049 英卓、黒イタチより白麗を奪還する・3



……黒イタチのお頭が、明日に備えて、珍しく見張りを立てたか? 

  いや、それはないな……


 当の昔に、ここの規律は緩んでしまっている。

 酒が飲めると知って、誰が見張り役の貧乏くじを引くものか。


 とすると、役人か。

 ついに役人が捕縛に来たか? いやそれもあり得ない。

 袖の下をたんまり握らせたやつらのすることは、こちらに全部筒抜けだ。


 青白い月の光から身を隠すべく、宝成は塀にぴたりと張り付いた。

 そして塀の向こうの気配に聞き耳を立てる。







「討ち入る合図とともに、篝火と松明にいっせいに火を灯せ。

 逃げ出してきたものは容赦なく切り捨てよ。

 野盗の下っ端の一人まで、生かして逃がすな」


 押し殺した声だが、若く張りがあり威厳がある。


「宗主。すべて承知!」


 それに答えた声は短いが、腹の底に響く気迫に満ちていた。

 狡さだけが取り柄の小悪党の宝成にさえ、動じぬその声の主がいくつもの修羅場をくぐり抜けて生き抜いた男だと即座に想像出来た。


 再び、若い声が言う。

「黒イタチ殲滅と麗の救出の二手に分かれて、突入する。

 侵入経路の確認は大丈夫だな?」


「抜かりがあるものか。

 英卓よ、銀山の傭兵であったころを思い出すな。

 まさか、安陽でも、ともに刀を振るう日が来るとは」


「蘇兄がいれば百人力だ。頼りにしている」


「いやいや、荘新家の精鋭、そして、沈家の強者たちに峰さんが集めた腕利きのものたち。これだけいれば、地獄の鬼も裸足で逃げ出すだろう。

 それにしても酒盛りとは暢気なものだ。

 峰さんが仕入れた情報によると、黒イタチのやつめ、手下を酔い潰して、一人、金をもって逃げ出す算段だとか。

 こうなってしまえば、間抜けを通り越して哀れでもあるな」


「いくら金があっても、離れた首と胴を繋げるのは難しいと思うが……」


 この場にそぐわない明るい声だ。そのうえになんやら楽しそうだ。

 重々しい男の声がそれに答えた。


「徐平、おまえはまだ若いのだ。命だけは粗末にするな」






 

 宝成は音を立てぬようにゆっくりと後ずさった。


……荘家のものたちが、あの髪の白い女を取り戻しに来たのか。

 それも武装した大勢を引き連れて。

 いったい荘家の生業はなんだったのだ? 

 田舎の金持ちお坊ちゃんという梅鈴の言葉を鵜呑みにして、確かめようとしなかったのは迂闊だった。

 はやく、お頭に知らせなくては……


 そこで、宝成の足が止まった。

 蘇兄と呼ばれていた男が言っていた言葉を思い出した。


……手下を酔い潰して、一人、金を持って逃げ出す算段だと。

 お頭のやつ、最近、やけにに機嫌がよいと思ったら、そういうことだったのか……


 梅鈴を呪い黒イタチのお頭を呪い天を呪い、そして生まれて初めて、宝成は自分の浅知恵を悔やんだ。


……いまさら、お頭に義理立てすることもないな。

 それに、知らせたところで、状況が変わるわけもない。

 くそ!

 あの髪の白い女のせいで、このざまだ。

 どうせ死ぬのなら、あの女を道連れにしてやる……


 くるりと身を翻すと、本堂を目指して走り出した。

 その背中に、「篝火に火を入れろ! 松明を灯せ!」と叫ぶ声が追いかけてくる。





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