202 亜月、峰貴文を捕らえる・その2
久しぶりに見る袁開元は、以前にも増してますます太っていた。
天子の前にひれ伏したあの日より、彼は美食と美酒、そしてたぶん美女たちとの戯れに逃げているに違いない。
聞かなくても、その体を見ただけで亜月にも想像がつく。
「兄上は、まるで豚ようだ」と、常々正妃は陰口を言っていたが、もし正気に戻った彼女が今の開元を見たならば、「兄上は、とうとう豚になってしまった」と言ったことだろう。
もともと汗かきな男だったが、不摂生な生活はますます彼を汗まみれな男にしていた。
着物のそこかしこに浮いて出た汗染みがまるで模様のようだ。
太った体に寸法の合わなくなった着物は、縫い目が綻んでいる。
これが、青陵国の宰相の地位にある男の姿とは……。
近づくとなんやら臭ってきそうで、亜月はさりげなく袖口で鼻を覆った。
しかし元奴婢であった女の無作法も、開元の目には見えなくなっている。
彼にはいまの状況を打破する知恵の欠片もない。
「おお、亜月、会いたかったぞ」
重たい体をゆすって小走りに駆け寄って来た彼は、亜月の手をとって引き寄せた。
「それで、祥陽は……。
正妃さまのお体の具合はどうなのだ?」
「宰相さま、残念ながら、正妃さまのご容態は芳しくございません。
毎日、ほとんど寝て過ごされています。
お口に入れるものも、薬湯のみとなってしまわれました」
「なんだ、おまえがわざわざ会いたいなどという文をよこすから、朗報だと期待したおれは浅はかだったということか」
心底がっかりしたという声で言うと、開元は亜月の手を離した。
これ幸いと、亜月も手を袖の中に引っ込めて、男の汗の湿りを拭う。
「医師と薬師は、いったい何をしているのだ。
正妃さまを治せないようであれば、おまえたちの首は刎ねると言ってあるのだが。
あいつたちは命が惜しくないとみえる」
この男にこれ以上勝手に喋らせても、その口から出てくるのは愚痴だけだ。
威厳も貫禄もない男に礼をつくす時間ももったいない。
さっさと要件を済ませたほうがよい。
「宰相さまは、峰貴文というものをご存じでしょうか?」
「峰貴文……? 何者だ?
もしかして、正妃を治すことの出来るどこぞの医師か?」
「いえ、市井の小さな芝居小屋で演じております役者にございます」
「このおれが役者の名前など知っているわけがない」
「その貴文という男が、先日の白い髪のおなごの杖刑騒ぎの時に、禁軍の兵士の中に紛れ込んでおりました。
その男とは顔なじみのゆえに間違いございません」
「おお、なんと。
役者風情が畏れ多くも禁軍の兵士の中に紛れ込んでいただと。
それはすぐにひっとらえて、承将軍を懲らしめよう」
「いえ、それはきっと承将軍も承知の上でなしたこと。
であれば、もう証拠となるものはないかと思われます。
それよりも、わたくしには、白い髪のおなごと峰貴文と承将軍には深い関りがあるように思われるのです。
あの日の出来事は、偶然に起きたことではありません。
きっと、承将軍の謀略でございましょう。
どうか、そのあたりをお調べくださいませ。
その間に、わたしは竹林屋敷に峰貴文をおびき寄せて捕らえておきます」
「よし、わかった。
さっそく手のものに調べさせよう……。
はて、誰に調べさせようか?」
しかし彼の頭に浮かぶ袁家の忠臣たちの顔はどれも、些細なことで過去に首を刎ねたものたちばかりだった。
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