210 龍、再び……・その3
堂鉄を振り返ると、英卓は言った。
「堂鉄、あの女かも知れんな。
覚えているか?
後宮の正妃殿で麗を助けた時、黒い着物を着た老いた女がいたことを」
「おお、そういえば、そのような老女がいたような。
後宮とは、選りすぐりの美しいおなごばかりが集められているところだと聞いていたので……」
美しいおなごと聞いて蘇悦が目を剥いたので、堂鉄は睨んで彼を黙らせた。
「……、黒い着物を着た老婆を見て、一瞬、奇異に思ったことは確か。
しかしあの時は、杖刑台の白麗さまをいかにして助け出すか、そのことばかりに気をとられておりましたので、はっきりとは」
「なんと、峰さんは宮中に参内して、畏れ多くも後宮の中にまで入ったのか。
おれは聞いていないが」
「ああ、将軍に無理やり禁軍の兵士の恰好をさせられてな。
しかしその後、自分は
そんなこともあって、おまえにも芝居仲間にも言わなかったのだろう」
「……と、慰められても。
そんなことも打ち明けてもらえなかったとは、おれは用心棒失格のようだ」
「そんなことはない、蘇悦さん。
蘇悦さんのような人だから、峰さんも傍に置いて重宝しているのだ。
おれのような融通の利かない男は、峰さんの用心棒としては一日として持つまい」
蘇悦と堂鉄はその見かけも性格もまったく違う。
唯一の共通点は、お互いの仕事が、刀を手にして主人を守るということだけだ。
いやだからこそ、話しの種はつきない。
胡玉楼で英卓が妓女の青愁を抱き、徐平と峰貴文が何人もの女たちとなにごとかを楽しんでいる間、彼ら二人は酒を酌み交わしながら、朝まで語り合う。
しかしここは胡玉楼ではないと、英卓は軽く咳払いをした。
慌てて、堂鉄と蘇悦が口をつぐむ。
英卓が言った。
「麗を助け出した後、峰さんは亜月と知り合いかと、承将軍より訊かれた。
あの問、短いながら、二人は言葉を交わしていたようだ。
蘇悦兄のいう黒ずくめの老女が亜月であれば、峰さんは危ういことに巻き込まれているに違いない。
我々の伺い知れぬようなことが起きようとしているのか……」
英卓の決断は素早い。
立ち上がると同時に、彼は叫んだ。
「これから承将軍に会う。
馬を引け!
蘇悦兄の馬も用意せよ! 」
******
「そうだ、それは正妃に仕える亜月という女に間違いない」
英卓と蘇悦の話を聞くと、承将軍はためらうことなく言い切った。
「峰さんは、人を魅了する不思議な力を持った男だ。
その峰さんを、女ばかりの後宮に放り込めば、地に水が噴き出すがごとく空に雲が湧くがごとく、何かが起きるとは思っていたが。
まさか、妖婆と恐れられている薄気味の悪いあの亜月が、峰さんに絡んでくるとは。
あの日より正妃は臥せって、歩くこともままならぬ体になったと聞く。
それで、正妃はすでに脅威ではなくなったと思い、おれの目は袁開元ばかりを見ていたようだ。
だがな、おれも抜かりなく、あちこちに、間諜は放っている。
兵を挙げ天下を我がものしようとの開元の動きは、仔細に掴んでいるつもりだ。
しかしながらその中に、一介の民でしかない峰さんを捕らえるという企てがあったとは聞いていない」
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