第7話 越前大野に根付く2
そこから天守に向かう一本道の尾根筋には防御のために開削された堀切があった。此処を突破した先の拓けた場所に武具倉跡、武家屋敷移築門、お福が池(防火用水)があった。その先がいよいよ西桝型になった天守口だった。そこを抜けると天狗書院と天守閣が有った。
越前大野城は標高二百四十九メートルの小山に築かれた。この平山城はさすがにこの地域を一望出来た。安土城築城の前年に織田信長から大野郡を任された金森長近により築城されてその後は松平家を経て幕府大老の土井利勝の息子が城主になり明治の廃藩置県まで続いた。
山路は天守にて岡田とのツーショットの写真を撮った。あるいは天守を背景にして彼の写真を多く撮った。
「いつもは撮らないのに今日はやけにわたしの写真を撮るんですね」
「やっぱり目立ってしまいましたか、タクシードライバーとしては乗られるお客さんから震災の話をされる方が居られれば岡田さんの写真は切っ掛け作りになりますからね」
山路はのらりくらりと
「女将さんが越前大野城の写真を撮るだけのリピーターじゃないと思ってましたけどやはりそうなんですか」
その女将さんから言いくるめられたのか、ひとつスナップ写真じゃなくて山路さんの気の利いた写真を一枚撮って下さいと頼まれた。そこでこれぞと思うワンショットを撮った。
彼の写真を撮り終えた山路は今度の旅の目的の大半は果たせた。
「そろそろ旅館に戻った方がいいんじゃないでしょうか」
でも岡田さんに至っては落ち着いていた。それは今日の泊まり客が数組だった。それで岡田さんはギリギリまで案内してくれた。
旅館へ着くと山路さんに紹介したい人がいるから夕食が終わったら暫くロビーに居て下さいと言われた。
しかし彼は食事中に部屋へ「どうですか今日の料理は」とひょっこりやって来た。
彼の話だと会わせたいと云う人はすでに旅館について今ロビーで女将さんとくつろいで居ると聞かされた。
「じゃあそんなに待たせる訳にもいかないなあ」
岡田さんはちょっと間を空けてから実はと切りだした。
「山路さんにお会いしたい相手は越前三国港の漁協の組合長をしている水島さんなんです」
「その人は確か、あなたの身元引受人ですよね」
「ええ……そうです。実は昼間のお蕎麦屋さんから女将さんに電話を入れたのは水島さんの都合を聞くためでした」
ーー女将さんと水島さんは私の事で頻繁に連絡を取り合っていた。その過程で山路さんが話題に上ったらしい。それで間を空けずに来る様だったら連絡して欲しいと水島さんから聞いていて昨夜予約が入ると直ぐに連絡した。
「その水島さんが来られた
「それ以上は水島さんから聞いて下さい、ああそれから話は此処でなく近くの小料理屋でされる予定です。費用も心配は要りません歩いて十分ぐらいの所ですから、もし帰り道に迷ったら電話を下さい迎えに行きます」
後は旅館の配膳の係りがしますと、彼はいつもの笑顔を浮かべると山路をロビーに案内した。
ロビー端のソファーには女将さんと隣には五十絡みの小柄だがしっかりした体格の男が座っていた。岡田さんはその傍へ行くとそこで山路を紹介した。対面した男は自分から水島と名乗った。女将さんが水島氏の肩書きと関わりや経緯を添えるように語った。
「先ほど岡田さんから聞きました遠い三国港から来られたとか」
「京都に比べれば直ぐそこですよそれより今年に入ってもう二度も来られている。京都に比べれば見るところが少ないのにしかも大野以外には行かれないで岡田さんに親身になってるそうですね、そこを少し伺いたいと思ってやって来ました」
この近くにいつも寄って行く小料理があるので今日は私があなたを招待したいと水島は手短に説明した。それを女将さんも傍で後押しした。それよりも事前に説明してくれた岡田さんの勧めが一番その気にさせた。
女将さんと岡田さんに見送られて旅館を出た。
ーー山路さんあの岡田さんと云う人はかなり強靱な体力の持ち主ですよおそらく津波に遭って投げ出されてからは十四、五時間は漂流していたことになる。三月の海で持ちこたえたのですから。それから彼を救助した貨物船の船長の金子さんとは長い付き合いでしてねあの旅館にも一緒に泊まったことも何度かありました。これから行く料理屋ですけれど大野へ寄ればいつも呑みに行く馴染みの店ですからくつろげますよ。その金子船長から伺った話になりますが、震災の翌日、十二日の夜明け前に焼津港を出て全速の二十二ノットですから船は一時間に四十キロほど進みます。昼過ぎに船は茨城県沖から漂流物の多さに半減速しましたから船は福島第一原発まで三時間の距離でした。そこで発見した岡田さんは低体温症に掛かってました。その時刻に十二日の午後三時三十六分頃に福島原発一号機で爆発がありました。減速せずに全速で航行していればその頃には通過した後だったが船は福島の第一原発を過ぎるのにまだ一時間は掛かる距離でした。しかし風は陸に向かって吹いていると解りそのままの航路で通過しましたがこの一時間以内にいつ風向きが変わるか分からないから冷や汗ものでした。上空には救援物資を積んだヘリが頻繁に飛んでましたからこの辺りの港には寄れません。幸い金子船長は傷を縫うことも出来るし注射や点滴も出来る資格を持ってますからそのまま船内で漂流者の様子を見ました。幸い岩手県沖を通過する頃には低体温症を脱していました。彼が回復した以上は見捨てるわけには行かない。そこで金子さんから初めて一報が入ったのです。
この頃には二人は馴染みの料理屋に到着していた。カウンター越しに二人は板前と対面してそこで酒を呑みながら出された料理に箸を運び始めた。
「あれほどの強靱な体力の持ち主ですから、だからこそあの人は挑戦しているんだ自分の過去に、そこに在る現実と云う壁に挑戦している。その壁が崩れた向こうに何が待ち構えているかそれを僅かでも山路さんは感じているのなら私は知りたい彼の為にも……」
「良く解りましたが、そんな大層な物じゃありませんよう」
「じゃあ何故に日を置かずに大野へ、いや、彼の下を訪ねるのか。そこに彼に付いて何か有力な情報を得たからトンボ帰りのようにして大野に来られたと私は察してやって来たのですが……」
この人の並々ならぬ岡田さんへの思い入れをその時に山路は感じた。
「まあ遠からずは当たっています」
ホ〜と水島は身を乗り出して来た。
ーー最近仕事上で同じ様に津波に遭った人と知り合いました。その人と岡田さんとは境遇が似ていました。ただ消極的な面と積極的な面が複雑に募り、知って欲しいと知りたくないと両方の素振りを見せるようなので確信を知るまでは時間が掛かりそうです。共通点がかなりありますから勘違いがどうかは今の段階では判明できません。そこで山路は本郷美希との今までの
「でもまだ核心を掴んでませんので岡田さんの耳に入れるのは時期尚早と思ってましたから水島さんのように岡田さんを知る人に相談できたのは有難いです」
「お互いに乗り合わせた船のようなものですよ」
水島は少し味わうように酒を口に運んだ。
「最初に出会った船から信頼と云う絆で繋がっているんでしょうね」
ーー信頼それは欲が絡んでは成り得ない。欲のない岡田さんの様な人間には何かしてあげたい見返りは何もなくてもよい。むしろ何も要らない。でもあの人の過去のありようによっては知りたくなかった事実が明るみに出るかも知れないな。本当に無欲で居られるかそれをあの人だけは見てみたくなったからです。
「と言いますと」
「まず彼女は旧姓に戻っていると云う事が気になります。まあ五年近く行方不明なら仕方がないかとも思うんですが籍まで抜いてしまっているんです」
「山路さんも三十前でこれからの人でしょう、でも私のように六十に手の届きそうな歳になると行方不明者の死亡を認めざる事情も分かります。先ずは明日からの生活が掛かって来ます。年金の受給年齢まえでも遺族年金が支給されます。他に生命保険があればそれも全額もらえます。でもこれは切迫した人たちです。その本郷美希さんですか、その人はまだ若いですから再婚を考えると籍も抜くでしょう。死を認めたくない人たちもいることは確かですがその人達は地元に残って待ち続けています。震災に遭って旧姓に戻って生まれた和歌山の近くの京都に住んでいるところがやはり気掛かりですね」
此処で二人は意見が合った。
「ですから今回大野にやって来たのは岡田さんの顔写真を撮るのが主な目的です。写真を彼女に見せれば人違いがどうかはっきりしますので今は期待を持たせたくないのでこの事は岡田さんには知らせないで下さい」
「分かりました暫く成り行きを見ましょう」
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