159 承将軍、杖刑王妃と対決する・その6



 自ら首を切って死んだ宦官の死体を、血だまりでくつが汚れるのも厭わず改めていた承将軍だった。

 彼は背中を向けたまま、後ろに立つ英卓に言った。


「惜しいことをしてしまったな。

 生き証人となるものをむざむざ死なせてしまった。

 こうなれば、お嬢ちゃんを連れて行った偽宦官を生きたまま捕らえて、黒幕について白状させねばな、英卓」


「はっ、将軍。心得ております」


 英卓の返事に、立ち上がった将軍は満足げに頷く。

 そして、這いつくばっている若い宦官を見下ろし、その尻を血で汚れた履の先で蹴った。


「この男は、牢に入れておけ。

 今回は、欲に駆られて何も知らぬまま手伝っただけかも知れぬが。

 しかしな、見てみろ、この顔は生まれつきの悪党だ。

 少々手荒くその体に聞けば、今までに重ねてきた諸々の悪事を白状することだろう」


 その言葉に二人の兵士が素早く動き、宦官を引きずって行った。

 彼らと入れ替わりに、副妃の元へ行く侍女たちを見送った千夏が部屋に戻って来た。


「お兄さま、英卓さま。

 早く、白麗お嬢さまをお探しして、お助けいたせねば。

 どこでどのように心細い思いをされているのかと考えれば、心配でなりません」


 気丈夫に振舞っているように見えて、胸の前で握りしめた細い指先が震えている。


「いや、千夏。

 このおれも安陽に戻ってから、ただ手をこまねいていた訳ではない。

 情報を収集し、いたるところに息のかかったものを忍び込ませている。

 お嬢ちゃんの連れて行かれたところは、正妃宮だ」


「まあ、やはり……。

 最近の正妃さまは常軌を逸せられていると、噂では聞いておりますが。

 偽宦官を仕立てて、白麗お嬢さまをかどわかすほどとは。

 正妃さまの杖刑は、命を落とすものがいるほどに厳しいとか。

 なおのこと、早く参りましょう」


「千夏の言うとおりだ、急ぐに越したことはない。

 ここには数名の兵士を残して、あとのものはおれに続け。

 正妃宮には、気性の激しい正妃と人ではない狡猾な老婆がいる。

 そして、後ろには宰相の袁開元。


 些細な落ち度が、この一年をかけて練りに練った計画を水泡に帰す。

 気を抜くことは許されないと思え」


「将軍!」

「将軍!」


 腹の底からの声を上げて、兵士たちは揃って拱手した。







 承将軍と並んで先頭を歩いていた英卓だったが、将軍に軽く頭を下げるとその歩みを緩めた。

 後ろをついてくる千夏が気になった。


 今回のことは彼女にはなんの非もない。

 宇項と英卓の立てた計画に沿って、彼女は白麗に参内を勧めた。

 しかしながら、千夏は責任を感じると言い、けなげに振舞っている。


 千夏の横に立つと、その歩みに合わせながら英卓は言った。


「千夏さま、麗については心配無用です」


「いえ、わたしが参内を勧めなければこのようなことには……」


 足をもつらせた千夏の体が大きく傾いだ。

 彼女の肘に手を伸ばしてその体を支える。


「あれは、妙に運がよい。

 いや、運というより悪運というべきだな。

 慶央でも危ない目に合ったが、不思議と無事に乗り越えてきている。

 今回も大丈夫だ。

 あれを一番よく知っているおれが言うのだから間違いない」


「まあ、悪運だなんて。

 なんて酷いお兄さまなのでしょう。

 でも、わたしを気遣ってのお言葉、嬉しく思います」


 英卓を見上げた千夏の蒼白な顔に、かすかな血の色が差した。








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