152 杖刑王妃、白麗を捕らえる・その9 



「正妃さま、この女がこのようなものを持っておりました。

 天子さまのお心を惑わしたあやかしの笛と思われます。

 どうか、こちらもお改めください」


 ぎょくの腕輪を差し出した宦官が、今度は、その手に細長い錦の袋を載せてうやうやしく差し出した。今朝、荘家の屋敷を出る時に、萬姜が少女に背負わせてやった愛笛〈珠炎〉の入った錦の袋だ。


 宦官の言葉に頷いた正妃は、再び、傍らの侍女に視線を移す。

 音もなく侍女は動いて宦官から錦の袋を受け取り、それを正妃に渡した。


「これは見事な……」


 錦の袋を見て、思わず漏らした言葉のその後を、正妃はかろうじて飲み込んだ。


 宮城のある安陽に住む正妃から見れば、青陵国の南の端にある慶央は辺鄙な田舎町だ。江長川の水利がもたらす交易によって、安陽に負けず劣らず栄えている街だとは、行ったことも見たこともない彼女は知らない。


 その慶央一の呉服商・彩美堂の店主が、安陽に旅立つ白麗に餞別として、店の名前を賭けて誂えた錦の袋だった。毒蛇とのあだ名された狡賢い園剋に彩美堂を潰されそうになった時に、少女は店主を助けた。

 見事でない訳がない。


 それは生まれた時から、ぜいの中に身をおいて育った正妃の目にもわかった。


――素性卑しい田舎町の小娘ではなかったのか? 

 このわたしが情勢を見誤ったとでも?――


 高揚感に酔っていた正妃の背中にぞくりと冷たいものが走る。

 しかし、気を取り直し胸を張る。

 投げた賽子さいころの目を変えることは、正妃である彼女にもできない。


「天子さまのお心を惑わした笛のあやかしを、このわたしが見破ってみせようぞ」


 この笛の音を聴いてから、天子が安眠できるようになったという噂は、正妃の住む宮にも漏れ伝わっている。

 その日から天子の訪れが途絶えた彼女にとっては、まさしくこの笛は妖そのものだ。


 袋から出てきたのは、美しい小ぶりの名前のごとく赤い横笛だった。

 その軽さは竹ではなく、その光沢は金属でなく、その美しさは玉でもない。


 その不思議に、まさしくあやかしの正体を見たと正妃は思った。

 笛を錦の袋に戻すと、彼女は傍らに立つ侍女に言った。


「厨房のかまどの焚きつけにしてしまえ」


「正妃さまの仰せのままに」


 侍女は笛を受け取ると、数歩、後退った。

 そして、この場から離れることのできる安堵を気取られぬように踵を返す。


 居並ぶ仲間の侍女たちの、すがるような羨ましそうな視線が彼女の背中に突き刺さる。

 

 もう少しすれば、杖刑の数を数える宦官の声と少女の断末魔の悲鳴が、この正妃宮に響き渡ることだろう。

 天子さまの前で笛を吹いた不運で命を落とす少女と、明日は正妃の悋気に触れ杖刑台で命を落とすかも知れない自分とが重なる。

 誰もそのようなものは見たくない。


「女、顔を見せよ」


 正妃の言葉に、砂利の上に押さえつけられていた少女の顔が引き上げられた。

 金茶色の瞳が怒りに燃え、いまにも飛びかかってきそうだ。


「恐れを知らぬものが。

 その美しい顔で、多くのものをたぶらかしてきたことだろうが、わたしには通用せぬと思え」


 正妃が言い終わると同時に、生温かな一陣の風が正妃宮の屋根の上を吹き抜けたが、気づいたものはいない。










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