102 封禅(ほうぜん)



 前回に書いたかなえのこと。


 司馬遷の『史記』を読んでいますと、古代中国では、青銅器のかなえの数が権力の象徴であったことがわかります。


 そして、その鼎の争奪を巡っての人と人の賢い、もしくは愚かな駆け引きも、当時の人の息遣いが感じられるほどに、『史記』には書かれています。


 しかしながら、「なぜ、青銅器の鼎が権力の象徴?」という、司馬遷より2千年後に生きる者の疑問に答えてくれる記述はありません。



 そして、これは<『史記』に登場するいい男たち>の連載の中で書いたことなのですが、『史記』で人物を表記するときは、その人物の名前ではなくてくらいとか職名で書かれることが多いです。


 時とともに出世してくらいは変わりますから、当然ながら、その表記も変わってきます。これが古代中国に素人の者には、理解が難しくて……。先生の説明がないと、いったい誰のことやら?ということになってしまいます。




 それで、私、気がついたのですよ。


『史記』って歴史書ではあるのですが、21世紀に生きている私たち現代人に向けて、古代中国とはどのようなものであったのかと説明するために書かれたものではないことを。


 作者の司馬遷と同時代の読者を想定して書かれているんですね。

 だから、当時の常識であることについての、親切な説明はありません。




 それで話は変わって、今回のお題の『封禅ほうぜん』について。


 古代中国では皇帝に即位すると、そのことを自国の民や近隣諸国に知らしめるために、当然ながら即位式を大々的に行いましたが。その即位式とは別に、封禅というものがあります。


 封禅は、天と地に王や皇帝の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式です。


 しかしこれは王や皇帝になったからといって、簡単におこなえるものではありません。徳があり、偉大であると自他ともに認められなければなりません。


 記録では、始皇帝以前には70人ほどおこなったとか。しかしながら、これは伝説の類が多いと想像します。なぜなら、始皇帝の後は10人ほどがおこなったと伝えられてるからです。

 前漢の武帝も、家臣に止められて、なかなか行えなかったとか。


 そして、滅多にない『封禅』の儀式ではあるし秘儀でもあったので、記録が少なかったり理解しにくかったりで、行おうとしたものの王や皇帝はとても困ったらしいです。大規模な儀式でありながら、けっきょく、皆さん、我流でうにゃうにゃと……。(笑)

 



 それで、思ったわけです。歴史書とか記録とかいっても、それは同時代か、せいぜい数十年後くらいの人たちが理解できるように書かれているのだと。


 数千年後の読者がすんなりと理解できるようにと、書かれたものではないのですね。当たり前と言えば、当たり前のことなんですが。


 それは小説にもいえるのではないでしょうか。そのときにはドキドキとするくらいの感激を持って読んだ小説も、数十年たつと古臭く感じられ、読み返すこともなくなります。


「ああ、そうなんだ」と気づいてしまうと、いろんなことが腑に落ちたというような不思議な感じです。

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