207 亜月、峰貴文を捕らえる・その7



 亜月の胸の内を読めない、どこまでも愚かな袁開元だった。


まつりごとと縁のない女という生き物は、気楽なものだな……。

 おれは屋敷に帰る。

 承宇項を迎え撃つ準備に忙しいのだ。

 あやつなど、返り討ちにしてくれるわ」


「そのように大変なところを煩わせてしまい、申し訳ございませんでした。

 白麗という名のおなごのことがそこまで解れば、あとはこの役者に訊くことにいたします。

 言いたくなくとも、体に訊けばよいことにございます」


「白い髪のおなごに、おまえがそこまでこだわる理由がおれにはわからんが。

 たかが役者の命だ、好きにすればよかろう」


「それでですが。

 宰相さまに、もう一つ、お願いがございます」


「うん?

 今度は、なんだ?」


「そのうちに時がまいりましたら、手練れのものを幾十人か、お貸し願えませんでしょうか。

 襲って、命を奪いたいものたちがいます」


「なんだ、そのようなことか。

 ちょうどよい、承宇項との一戦に備えて、兵を集めているところだ。

 その中から選りすぐって回してやろう。


 その時がくれば、知らせるがよいぞ。

 お互いに大暴れして、おれたちに逆らうものに、目にものを見せてやろうではないか」


 その言葉に、亜月は深々と感謝の礼をとった。


「では、宰相さま、お見送りを。

 ご武運の長久を、お祈りいたしております」





****** 


「役者の顔を踏むなんて、許せない男だわ。

 役者は、顔が命だというのに」


「峰さん、そんなに喋ると、傷が開きますよ」


 袁開元を見送って戻って来た亜月の手には、白い布と傷薬の入った小瓶があった。

 それを使って、開元に踏みつけられた貴文の顔の傷の手当てをしている最中だ。


「でもさっき、亜月ちゃん。

 あたしの体に訊くって、あの豚に言っていたじゃない。

 傷の手当をしても、無駄になるんじゃないの?」


「うふふ……、それは大丈夫。

 峰さんの大切なお顔には傷つけないようにします」


「いったい、そこまでして、あたしに何が訊きたいと?」


「白麗のこと」


「あらあ、それなら、こんなめんどうなことをしなくてもよかったのに。

 いくらでも話してあげるわ。

 白麗ちゃんって、それはそれは可愛らしい女の子で、笛が上手で……」


「峰さん、わたしが知りたいのは、そのようなことではないのですよ。

 なぜに白麗の吹く笛の音が、開元さまとわたしの行く手をことごとくはばむのか? 


 北方に追い払っていた承宇項が、突然、安陽に戻って来て禁軍の将に返り咲いたのも、もとをただせば、白麗が笛を吹いたから。

 そして、最近の天子さまの変わりよう。

 何よりも、あの日の正妃殿での木々の葉の乱れ散ったさまは、尋常ではありませんでした」


「ああ、父が夢に出てきたってのは、こういうことだったのねえ。

 でも、なにも話せないわ。」


「ということは、やはり、知っているということですね。

 峰さんは口の堅さに自信があるようですが、そういうものの口を開かせる方法については、わたしも詳しいのですよ」


「亜月ちゃん、白麗ちゃんの真の姿を知ってどうしたいと?」


「袁家の滅亡は風前の灯火です。

 しかしその前に、その原因を作ったものにどうしても一矢報いたいのです。

 でないと、峰さん。

 狂人の奥さまに十五年仕え、その後、顔を焼き指の骨を折ったわたしの十年は、いったいなんであったのでしょう?」






(<亜月、峰貴文を捕らえる>、終わりです)

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