255 承宇項の謀り事・その7
思いがけぬところで進められていた千夏との結婚話を聞かされても、冷静さを保っていた英卓だった。しかし、白麗の名前が承将軍の口から出てきた時、その驚きは声に出た。
「麗に行儀作法を教える?
宇項兄も、すでに知っていることだと思うが。
人に頭を下げることすら、麗は覚えられない」
――なぜなら、麗は〈人〉ではない。
あとに続けるべき言葉を、英卓はかろうじて飲み込む。
だが、英卓の動揺に気づかぬふりをして、承宇項は言葉を続けた。
「お嬢ちゃんほど美しい女であれば、後宮に入っても、しばらくは皆にかしずかれて可愛がられることだろう。
しかし、人の心は移ろうものだ。
それは天子であっても太子であっても同じ。
その上に、後宮には人の落ちぶれたさまを見て喜び、そのためになら人を
おまえも禁軍の兵士となった時に、正妃殿でその一端は見たと思うが。
その時になって、果たして口の利けぬお嬢ちゃんがどのように振舞えるのか」
男にしては色白く端正な英卓の顔が、怒りで紅潮していく。
仲のよい兄と妹だとは思っていたが、これほどとは。
自分の言葉が目の前の若い男にもたらす効果に満足しながらも、もう一押しと、宇項は英卓の怒りの炎に油を継ぎ足す。
「そして妃となったものは、死ぬまで後宮から出ることが出来ない。
そのくらいのことは、後宮の諸般に
若い時にどのように美しかろうと、寵愛を失って哀れな末路をたどる妃は、掃いて捨てるほどいる。
天性の無邪気さがあだとなって、もしお嬢ちゃんが冷宮送りとなれば、その最期は凄惨なものだ」
席を蹴って立った英卓が承宇項に詰め寄り、その衿首に手をかけて言った。
「宇項兄、そこまでわかっていながら、いったい麗に何を望む?
袁開元を倒すために、麗もまたその身を危険にさらしたことを、よもや忘れたとは言わせない」
横から関景が声を荒げた。
「英卓、何を考えている!
畏れ多くも承将軍に対して、見下ろしてのそのものの言いようは無作法だぞ。」
関景の𠮟責に、英卓は掴んでいた宇項の着物の衿から手を離す。
「いいのだ、関景さん。
いまお嬢ちゃんの身に起きつつあることを、英卓がどのくらい理解しているか、試してみただけだ。
まあ、英卓、座って落ち着け」
その言葉に従って自席に戻った英卓を見て、乱れた衿元を直しながら宇項は言葉を続けた。
「お嬢ちゃんのことは理解できたな?
であれば、おれがこれから言うことも理解できるはず。
お嬢ちゃんの後宮入りを止めることができるのは、安陽広しといえどもおれ一人しかいない。
この春に副妃から昇格した正妃はおれの妹だ。
穏やかな気質だが、芯はしっかりしている。
おれが頼めば、天子と太子の心を動かして、お嬢ちゃんの後宮入りをなかったものにしてくれるだろう。
ただし、お嬢ちゃんに惚れている太子は泣くだろうが。
まあ、可哀そうではあるが、庶民であっても貴人であっても、初恋というものは叶わないものと、昔から決まっているものだからな。
いずれ天子となる身であれば、我慢も覚えねばなるまい。
どうだ、これを千夏の持参金と思えば、おまえにとって、これ以上に大きな持参金はないはず」
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