220 龍、再び……・その13



 

「生意気なマセガキが!

 天界に戻ったら、そのまだ青い尻を、天帝に思いっきり蹴とばしてもらえ」


 しかし、父である天帝の怒りを怖れて、急いで龍の姿に戻ろうとしている天界人の子どもの耳には、英卓の声は届いていないようだ。


 ――たとえ龍であろうと、子ども相手に捨て台詞を吐くのも、大人げないか――


 そう思い直して、英卓は丸薬の入った函を懐深くしまった。

 そして、金色の渦に背を向ける。

 

 地面に落としていた短槍を拾って構え、萬姜に刀を向けている男の後ろに立った。

 男の背中をひたと見つめ、再び、時が動き始めるのを待つ。


 白麗のこと生意気な天界人の子どものこと二粒の丸薬の使い道、考えたいことはたくさんある。

 しかし、とりあえず目の前に貫くべき背中があり、殺すべき男がいる。


 考えるのは、この騒動が収まり、峰貴文を助け出してからでも遅くはない。





 徐平の矢に目を射抜かれた男と、堂鉄に肩から斬り下げられた男と、英卓の短槍に腹を刺された男の悲鳴と呻き声が、同時に上がった。


 英卓の予想通りに、堂鉄は縦半分にした男の返り血を避けて横に飛ぶと、今度は徐平の矢に目を射抜かれた男の胴を払って息の根を止めた。


 萬姜ごと白麗を串刺しにしようとしていた男から堂鉄の間には、少し距離がある。

 息も継がぬ速さで徐平が放つ二番目の矢が、その男を射抜くはずだと、男二人を斬りながら堂鉄は耳をそばだてる。


 しかし、矢羽根が風を切る二つ目の音はなく、自分より後ろにいたはずの英卓がすでに前にいる。

 男の背中を短槍で突く彼を見て、堂鉄は驚いた。

 矢を弓につがえたまま、徐平も目を丸くしている。


「堂鉄、徐平、ぼやぼやするな。

 女たちを助け起こせ!

 大丈夫だとは思うが、怪我をしていないか、確かめろ!」


 まさか後ろに人がいたとは信じられないままに絶命した男を、蹴り飛ばし、その背中から短槍を抜きながら英卓が叫んだ。


「それから、血濡れた男の躯を、女たちには見せるなよ」


 しばし呆然としていた堂鉄と徐平だったが、矢継ぎ早に命令されて我に返った。


 彼らの仕事は英卓の失われた左腕となって動くことだ。

 若い主人の行動や頭の中のことを詮索することではない。


 彼らをここまで導いた金色の淡い光も。

 いま英卓の後ろで、夜空に舞い上がっていく銀色の細長い影も……。

 主人が納得していることであれば、彼らが理解する必要はない。


 萬姜に押しつぶされた形で倒れている白麗と嬉児の傍に、二人は素早く駆け寄った。





 時が止まっている間に女たちの無事を目で見ている英卓は、腰を抜かしている允陶に近づいて手を差し出した。


「允陶。

 おまえの捨て身の覚悟、この英卓、深く感謝する」


 堂鉄や徐平が差し出した手であれば無視したところだが、主人である英卓の手は無下に振り払うことは出来ない。

 差し出された手に渋々すがって、允陶は立ち上がった。


「当然のことをなしたまでにございます」


「おれはこの騒動の後始末がある。

 おれの代わりに、女たちを自室に連れ戻し、落ち着かせてやって欲しい」


「ご命令とあれば、お任せください」


 慶央からついてきた優秀な家令である允陶は、どのような時にも慇懃無礼を押し通す。抑揚のない声で答えると、彼はくるりと背中を見せた。





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