151 杖刑王妃、白麗を捕らえる・その8




「逃げようとしていた不審なものを捕らえて調べてみましたら、腕にこのような身分不相応な腕輪を嵌めておりました。」


 白い玉砂利の上についた膝で、ずるずると数歩にじり寄った宦官が言った。

 彼の高く揃えて差し出した両掌の上には、先ほど彼によって白麗の腕に嵌められそしてすぐに抜き取られた、美しいぎょくの腕輪が載っている。


「もしや、盗まれたという王妃さまの腕輪ではないかと。

 正妃さま、どうか、お改めください」

 

 彼の被っている布帽子は頭から滑り落ちそうなほどに歪み、その下の顔には遠目でもわかる赤く腫れた細い傷がある。

 鼠色のお仕着せの襟元もだらしなくはだけていた。


 その後ろには、左右から二人の宦官に腕をとられ、白い頭が砂利につくほどに押さえつけられている少女がいた。


 押さえつけている宦官たちの着ているものも乱れに乱れている。

 そのうえに、一人の宦官にはその手の甲に、血が滴るほどの傷があった。

 引っ搔き傷なのか、はたまた噛みつかれたものなのか。


 押さえつけられてもなお、少女の肩が激しく上下している。

 捕らえられる時にかなり激しく抵抗して、息が上がっているようだ。

 それでもまだ押さえつけられた頭をあげようともがいていた。


 ――命知らずの、愚かな小娘が――


 部屋の出入り口階段の上に立って少女を見下ろし、正妃はそう思った。


 身に覚えのない罪であろうと、正妃づきの宦官に抵抗するものなどこの後宮には誰一人としていない。ましてや、彼女の前に引き出される時には、これから起きる恐怖に気の弱い宮女は気を失っている。


 逃げ場を失った兎をいたぶる狐のように、正妃の目が細められた。 

――これから見る地獄を、思い知るがよい――

 

 この数年、自分のものであって自分のものでないような体と頭だった。


 常に宙に浮いているような体は、濃い霧に包まれているようで実感がなく、汁物に浮いた豆腐のように、頭はいつもゆらゆらと揺れていた。


 それがいま、血が激しく全身をめぐる音を耳の奥で聴いた。

 瞼の裏が赤い血の色に染まる。

 生きているという実感に、髪の毛が逆立ち沓の中で足の指が反り返る。


 飢えた狐はおびえた兎を食って胃袋を満たすが、狂い始めた彼女の心は人の恐怖を食って、おのれの心の闇をしばし忘れる。


 正妃は横に立つ侍女に視線を移した。

 その一瞥だけで侍女の体がすっと動く。

 侍女は宦官より玉の腕輪を受けとると戻ってきて、女主人に差し出した。


「間違いないように思われます」


 侍女の言葉に、正妃も頷いた。

 腕輪を持ち上げて、陽にかざす。

 乳白色の玉は透けるように輝き、散った薄桃色の斑点は、明け方の消えゆく前の星のようだ。


「これは、わたしが後宮に嫁ぐ時に天子さまより下されたもの。

 天下に二つとない美しいぎょくの腕輪と聞いている。


 宝物として長く大切に仕舞っていたが、今朝、不思議に懐かしく思い出された。

 それで、久しぶりに身に着けようと、卓の上に置いていたのだが。

 それが、ほんの少し目を離した隙に盗まれたのだ」


「さようにございます、正妃さま」

「さようにございます、正妃さま」


 居並ぶ宦官と侍女たちが一斉に唱和した。

 






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