大淀クンの黒歴史青春白書
目鏡
プロローグ
穴があったら入りたい。
これは男の性なのだろうか。
つまるところ、世の中なんと嘘や欺瞞が多いことだろう。
歴史や故事をちょいと振り返るだけで、暴露事件やスキャンダル等に事欠かない。日本の政財界を揺るがしたロッキード事件やリクルート事件、米国ではウォーターゲート事件やウィキリークス。さらには、タックスヘイブンでの税逃れを暴露されたパナマ文書などなど。手短なところで言えば、芸能人やスポーツ選手の不倫或いは薬物事件、──現代のヴェートーベンと称えられた作曲家のゴーストライター暴露事件など、ほんとに穴があったら入りたいのでは? と思ってしまう珍事件もあった。
もちろん法に触れるのは論外だが、とはいえ、程度の差こそあれ、
人間、誰でも人には言えない
そう、それは密かな楽しみであったり、密かな恋心であったり、或は秘密の情事、はたまた人を欺いたり貶めたとか些か物騒な事柄や、恥ずかしくも消し去りたい愚行や痴態の過去など、種種累々、それぞれにあるだろう。
僕の場合のそれは──もちろん言い出しにくい事柄であるのだが──言わば秘密の楽しみであり、喜び、癒しであり、またその根底には、それこそ秘めやかな恋慕があった。もはや愛と言ってもいいだろう。しかもそれは禁断の愛! 愛してはいけない、いや、広義での愛、友愛という意味ではイケナイ訳ではない。が、いわゆる男女間の恋愛としては禁忌、俗に言うタブーなのだ。
平たく結論から言うと、僕はねえさんが大好きなのだ。
姉弟の二人兄弟。年子の姉、現在青春真っ只中の高校二年生、俗に言うJK2か。歩くと薔薇の花弁が舞うほどの可憐さで、学生達が目指して止まない
やや仰々しいかもしれないが、嘘は述べていない。すべて事実である。
さて、プロローグが始まってまだいく数行だが、すでに僕という男子にやや引き気味、或はドン引きの読者もおられよう。
とはいえ、
僕といえば、至って真面目な、そして行儀良く、人畜無害で、ある種の君子的なあだ名をつけられかねない、そんな善良な小市民、言わば標準よりやや良い子寄りの普通の子な一般男子学生であると自負している。
まあ時折、
風呂場の脱衣所に無造作に放置されている、ねえさんの衣類やその
なんてことも、あるにはあるが、だが至って品行方正な標準的男子高校生だと自負している。
何も問題はない。
が、このような誰にも言えない「秘密」を、僕は抱えていたのだった。
「たっくん! こらっ! 学校に行く時は私と同じ眼鏡はダメだって言ったでしょう?」
「え?」
「今日はスクエアはダメよ」
その日、朝食のスクランブルドエッグをすすり食う僕に向かって、ねえさんは毅然と言い放った。
「えぇー?」
「いいわね?」
実はねえさんは、眼鏡女子なのだ。眼鏡美人、俗に言う、めがねっ娘である。
よく親戚やら近所のおばさんやら同級生達から、「コンタクトにした方が絶対もっともっと美人になるよ」や「折角の美人顔なのに、眼鏡が地味子に格下げしちゃってるよのねぇ」などと言われるねえさん。大きなお世話である。ねえさんは、その眩いばかりの美貌を知性の象徴たる眼鏡でほんのり包み込むことによって、素朴かつ慎ましやかな極上の可憐さを醸し出すのだ。はてさて、一般人というのは、眼鏡っ娘の美をまったくもって理解していない。秘すれば華なり。中世の能の開祖、観阿弥世阿弥親子の時代から、現代のチラリズム、ボトムス&ニーソックスのおりなす絶対領域まで、これ、究極の美の真髄なのだ。
かく言うこの僕、めがねっ娘には格別の親しみを感じている。めがねっ娘≒地味子などという図式は、ハリウッド商業主義の蔓延か、利益追求型資本主義経済の負の側面、芸術至上主義の衰退による弊害だと断言できるっ! 僕の女神は質素で素朴で、それでいて可憐なのだ。
で、言わずもがな眼鏡男子な僕なのだが、つまりは眼鏡姉弟であり、僕がそうであるようにねえさんも眼鏡を愛している。だからこそ様々なタイプの眼鏡を所有しており、些か両親から呆れられるのではあるが、眼鏡は体の一部、妥協は許されない。学校、遊び、旅行、ちょっといい所で外食、ちょいといい所のお宅に御呼ばれ、用途やその日の気分に合わせてそれぞれ変えるのは、これ眼鏡紳士(淑女)としての嗜みと考える。というのは余談に過ぎるが──、
要するに、僕はねえさんに憧れ恋い焦がれるあまり、ついつい、いつも同じデザインの眼鏡をコッソリ買ってしまうのであった。
「いい? たっくん、同じ眼鏡をかけたら、どっちがどっちか分からなくなるでしょ? ただでさえ背格好も顔立ちもよく似た兄弟なのに」
「ええっ! どっちがどっちかって、そんなわけないだろっ! どっから見ても僕は僕で、ねえさんはねえさんだよ」
いやはや、そんな訳のわからない理論を展開するくらいなら、いっそ、兄弟で同じ眼鏡なんてペアルックみたいで気持ち悪いだとか嫌だとか、分かりやすい理由を言ってくれ。ねえさん。
実際にそう言われれば、きっと酷く心に痛いだろうが──。
ただ一点だけ、ほんの少し変な特徴、特異な個性? があるとすれば──、ねえさん、若干ではあるにせよ俗に言う
俗世間一般から、ややズレた発言や行動が見受けられる。のは、ご愛嬌として──、
「そんなことないわっ! 間違えられるから。たっくんは世の中を甘く見過ぎなのよ。しっかりしなさい」
いやいやいや、どっちがだよ! おいっ!
だが、そんな少々ボケボケとした所が、非の打ちどころのないねえさんの、ちょっとしたアクセントとなっているのも、これ事実であろう。
「どうでもいいけど、ねえさん、もういい加減
「えっ、どうして? いいえ! たっくんはたっくんよ。高校生でも全然おかしくはないわ」
「……」
いや──、これは、ねえさんではなく、
とにもかくにも、そんな不肖の弟と、麗しの女神たるねえさんだが、その日常はこのように至って平和で平凡であった。
──のだが! それも今や過去。
少なくともあの日までは、あの革命とも思しき事件、いわば
そうあれは、うららかな初夏の、梅雨も晴れた穏やかな日和、まるでゲリラ豪雨のように突然に、僕をずぶ濡れのヌレヌレに襲ったのだった。
僕は全身がすっぽり映る大きな姿見を前にして、やや困惑した表情のねえさんを見つめている。見つめ合う僕とねえさん。鏡の中にいるねえさん。それは──、僕には分かる。確かにねえさんの姿形で、確かにねえさんそのものなのだが、──いや、そうではない。ねえさんのように見える何者か。それは確実にねえさん本人ではない。が、しかし、そのものに見える何者か。
ねえさんの学園制服を流麗に着こなし、ボトムスは、もはやお飾りなのかと思うほど短い丈のプリーツスカート。すらりと伸びたニーソックス。秘すれば華なりの絶対領域も眩しい。その優しみのある瞳に凛とした知性感じる眼鏡。滑らかでつややかな肩を越すロングの黒髪。
あぁ、ねえさんっ! だが違うっ!!
そうなのだ、鏡の中にいるのは紛れもなく、ねえさんの制服を着て、そのロングの黒髪そっくりそのまま真似たウィッグをつけ、ニーソックスもすらり、まるで清水の舞台から飛び降りんばかりの一世一代の表情でもって、ポツンと屹立する男子っ!
つまり僕自身っ!
ねえさんの姿そっくりに変身した、女装男子の僕がいた。なぜだ──。
どうしてこうなった!?
それを説明するには些か時間を要するだろう。だが、青春真っ只中の高校一年生にして、その貴重な時間を掃いて捨てるほど持て余す、悶々とした冴えない一男子生徒の僕、
語る時間がたっぷりあるのだから、これまた些か問題である。
穴があったら入りたい──。
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