第13話 伝説の一条戻橋

 関空から走り出した『はるか』の車内で「どうでした石巻いしのまきは」と佐藤から問われてはっとした。

 ーー彼女は中学生時代から仙台で育ち結婚して石巻に来た。私が生まれた場所じゃないけれどあの人に取ってはふるさとなんですから。でも今の彼はあの街を知らない、ただ地図上の一地点としての認識しか持ち合わせていないのが哀れだ。ここがあなたが生まれてあなたを育ててくれた街だと、どうしても知らせる義務があたしには生じた。でもそれとこれからの伴侶を選ぶのは別の時点だと思えるほど人生は大きく様変わりした。それをあの人にどう伝えるか、納得してもらえるか、それが今の私に課せられた宿命的な課題だった。

「それにはどうしてもあなたにわたしは支えてもらう力を必要としました」 

 それほど五年で見事に復興してゆく町並みに、未だにあの人の記憶は冷たい春の三陸沖を漂っていた。直ぐにあの人は貨物船に救われたけれど魂はまだ三陸沖にある。その心を救い出してあげられるのは私しか居ないけれど、無傷のままで救う手立てを考えると気が重くなった。

「君に罪はないんだ」

 佐藤が美希の心を察するように投げかけられたこの言葉に身を委ねられればどれほど楽になるかでも一時は楽になった。

 日帰りで戻った関空から数日過ぎてから佐藤に心の整理が着いた後はあなたの牽引力が支えだと告げた。

「やはり仙台に行って良かった。あの復興した石巻を見てあの人を早く帰してあげるべきだと思ったの」

 しかしただ彼が石巻に帰ったところで彼が幸せに成れる保障はない。しかし故郷だと知らされた時から記憶がもの凄いスピードで蘇るだろう。そこで彼が新しい人生を考え直す第一歩になればそれに惜しみなく力を注いでやる義務があたしにはある。

「失われた五年の歳月をただ名乗り会って一気に埋めればいいって言うものじゃないのよ」

 ーー事前に何の情報もなければ加藤さんも戸惑ってただ茫然として何を言って良いか分からないでしょう。

「その前にどう云うサプライズにすれば良いか山路さんに会って相談したい」

「その方が良いだろう今の加藤さんを的確に知っているのは山路さんしかいないから」

 と佐藤はこの提案に乗った。

 ーーただ周りから言ってもらっても会いたくない、避けていると誤解されても困る。だからそうじゃないのよあたしは心の準備が出来てもあなたはまだでしょう。今は余計な時間を掛けたくない。だからあの人をよく知る山路さんからあの人の反応を聴きながら話す時を見定めたいと思うの。

 今度は仕事でなく岡田さんのことで本郷美希は山路と会う約束をした。それを今、西陣近くにある佐藤のマンションの一室で二人の来訪を予定して佐藤と本郷は身構えていた。    


 本郷が指定した佐藤のマンションを二人は訪ねる事にした。

 美咲と山路は途中で待ち合わせて落ち合った。佐藤のマンションは西陣の近くに在った。今出川通りから一筋南の一条通りから堀川東通りを下がったところ。前が堀川で堀川通り一条に掛かる例の一条戻橋の近くだが、バス停の堀川今出川からは南へ三百メートルも離れていた。二人はバスを降りて堀川通りを南へ歩いた。

 一条戻り橋の近くに差し掛かった。堀川通りを挟んで向かいには安倍晴明の晴明神社があってなかなかの観光スポットだった。だが美咲は一向に関心を示さない。しょっちゅう来て居るのかと問えばここは初めてらしい。

「晴明神社は訪れる人が多かったが、あの橋も知ってるだろう」

 と指し示してみた。

 晴明神社と比較されても美咲には普通の橋に見えるらしく、どう違うのと云う顔をしていた。

 更に問うと。

「この辺りは余り知らないの」

 よくよく考えると美咲とのデートスポットは動物園や遊園地には良く行ったが神社仏閣はほとんど行って無かった。

 ーー美咲は神社仏閣には興味を示さないから、戻り橋と言われてもドラマにあった場所ねとさらりと受け流した。

 ーーそれでは堪らないと、ドラマにあったのではなくこの場所の為にドラマが作られたのだと言い返した。

 良く当たるここの橋占いで建礼門院の母は、産まれる皇子が未来の天皇(安徳天皇)になると予言する歌を戻橋を渡る童子が唱えていたとも伝えられる。

 だがそれほど彼女は感情に左右されない。それはネアカと言いうか余りくよくよしない。これに山路は今まで気持ちが救われたが今は逆だった。

 でも怒りをぶっつけてもアッサリと躱されるムッとする事もある。がこれはこれでそんな美咲を見ているとその内に怒るのが馬鹿馬鹿しくなる。実にあっけらかんとして逆に爽やかさを呼び込ませる事もあった。

「この橋どこが違うの」

「橋の云われが違うんだ。千年前にこの橋を渡る上で一悶着が在ったんだ」

「それだけの事でしょう、そんな一悶着より新しい事実を岡田さんは一日でも早く知ればその日から新しい人生が生まれるのでしょう」

「お前は全くの第三者で本人たちの苦悩を肌でまだ捉えたことがないからそうアッサリと言い切れるんだろう」

「傷は早く風に当てた方が治りが早いのよ」

「化膿しないと判るまでは手当が必要だよそれをこれから美咲にも観てもらうよ」

「何であたしが観るの」

「美咲は岡田さんの居る旅館の跡取り息子と懇意だったんだろう。訊くところでは真面な人のようだ」

「まあねそれは保障するわよ」

「だからこそ美咲にも一枚噛んでもらおうと思ってね」

「でもわたしはその岡田さんって云う人を知らないから沢井さんの説得に応じてくれるかしら」

「跡取り息子だろう未来の旅館のオーナーだろう」

「その人を追い出せって言うの」

「そうしたくないから色々と策を練っているんだろう」

「そうかそれで今まで苦労してるから水の泡にはしたくないって訳か。でもタクシードライバーなんて因果なものね何処にどんな事件に発展するかも知れない要素の人でも簡単に乗ってくるから」

「宝くじみたいにめったにない巡り合わせだよ。それに知らない情報も一杯入ってくるからね」

「例えば」

「さっきの戻り橋から出征兵士を見送った話を年寄りから『運転手さんは知らんやろうなあ』と訊かされたよ」

 ーー堀川通りを北向きに走っていたら年配のお客さんから『運転手さんは観光案内であの橋の云われは知ってると思うけど、戦時中はあの橋から多くの出征兵士を見送った話は知らんやろみんな派手に見送ってたが、その時に堀川一条のあの橋のたもとが見える所で必ず泣いてた人が居たんや』見送られた男がわしやとは言わんけどなあと意味ありげに笑っていた。

「何であの橋から戦場に行かされる人を見送るの」

「無事に戻って来て欲しいと、たとえ迷信でも縋りたい親心、愛する人を失いたくない女ごころがあの橋のたもとで交差して今もその怨念が渦巻いている人も居るらしい。でも戦死の公報を訊かされて五年後に記憶を無くした人がこの橋へ戻って来てその時に美咲が再婚していれば美咲はその人に元妻だったと名乗れるか」

 この橋を死者の葬列が渡った時に、その子が棺にすがると死者が蘇ったと云う伝説もある橋だった。

「なるほどそう言う事か」

 やっと美咲はため息交じりに納得したようだ。

「他にもたくさんの云われがあるんだ。逆に渡ると縁が切れないようにと嫁ぐ女ごころを切実に伝えてもいるだろう」

 平安京造営時の内裏の北限に架けられた橋で、ここを渡る事で様々な言い伝えが生まれて過去や未来を回避する風習もあった。

 またここで腕を斬られた鬼がその片腕を取り返しに来た伝説もある。

 戻りたい、戻れない、取り返したい、取り返せないと様々な想いが去就するこの橋の向こうに佐藤のマンションは有った。

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