058 <荘新家>の名、安陽に轟く・4



 言葉の不自由な美しい少女の麗玉は、この世の誰よりも一途に兄の英之を慕う。

 実直な英之は美しい妹の想いに応えて、この世のすべての災難から麗玉を守り抜くと天と地に誓う。


 舞台下から見上げるもの皆、その二人の姿に家族を重ねて涙した。


 しかし麗玉の美しさは、極悪人・赤キツネの目に留まる。

 赤キツネは言葉巧みに麗玉に仕える若い女中・桃鈴をだまし、麗玉をかどわかすことに成功した。


 赤キツネに扮する貴文が、舞台狭しと軽やかに動きまわる。


 端正で色白な顔をさらに化粧で真っ白に塗っていた。

 切れ長な目を囲む青と黒の隈取りは、邪悪そのものだ。

 結っていない長い黒髪が、激しい動きに合わせてさらさらと舞った。


 時に、憎々しげな表情で見得を切り、客席に向かって流し目をくれた。

 そのたびに、芝居小屋が揺れるほどの黄色い歓声が沸き起こる。


 赤キツネがかどわかした麗玉を言葉で弄び、不埒なことをしかけようとする。


 舞台を見上げる女たちは、自分が麗玉となった姿をうっとりと夢想する。

 貴文にいたぶられ不埒な行為に身を任せられたら、どんなにいいだろう……。

 歓声は悲鳴となり溜息となる。


 やがて芝居は最終幕となった。

 英之は仲間の魁鉄と徐祐の二人とともに、麗玉奪還のために赤キツネの根城に討ち入る。


 しかし多勢に無勢はいかんともしがたい。


 もはやこれまでと三人がともに死を覚悟した時、噂を聞きつけ義憤にかられた腕に覚えのあるもの達が、次々と助太刀に現れた。

 同時に、芝居小屋は興奮の坩堝るつぼと化した。


 自分の犯した罪を謝りつつ麗玉をかばって死んだ桃鈴の働きもあって、英之たちは赤キツネを討ち果たし、無事に麗玉を助け出すことができた。


 しかし芝居はそれだけでは終わらない。


 英之によって刎ねられて舞台の真ん中に飾られた赤キツネの生首。

 白い顔にまといつく血を吸って濡れた長い黒髪。

 かっと見開いた目。

 歪んだ口元からはちろりと舌が覗く。


 本物を思わせるおどろおどろしさ……。


 鳴りやまない拍手に促されるように満員御礼の挨拶に出てきた貴文を見て、「あれは作りものだ」と見物客は我に返り、いっそう惜しみなく手を叩いた。






 英卓と堂鉄・徐平の三人は、五日間を牢の中で過ごした。


 関景の言葉通りに、詮議らしい詮議を受けることはなかった。

 特別に用意された美味くて温かい食事と、柔らかな寝床。

「牢の中で不自由したのは、女を抱けなかったくらいだ」と、あとで英卓が笑いながら言った。


 五日目の朝に、三人は裁きの場に出された。


『このたびのこと、世間を騒がす愚挙ではあったが、かどわかされた白麗なるものを想う兄としてのその心情には、役所として配慮するものあり』


 もちろんその無罪放免には、沈老人の大枚な金子と公には出来ない人脈がおおいに物を言ったのだが、峰貴文の芝居もまた一役買った。


 英卓たちを罰すれば、腐敗したまつりごとへの安陽住民たちの不満が爆発し、暴動となるおそれがあった。





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