019 嬉児、白麗お姉ちゃんを探す・5


 髪も着物も乱れた嬉児の姿を見て、それで取り次ぎの男が奥歯にものの挟まったような言い方をしていたのかと、允陶は合点した。


 表座敷には決して奥座敷の女子どもは通してはならないと承知していながら、このような嬉児の乱れた姿を見せられては、彼もおおいに悩み、そして允陶に引き合わせるしかなかったのだろう。


 允陶が嬉児の乱れた姿を見て初めに考えたことは、立場もわきまえずに女主人の白麗と掴み合う喧嘩をしたのかということだ。


 言葉の通じぬもどかしさゆえか、時々、白麗は癇癪かんしゃくを起す。

 しかし幼いわりには知恵の廻る嬉児が、白麗とまともに張り合うことは考えられない。何よりも、嬉児は、あの萬姜が育てた娘だ。


 なんの用事だ?……、と目で促したが、見てもわかるほどに肩で大きく息をつき、何から話してよいのかと迷っている様子。


「状況の説明と言い訳は後で聞く。まずは、何が起きたのか、それだけを一言で言え」


 妻帯しておらず子もいない彼にとって、女子どもの「結局、何が言いたいのか?」と思ってしまう回りくどい物言いは、一番嫌うところだった。


 允陶の言葉に、嬉児がまっすぐに允陶を見返した。

 子どもながらに肝の据わった瞬間だ。


「白麗お姉ちゃんがいません。お屋敷中を、何度も探しました」




 その言葉に、允陶は持っていた筆を落とした。

 さきほど書きつけたばかりの数字の上に、墨を含んだ筆は転がり、黒い滲みを作る。


 その様子に、嬉児の横にかしこまって座っていた男が、ことの重大さを察して腰を浮かす。

 允陶は立ち上がって、彼に言った。


「門を締めよ。蟻一匹、この屋敷より出すな。

 それから、屋敷にいるもの全員に伝えるのだ。白麗さまをお探し申せ。そして、普段と変わったことを見たり聞いたりしたものは、それがどのように些細なことであろうと、報告させよ。

 私は、嬉児とともに、白麗さまの部屋に行く。確かめたいことがある」




 泣き腫らした顔の梅鈴が、允陶を見てひれ伏す。それを横目で見ながら、初めて足を踏み入れる白麗の寝室だった。


 美しく高価なものでこまごまと飾り立てられていながら整然としていた。

 香木ではないよい匂いもする。その匂いに白麗の愛らしい顔を重ねた彼は、一瞬、自分の想いにうろたえた。


 三年前のまだ暑さの残る夏の終わり、高価な宝玉を扱うように抱いて、荘興が白麗を屋敷に連れ帰った。その時、人の手から手へと受け渡される運命を諦観ていかんした少女の美しく白い横顔を見て、彼の心が震えたのだ。


 まさか、この自分が、女にそれもまだ少女に、心動かされるとは……。




 探しものは目の前にあった。


 慶央で、白麗が自分の意思で屋敷を抜け出した時には、部屋になかったもの。愛笛の〈朱焔〉が錦の袋に入れられたまま、寝台の横の飾り棚に置かれている。

 ということは、あの日よりもっと悪いことが起きたのか。


 寝室から出てくると、梅鈴がにじり寄ってきて允陶の足にすがりついた。


「私は……、私は、何も知りません。今日は、萬姜さんが沈さまの屋敷にお出かけなので、忙しくて。お嬢さまのお世話は、嬉児に任せておりました。嬉児がなんと言ったか知りませんが、私の言葉が本当です。私は……、私は……」


 すがってくる梅鈴の髪の毛を左手で握ると、振りあげた右手で、允陶は女の頬を思い切り打った。そして返した手の甲でもう一度打った。

 のけぞった梅鈴が「ひぃ!」と、短く悲鳴を上げる。


 慶央では、白麗の部屋で、呆けて座り込んでいた女を正気に戻すために、その頬を打った。そして今は、言い訳を述べ立てる女を黙らせるために、彼はその頬を打った。





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