018 嬉児、白麗お姉ちゃんを探す・4



 書き付けを広げた机に向かい、允陶は算盤そろばんを弾いていた。

 そして算盤の玉の数字を読んで、かすかな溜息を洩らす。


 彼の生まれ育った家は米問屋だ。

 読み書き算盤が達者であったので、慶央の荘本家では内方の仕事をこなしていたが、人の心が読めて気が利くことで、宗主の荘興に重宝されその身近に仕えるようになった。


 慶央で、猛者三千人を束ねていた荘本家での家令の仕事は、多忙で気を抜く暇もなかった。


 そのせいで、彼はあと数年で四十路となる身でありながら、妻を娶る機会を逃した。人にそのことを問われれば、「この仕事は、お仕えする荘興さまと結婚したも同然であるゆえに」と答えることにしている。


 ある意味でそれは真実に近い。

 それほどまでに、宗主・荘興にとって彼は痒いところに届く手のような存在であったからだ。


 それが荘興の息子・英卓について遠く安陽まで来て、自ら算盤を弾き、その数字に憂うようになるとは。

 しかし、嘆いても始まらない。

 筆をとり、算盤の玉の数字を書き付けに書き足す。


 その数字は、あと三か月はこの屋敷でいまの暮らしを維持できると示していた。

 しかしその後は……。


 窮状を訴えれば、慶央からすぐに望む以上の金子きんすが送られてくることだろう。薬種問屋・沈明宥も惜しみなく援助の手を差し伸べてくれるに違いない。

 だからといってそれに甘えてはいられない。


 一刻もはやく、若宗主である英卓には、名実ともに安陽での荘新家の立場を明らかとし、それに見合う働きをしてもらわねば。


 允陶は、安陽に来てから蓄え始めた口髭を撫でる。


 今では、考え事をする時の彼の癖となった。

 陽に焼けて筋骨たくましい荘新家のものたちの中にあって、彼一人が肌の色白く、頼りなさげにひょろりとしていた。それで威厳を保つための口髭であったが、もともと毛の薄い性質であったので、それはまばらだ。




「嬉児が、允陶どのに会って話したいことがあると申しております」

 部屋の外で片膝ついた男がそう言った。


 まだ墨の乾いていない数字を眺め、眉間の皺の消えぬまま允陶は答えた。

「他のものでは、間に合わぬのか? 今日は、萬姜がいないゆえに頼ってきたのだとは思うが、確か、梅鈴とかいう女もいたはず……」


 奥座敷に住まうもの達の表座敷への出入りは、女中頭の萬姜はいたしかたがないとして、それ以外は固く禁じてある。特に、白麗と彼女に仕える嬉児と女たちには厳しく守らせてきた。


 荘家の生業は任侠だ。腕に覚えのあるものを使って、依頼主とその家族や店を警護し、揉め事の解決を頼まれれば力を持って当たる。

 そのために表座敷ではぶっそうな話が飛び交い、時に血の臭いがする。


 いずれは英卓も妻を迎え子もなすだろう。それまでには、この屋敷とは別に安陽城郭外に猛者たちの住む根城を構える必要がある。

 算盤の数字とともに、これもまた考えれば頭が痛くなる問題だ。


「それがどうしても、允陶どのに直接に会わないことには言えないと……」

「白麗さまも、嬉児とご一緒か?」

「いいえ、嬉児のみです」


 この半年間、白麗をこの屋敷に閉じ込めたままだ。

 屋敷が広いので遊び場所に困らず、また嬉児というよい遊び相手もいることもあって、気になりながらもそのままにしている。


「お嬢さまが、門のうちより、往来を物珍しそうに眺めておられました」

 時々、萬姜から聞かされる。


 みかけによらず、白麗は活発で好奇心旺盛な気性だ。なんとかしてさしあげたいものだと思いつつ、沈着冷静が着物を着て歩いていると陰で囁かれる允陶でも、構えたばかりの荘新家での仕事はあまりにも忙しかった。






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