白麗奪還に集まった強者たち

020 英卓と萬姜、白麗不明の知らせに驚く・1



 荘英卓はまずい酒をちびりちびりと呑んでいた。

 いや、酒がまずいのではない。


 甘露とも思えるそのまろやかな味は、時おり慶央で、父・荘興が相伴させてくれたものと勝るとも劣らない。酒がまずいのではなく、酒を呑んでいるこの状況が、彼にとってはまずいのだとしか言いようがない。


 目の前の男は、この屋敷の主人で謝征玄といった。


 沈爺さまの事前の説明によれば、安陽で手広く廻船問屋を営み、宮中や政の中枢にも顔の利く人物だとか。しかし、不惑を越えた年齢の男であるのに、女も顔負けの派手派手しい着物を太った体にぞろりと着ている。


 まだ二十歳をいくつか過ぎただけの若い英卓には、謝征玄はナマズのような髭を生やした食えない男だとの印象だ。確かにその見かけ通りに、昼間からの酒席を楽しんでいるのか楽しんでいないのか、彼の顔と声の色にはまったく出ていない。


 横に男が二人並んでいる。

 謝征玄の商売仲間ということだ。


 名前は聞いたが、酔いのまわってきた頭では、果たして覚えていられるだろうか。同じような格好をしているので、彼らも昼間から酒を愉しめるよいご身分なのだろう。


 それにしても、目を見張るような造りの謝征玄の屋敷と庭だった。

 巻き上げた簾の下で飾り紐についた赤い玉が涼風にいたぶられ、その向こうに広がる緑色の水をたたえた池には、彩色も美しい竜船が浮かんでいる。


 慶央の父の本宅もなかなかに豪奢だったが、さすがに天子の住まわれる都・安陽だ。上には上がいくらでもあるものだと、そういうことにはうとい彼だが感心してしまう。


 あの船に乗せてやったら、さぞ、麗は喜ぶことだろう。

 あまりの退屈さに意識が飛び、英卓は慌てて目の前の謝征玄たちに視線を戻す。


 安陽での暮らしもすでに半年、この豪奢な屋敷を保つ金が、どのように廻りまわってここに集まるのか、そのからくりは彼も知っている。

 しかしそれを正そうなどと、嘴の黄色いことは小指の先ほども考えていない。


 安陽での金と情報の複雑な流れの中にいかに食い込むか、そのために彼はここにいるのだ。しかしまた、それは慶央での父・荘興の名声と沈明宥の助力と関景の知恵をもってしても、簡単に叶うことではなかった。




 美女たちの歌舞音曲を楽しみ、酌婦の嬌声を聞きながら、当たり障りのない会話を続けてもう一刻は過ぎている。

 込み上げてくる欠伸を酒とともに飲み込むたびに、英卓の目尻に涙がにじむ。


 そのたびに斜め横に座っている、補佐役の関景が睨んでくる。


 関景の齢はすでに還暦を越えている。三十年前より、荘興が慶央で総本家を立ち上げて育てるのを、年の離れた兄のように叔父のように補佐してきた。

 荘本家が押しも押されもせぬ大所帯となったいま、このまま引退すれば、慶央で楽隠居の暮らしが待っていたことだろう。


 それであるのに、人生の終わりに近くなって、都での荘新家の立ち上げに関わりたいと、英卓についてきた。男の一生を賭けた志のために、この地に骨を埋める覚悟でいるようだ。


 染みの浮いた皺だらけの顔に、薄くまばらな白髪と髭。

 しかし眉毛だけは濃く長く垂れ、時に妖怪のごとく底光りする落ち窪んだ小さな双眸を隠している。


 年の功からくる的を射た彼の助言を、英卓は心の中ではいつもありがたく思ってはいた。しかし、母親気取りで口煩い女中頭の萬姜と同じく、時には避けて逃げたいと、まだ若い彼は思う時もある。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る