206 亜月、峰貴文を捕らえる・その6



「宰相さまに向かって、なんてこと言う!」


 横に立っていた男の棒が振り下ろされた。

 だが、舞台で鍛えた貴文の俊敏さのほうが勝った。


 正座したままの彼が体をひねると、男の振り下ろした棒はむなしく宙を裂き床を叩く。しかし、主人の前で仲間が恥をかかされたことに激怒したもう一人の男が振り下ろした棒は、さすがの貴文も同時には避けきれなかった。


「この命知らずの馬鹿者が!」


 バシッという鈍い音とともに背中を打たれた彼が、その痛さに「うっ!」と唸って体を折る。

 開元の後ろから姿を現した亜月が、鋭く言った。


「おまえたち、やめなさい。

 この男には、これから訊かねばならぬことがあるのです。

 今はまだ、殺すわけにはいかない。

 この男をきつく縛りあげて、おまえたちは下がっていなさい」


 その言葉に、男たちは主人である袁開元の顔を見た。

 いつもであれば、「斬首だ、斬首だ!」と叫び出す袁開元が、黒ずくめの老婆の言葉に素直に頷いている。





****** 


「亜月、おまえに頼まれていた白い髪のおなごについて、いろいろと調べたぞ。


 この数年前より、承宇項が弟のように可愛がっている……。

 ええと何と言ったか……。

 そうだ、確か、荘なんとかという名前の男の妹だということだ。

 はて、おなごの名前はなんと言ったか?」


 開元は何度も言葉に詰まった。

 毎日、朝から浴びるように飲む酒の毒は彼の思考を犯し始めている。

 貴文が叫んだ。


「あんたたちの汚い陰謀に、白麗ちゃんを巻き込まないで」


「ええい、煩い。黙らぬか」


 話の腰を折られた開元は足をあげて、縛られている貴文を蹴倒した。

 それでも怒りは収まらず、貴文の顔を踏みつける。

 さりげなく開元の前に体を滑り込ませて、亜月が言う。


「開元さま、おなごの名前は、峰貴文が言うように白麗でございましょうか?」


 開元の足が貴文の顔から離れる。


「そうだった、おなごの名前は、白麗だ。

 笛を吹くのが上手いが、髪が白くて喋れないとか。


 あの日におまえも見たであろう。

 なかなかによい顔立ちをしたおなごで、副妃のところの第四皇子がご執心だということだ。

 第四皇子のやつめ、まだガキの癖に色づきおって」


 再び逸れていく話を、子どものあやす母親の忍耐強さで亜月は引き戻した。


「開元さま、その荘なんとかいう男は、何ものでございます?」


「慶央から来た若造だ。

 白い髪のおなごを使って、承宇項にうまく取り入ったようだ。

 いや待てよ、薬種問屋のジジイが荘家の兄妹を慶央から連れてきて、承宇項に引き合わせたのだったかな。

 

 ええい、もうややこしくてかなわぬ。

 いちいち、覚えてなどいられるものか。


 髪の白いおなごのことなど、今の状況になんの関係があるというのだ。

 明日にも承宇項が兵を引き連れて、おれの屋敷を襲うという噂が、安陽で渦巻いている時に」


「まあ、そのような噂が……。

 恐ろしいことにございます」


 すでに知っている話を、さも、初めて聞いたかのように亜月は答えた。


 だが、袁開元が知っている以上のことを彼女は知っている。

 今回の戦いで袁家は勝つことはない。

 この事実に抗う手段を、知恵の回らぬ太った袁開元はとうの昔に手放している。

 六十年の時を経て、また承家の時代が来るのだ。





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