117 六十年ぶりの再会・その3




 部屋の開き戸二枚が、外に開け放たれる形で勢いよく開いた。

 冷たい外気が流れ込む。

 新鮮な風に煽られて炭が燃え上がり、赤い炎が高く舞う。


「白麗!」


 声変わり前の少年の澄んだ甲高い声が響いた。

 その後に、これは聞けばすぐにそれとわかる、宦官特有の大人の男の甲高い声が続いた。


「第五皇子のお成りぃ――」


 その声には感情というものがなく、そのうえに不自然に間延びしている。

 自分の先触れより先に戸が開いたのも、第五皇子の発声があったのも、自分の職務怠慢ではない。言外にそう言っている。

 気まぐれな主人に仕える宦官ならではの知恵だ。


 しかし、ここは承将軍の屋敷であって宮中ではない。

 まして身分の上下を忘れて、気安く名前を呼び合った宮砂村の夏の浜辺でもない。


 第五皇子がなぜここにいるのか。

 承将軍以外のものたちは驚いて礼も忘れ、突然現れた第五皇子の顔を見つめた。


 英卓の横に立っていた白麗も、皆と同じく皇子を金茶色の瞳で見つめた。


 言葉を理解するのが不自由な彼女には、いつまでも続く大人たちの挨拶は退屈なだけだ。

 そこへが現れて、なぜか気安く自分の名前を呼んだ。

 白い美しい顔に笑みが浮かぶ。






「白麗、……だよね?」


 ああ、違う……。

 もっと気の利いたことを言おうと考えていたのに。

 自分はこの半年、白麗の顔を忘れないようにと、一日に何度もその顔を思い出すようにしていたのに。


 白麗の記憶が長く持たないということは、英卓の言伝として、伯父の承将軍から聞かされていた。しかし聞いて知っていることと、自分を覚えていない白麗を目の前で見ることは別だ。


 再会の喜びに輝いていた皇子の顔がぐしゃりと崩れて、泣き顔寸前となる。

 だが、かろうじて耐えた。

 自分の喜怒哀楽が周囲に及ぼす影響を、彼は幼少の時から知っている。


 一歩前に進み出た英卓が深く揖礼し、第五皇子に言った。


「第五皇子、お久しぶりにございます。

 今日は、承将軍のありがたきお招きにより、一同、揃って参上いたしました。

 ここで第五皇子にお会いすることが出来ようとは、まことに恐悦に存じます」


 そして揖礼を解き、横に立っている白麗の肩に手を置いた。


「この白麗は生まれつきに言葉と記憶が不自由な身。

 しかし、その想いは我々と同じ。

 宮砂村で皇子と泳いだ楽しい思い出は、心の奥深くに仕舞われております」


 英卓の丁寧な物言いに、自分の皇子という立場を自覚した皇子が鷹揚に頷く。

「おいおい、英卓よ」と手を振りながら、承宇項が二人の会話の間に割って入った。


「ここは宮中ではない。

 そのような堅苦しい物言いはしなくともよいぞ。

 我が屋敷に来た時は、第五皇子もおれの可愛い甥の一人なのだからな」


 そして細い目をいっそう細めて、言葉を続けた。


「皇子、この伯父がよいことを教えて差し上げましょうぞ。

 女子というものは、少々物忘れのよいのがちょうどよいのです。

 世の中の女子というものは、なぜか昔のことをいつまでも憶えている。

 そして機嫌を損ねると、その昔のことを昨日あったことのように言い出して、男をねちねちと責める。

 これがまことに厄介でな」


 その言葉に、身に覚えのある男たちがどっと笑った。







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