189 亜月の過去・その8



「お坊ちゃま……。

 お許しください、言い間違いました。

 開元さま」


 平伏していた男の一人が顔を上げた。


 額に吹き出た脂汗が彼の顔を伝い、ぽたりと鼻の頭から流れ落ちる。

 女の尻を追いかけるしか能のないぼんくらな若造だと、今の今まで侮っていた開元の真の姿を見せつけられた。

 新しい主人の機嫌を損ねては、命がいくらあっても足りない。

 声が震える。


「ところで、この屋敷の奴婢たちはいかがしましょう?」


 この屋敷の存在を知る袁家の重臣である自分たちの首はなんとか繋がったが、奴婢たちはそうはいかないだろう。


「何人いる?」

「十人ほどにございます」

 別の男が答えた。何か喋らないと、乾いた舌が上顎に張りつきそうだ。


「今さらなぜ、そうようなことをおれに聞くのだ?」

 男たちには、その問いの意味がわからない。

「えっ?」


「ここに来るまで馬車で通った竹林だがな」

「えっ?」


「死臭がぷんぷんしていたぞ。

 十五年の間に、ここの秘密を知るものを、いったい何人、殺して埋めた?」


「そっ、そっ、そのようなことは決して……」


 その狼狽えように、図星だったのかと開元は思った。

 彼としては、はったりをかけたつもりだったのだ。


 それにしても、今まで自分に対して鼻もひっかけようとしなかった父の重臣たちが、米つきバッタのごとく、ぺこぺこと頭を振っているさまは見おろしていて気分がよい。


「別に責めている訳ではない。

 このおれにまで隠し通した秘密だ。

 そこまでしないと守り通せなかっただろう」


「ありがたいお言葉に存じます」

 

「そうだ、許してやると言っているのだ。

 有難く思うのだな。

 では、新しい主人となったおれから、おまえたちに初仕事を命じることにする。

 奴婢十人の首を刎ねよ。

 あと十人の首を刎ねるくらい造作もないことであろうが」


「えっ……、も、も、もしかして、開元さま。

 わ、わ、わたくしたちのこの手で奴婢の首を刎ねよと、仰せられるのでございますか?」


「おまえたち以外に、他に誰がいるというのだ?

 おお、そうだ、いいことを思いついた。

 筆よりも重いものを持ったことのないおまえたちだ。

 十人も殺したあとに、鍬で竹林に穴を掘らせるのは忍びない。

 奴婢たちの首を刎ねたら、この忌まわしい屋敷に火を放つとよかろう。

 なにかも焼き尽くして灰にしてしまえ」


 色を失くした互いの顔を盗み見してから、やっと彼らの口から言葉が出た。

「開元さま、仰せの通りにいたします」


「そうだ、今後、おれからの命令は絶対だと心せよ。

 言い返すことは、許さぬ」


 そう言った開元は、父と並べて寝かされた女の亡骸の傍まですたすたと歩み寄った。そしてしゃがみ込むと、おもむろにその顔を覗き込む。


「あとは、この女のむくろの始末を考えれば、いいのだな……。

 白髪の混ざった頭に、瘦せこけた頬。

 おれの覚えている母上とは、まるで違う女だ。

 そのうえに、父上を殺めたというのに、笑ってやがる」


 立ち上がった開元は、母のむくろを足で蹴り飛ばした。


「俺の母上は、十五年前に墓の中に入った。

 この女が母上のはずがない。

 この屋敷とともに燃やしてしまえ」


「開元さま!」

 その時、自分たち以外に誰もいないと思っていた部屋の隅から、よく通る女の声がした。

「そのお方は、間違いなく開元さまの母上さまでございます!」








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