第4話 過去を見捨てる女

 とりあえず無線で指定した場所に行って見た。そこは社内無線で指定したとおりに依頼主の会社のビルが大きい通りに面してあった。そしてこれまた依頼どおりにその前の歩道には制服姿の女子社員が立っていた。更に近付いて驚いた。女子社員はいつぞやの新年会帰りの女の子だった。ああして制服を着るとお酒なんて一滴も飲めない様に清楚に見える。まったく女は身に付ける物でイメージが変わるから変わり映えしない男以上に不思議なものであった。

 停車して後部座席のドアを開けるとドアの頭越しに彼女は「お久しぶりね」と声をかけて来た。腰をかがめて小首をかしげなからのひと言はアルコールの抜けた彼女もまた乙なものだった。

 彼女は荷物が有りますからちょっと待って欲しいと云って会社へ戻った。

 暫くすると荷物を積んだ台車を押す男と一緒に彼女は会社から出て来た。台車に積まれた物は四条通りにある某有名デパートの包装紙で包まれた熨斗紙付きの物ばかりだった。

 挨拶回りかと思った山路は慌てて車のトランクルームを開けて待機した。台車を押す男は先日の新年会帰りで行き先を告げた男だった。彼は軽く会釈して両腕で重ねて載せた荷物を抱えて来た。

 彼女は荷物は車内に積んで欲しいと要望した。進物用の品物ばかりだから着いた先々で人々に目に付くのを嫌った様だった。進物品を次々と台車から積み替えて手際の良く運び込む彼の一連の動作は流石はビニネスマンだった。

 乗るのは彼女一人だったが空いた席はすっかり贈答用の品物で埋まってしまった。その彼女は荷物を運んだ男から説明を受けてから車に乗って来た。

「ご覧のとおりの挨拶回りですから貸切りで最初に書かれた場所へ行って下さい」

 と彼女は得意先の所在地を書いたメモと本郷美希と書かれた名刺とともに渡した。

 山路はとりあえず貸切料金の説明をして一番近い得意先に向かって車を走らせた。

 

 会社から取引先やお得意様の挨拶回りの指示を受けた時に彼女はとっさに山路を思い出して彼の車を指定した。彼女はフロントガラス前のタクシーの乗務員証で名前を知ってタクシー会社へ予約を入れた。彼女は割り当てられた得意先に進物品を持って回り、その量はどうも朝から夕方までの一日仕事になるらしい。

 彼女曰くあなたの連絡先が分からないから直接会社へ電話したそうだ。特別なところはさっきの上司が回るから、あたしが受け持つところは大して重要じゃ無く付き合い程度らしい。だから取引先やお得意様の中でも商談を伴わないから若い私に押し付けられたと手短に乗り込むと話した。初対面じゃないがそれでは一層彼女に好感が湧いて来た。

「今後ともよろしく。半日仕事だから知らない運転手より顔なじみの人の方が良いでしょう」と彼女は車が走り出すと言った。

「そうでしたか。でさっきの人はこの前の新年会であなたの行き先を伝えた人ですね」

「あら、良く覚えているのね」

「ええ、よく覚えてます。あの日は悲惨でしたから。朝からお客さんが見つからず、それでやっと乗って頂いた上客でしたから」

「あらそれは大変だったのね、でもそんな日はお給料はどうなるんですか ?」

 山路は笑ってしまった。

「タクシードライバーはお客さんを乗せて走ってなんぼの世界ですからね」

「じゃあその日はお給料はないんですか」

「そう云う事です、がまあ、あの日は若干のお客さんがありましたけど。でも十五時間走って水揚げは七千円ぐらいでしょうか、半分会社に引かれて実入りは三千五百円でしょうか、時給換算だと 二百円一寸でしょう」

「コンビニでも八百円以上だから本当に悲惨でしたのね」

「まあね、で今日は何カ所まわるんですか」  

「今日は十三カ所だから効率よく回りたいんですけど……。さっきお渡ししたメモですけれどあれはうちの佐藤が、アッ、さっきの上司ですけれど、決めた者ですから山路さんの方で走りやすい順番に変えてもらっても結構ですよ」

 とりあえず一件目を訪問中に車内待機中して考える事にした。

 一件目を終えて戻って来た彼女に、訂正を加えたさっきのメモを見せた。多少は最初のメモ書きから前後していたが道路の混み具合を考慮して順番を決めた。それで彼女は納得して山路はまた車を走らせた。


 今日は出だしから順調にスタートしたから、この調子で行けば今日はもうお客さんを血眼ちまなこになって探さなくて良いから気楽なものだった。

「先日はありがとうございました」

 と社交辞令か彼女は走り出すとさっそく声をかけて来たが、有難いのはこっちの方だった。

「あの時は賑やかでしたね。で、この前の人、アッ上司ですね、あの方は穏やかに喋りますね」

 まぁッと彼女は驚いて「得な人、あの人は入った当時は凄かったんですよ品の無い言葉使いで、京都の人はびっくりしてましたよ。大阪でも眉を寄せたくなるのにそれが徐々に河内、岸和田と南に行くに従って言葉遣いが荒くなってまるで言葉の端々がけんか腰のようになるんですから、それが和歌山まで行くとまたそのアクセントが河内弁に比べるとトーンダウンしますけれどそれでも京都の人に比べたら眉を寄せたくなります。あの佐藤はその和歌山から転勤してきたのです」

 しかし話し方とは別に実に面倒見の良い上司らしい。さっきドアまで送ってくれたように上司と云うより彼女には先輩待遇に近かった。

「この前の話ではあなたも和歌山じゃなかったですか」

「だからに一から教えてもらったからあたしもあの人の和歌山なまりを直してあげました。そのせいかあの人の営業成績は伸びて来ました」

 見たところ彼女はさも愉しげに傍に置いた進物箱に片肘を添えて笑っていた。


 午前はこのペースで終えて二人で北山通りの店で昼食を取った。

「あの西洞院で山路さんのタクシーに乗ったあの日は佐藤とケンカしたの」

「そんなに深刻そうには見えなかったようですけど」

「それもそうね、なあなあで仕事の延長で付き合って居たからどちらから言い出すか根比べ」

 なるほどそう云う事だったのか。あの日はタクシーまで送ったあの男の印象を走り出して直ぐに訊いて来たのは。

「なんの、まさか愛情の根比べじゃないでしょうね」

「愛情なんて……、互いのプライドが葛藤しあってぶつかった、そうなると後には引けないでしょう」

「それでケンカになったんですか?」

 そこで彼女はひと呼吸置いた。

「その前に山路さんは独身? なんですか ?。それならあたしのことばかり聞いてずるいわよ」

山路は参ったなあーと云う顔をした。

「一応独身です」

「その微妙な言い方はバツイチね、それで籍がまだとか」

「いえ、籍は最初から入れなかった」

「ホゥじゃ内縁というより同棲がピッタリのお歳でしょうか ?」

「あなたの若い歳でその言い方だとあなたも京都の人じゃないですね」

「前も言ったでしょう。和歌山です」

 と言いながらも彼女は仕舞ったと云う顔をした。

「ひょっとして生まれは和歌山でも育ちは九州か東北じゃないですか、どっちか云うと東北っぽぃ」

「ピンポーン。中学の時に引っ越しましたからなまりもすぐに直りました」

「何でまた途中の東京でなくこの街なんです。アッ!大学時代にこの街に来てそのまま居着いた。ここは学生の街ですからね」

「ブー。もうほっといたらどこまで喋るんですか五年前の震災で流されたんです」

「全部」

「ええ、あの津波で……」

「ホォ〜ウ、奇遇だ。あなたと同じ境遇の人に最近会いました」

 突然彼女の顔色が変わると同時に「何て云う方です !」と身を乗り出した。

 これには山路も驚いた。

「岡田さんとか言ってたかなあ」

 彼女は気落ちして乗り出した半身をドスンと滑り落ちるように座り直した。

「アッもう時間だわ」

 彼女はチョッピリに未練を残して言った。そして気を取り直して「まだ荷物が結構残ってるから急ぎましょう」と付け加えた。


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