211 龍、再び……・その4



「うおぉぉ――」

 突然、蘇悦が声にならない声で叫んだ。


 宮中にある禁軍の兵舎まで連れて来られて、まじかで承大将軍と直接に話す機会まで与えられた。

 それだけでも、彼の足は地を踏んでいない気分だった。

 そのうえに、宮中で起きている権力闘争の細部まで聞かされて、頭の中が混乱した。


 しかしその混乱の中で、守るべき峰貴文の命が危ないのだということは理解できた。


――この命に代えて、峰さんを救い出す――


 絶望でもあり武者震いでもある想いが、彼の叫び声となった。


「どうしたのだ、蘇悦さん。承将軍の前だぞ」


 友を気遣った堂鉄の言葉に、我に返った蘇悦が言う。


「……、申し訳ないことをした。

 将軍の話の腰を折ってしまった」


「いや、蘇悦、いいのだ。

 おれも同じように、何度、戦場で叫んだことか」


 深く頭を下げようとした蘇悦を、将軍は押しとどめた。

 そして英卓に向かって言った。


「義弟よ、おまえのまわりにはよい男が集まっているな。

 おまえはまだ若いが、人をまとめる大きな器を持っているようだ」


「ありがたいお言葉にございます」


 礼の言葉とともに、英卓が右手を胸の前に差し出し頭を垂れようとしたが、承将軍はこれもまた押しとどめた。

 そして「少し、考えさせてくれ」というと、腕を組んで目を閉じた。


 再び、目を見開いた承将軍は言った。


「峰さんのことに袁開元が絡んでいないとすると、これは、亜月の私憤だろう。

 正妃の気が狂い、第五皇子の太子への道が断たれて、そのうえに頼りの袁家の滅亡は目に見えている。

 もう亜月という女には、安陽で生き残るすべがない。


 裏で正妃と開元を操っているとまで噂されているほど、亜月は賢く悪知恵の働く老婆だ。

 いろいろと考え情報を集めて、峰さんに辿りついたに違いない。

 そして、その峰さんが囚われているとすると、荘新家と白麗の存在に気づくのも時の問題だ」


「その亜月という女に、荘新家と麗が襲われると?」


「安陽を抜け出す時の置き土産にするつもりだろう。

 英卓、すまなかった。

 おまえの豪胆さに惚れこんだ結果、おまえを安陽のみにく政治まつりごとの世界に引き込んでしまった」


「いや、将軍と義兄弟の契りを結んだ日から、おれの命は将軍にあずけている。

 他の男たちも、おれに命をあずけてくれている。

 峰さんも、得体の知れない女の誘いに乗った時に、その危うさは承知の上のことだろう。


 だが、麗は……。

 麗は、甘い菓子食いたさに笛を吹いただけだ。

 あれを危険な目に合わせることは出来ない」


「もちろん、おれもそのことは重々に承知している。

 あの可愛いお嬢ちゃんに、髪の毛一筋の傷も負わせられるものか。


 禁軍の兵とおれに味方するするものたちを総動員して、いまおれが袁家に襲いかかれば、すべて解決する話だ……。

 だが、英卓、そうできない訳がある」


「その訳とは?」


「承家と袁家が全力でぶつかり合えば、その戦いに、安陽の民も巻き込まれ、多くのものが怪我を負い死ぬことになるだろう。


 そして、負けが見えてくれば、袁開元は安陽の街に火を放つことは必定。

 なんとしても、それだけは避けたい。

 それはもちろん、安陽の民のためでもあるのだが、いずれ天子となる第四皇子に、焼け野原となった安陽を見せることは出来ないのだ。


 いま、袁家の兵を削ぐことを画策している。

 袁家の横暴に愛想をつかしたものがぞくぞくとこちらに寝返っている。

 袁開元の首を刎ねるには、あと少し……。

 あと少し、待つしかない」








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