館の調理場にいらっしゃる人が加藤さんなのね」

 未奈子は本郷を見てから山路に聞いて来た。山路は確認するように本郷を見た。

「ええ、間違いありません」

 すると本郷はキッパリ言い切った。そこには何の迷いも無かった。

「確認しますがここで金子船長が救助した人は加藤洋一さんで間違いないのですね」

 加藤さんへの肩入れが強いのは解るが、お父さんの一押しはデリカシーがなさ過ぎると娘は父に目で釘を刺した。それを見る本郷の頬が少し緩んだのを山路は見逃さなかった。

「それを直接近い将来には会って伝えられるのですね」

 未奈子がやんわりと尋ねた。

「もちろんです」

 その為に来たと山路が本郷を補強する。

 金子も話だけではこうして会ってみて本郷さんのお考えはもっともだと、人柄を見て納得した。これは水島も同様らしく金子の話に頷いていた。

 ここでは年配の二人と若い二人の橋渡し役を未奈子は無難にこなしている。彼女がいなければ食卓の賑わいばかりに奪われて、肝心の話は進まず。詰まったパイプのようになっていたかも知れなかった。

「どうですか本郷さん、いつ越前大野に行かれますか? 」

 水島が訊いた。

「それよりあたしあなたの事を加藤さんに話していいですか」

 未奈子の此の申し入れに本郷は唖然とした。

「それより未奈子さん、あなたあの人を知ってるんですか」

 本郷には彼女はまだ未知の人だった。

「三国で会いました。それから時々三国で会ってます。あの人は必死で自分の記憶をたぐり寄せています、でも哀しいかな自分が何者が解らない歯がゆさをあたしは知ってしまいました。その心境を伝えた上で言っている事を理解して下さい」

 本郷は切実な未奈子の眼差しに戸惑った。

「人は自分の存在を知って先の事を考える。でもあの人には過去も未来もないのにどうして今を生きればいいのですか」

 更に問い詰める未奈子に、まず水島が「初対面で性急過ぎる」とたしなめた。

「本郷さんあなたは五年で新しい人生を切り開けたようですけれど、あの人はまだ霧の峠道で彷徨っている。今その存在を知った以上はもっと光明を照らすべきでしょう」

「おい未奈子それは言い過ぎだ。それで此の人は今も努力と苦労されている」

 女同士は手厳しいと水島は娘を再び嗜めた。

「山路さんの話では本郷さんは彼の存在を知ってからひと月半は経つでしょう。五年も消息不明の人が解ればその時点で駆けつけるのが慣わしで普通だが。そこには言い難い事情を差し引かねばならない」 

 と金子船長も水島の言い分に同意した。

「人は生きる以上は新たな人生を求めるのは自然の摂理で何も気まぐれな過去に溺れる必要はない」

 更に船長は加藤と本郷のどちらにも非がないように付け加えた。

 聴きながらも山路の食べる速度は決して落とす事はなかった。特にこのアップルパイは彼の胃袋を唸らせたのは、そこに注ぐ今までに無い珈琲の絶妙のブレンド(二人の組み合わせ)が船長の話のように効いていた。

 ーーこのアップルパイは此の珈琲に出会わなければその存在価値がないように二人も同じ想いだと取って付けたような口実で山路は食べていた。

 その比喩に未奈子は笑って眺めて居た。

「加藤さんについては我々以上に本人が心を痛めている事実がこれで良く解った。あとは二人の努力に任せるが彼にも未奈子から事実を伝えるのが今は適任だと思う」

 水島は手厳しい指摘をした娘にあえて委任した。

 ーー水島は二人には慈しみこそ必要でそれが再会しても二人を隔てる時の壁が一機に崩す訳にはいかない。意思疎通が出来ていつでも乗り越えられる心の壁を構築してから会えば良い。

 金子船長も偏った意思疎通が構築されないのなら良いだろうと言った。

「お父さんはそんな事を一方的に決めないで欲しい。第一に私はあの人とは日が浅いから誤解のない様に説明できるか判らないわよ」

「しかし今日の事はお前が直接加藤さんに説明するのに本郷さんは異議を挟まなかった」

 水島は本郷に確認を取るように見て言った。了解するように彼女は軽く頷く。それを観て未奈子はニタリと微笑んで「あなたが捨てたつもりの三陸の海は今も輝いて捨てたもんじゃないわよ」と本郷に暗示した。

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