016 嬉児、白麗お姉ちゃんを探す・2



 梅鈴は徐平に言った。

「萬姜さんに頼まれたお使いで、ちょっと出かけなくちゃいけないんです。通してくださいな」


「そうなのかい、梅鈴。

 しかし、それは聞いていないのだけどなあ。萬姜さんが出ていく時に、そんなことは言っていなかったと思うよ」


 どきりとして梅鈴は徐平の顔を見上げたが、彼は明るい笑顔のままだ。

 梅鈴は頭を忙しなく働かせた。

 この若い男をなんとか説き伏せなくては。


「あっ、実を言うと、おっかさんが病気で寝込んでいて……。具合はどうだろうと考え始めると、どうしても顔がみたくなって。

 初めからそう言えばよかったのだけど、優しい徐平さんを心配させたくなかったものだから」


 無理して心配顔になる必要はなかった。早くこの屋敷を出たいという焦りは、不安となって正直に自分の顔に出ているはずだ。

 笑っていた男の顔が同情で引き締まる。


「それは、大変だ。心配だねえ」

「ちょっと見舞いに行かせてくださいな。おっかさんの顔を見たら、すぐに戻ってきます」


 真剣な顔をして、徐平が大きく頷く。

 うまく言いくるめることが出来た……。

 徐平の横をなんなくり抜けた……と、梅鈴は思った。


 しかし、そう思ったと同時に、若い男の体がすっと横に動く。

 梅鈴の体が長身の男の影の中にすっぽりと入った。


「えっ?」と顔を上げると、彼女の体は男の持つ長槍の柄で押し戻された。


「永先生に一緒に行ってもらうといいよ。萬姜さんと永先生が、梅鈴のおっかさんについてそんな話をしていたのを聞いたんだ。

 あの先生、毎日、浮かれ遊んでいるように見えるけど、ああ見えて、慶央では名医で通っていたんだ。誰かに永先生を呼んでこさせよう」


 出かけるにあたり、萬姜が徐平を相手に抜かりなく手を打ったのだと悟った。


「あっ、いいです。別に今日でなくても……。

 私が勝手におっかさんの病状を悪い方に想像して、心配しただけだから」


「本当にそれでいいのかい? 

 梅鈴がいいと言うのだったら、おれはそれでもいいんだが」


「今日は萬姜さんがいないから、奥座敷は大忙しだっていうのに。

 私ったら、自分の心配ばかりして。ほんと恥ずかしい。

 このこと、誰にも言わないでくださいね」


 しどろもどろな言い訳を、若い娘の恥じらいと徐平は受け止めたようだ。

 彼の顔に、再び爽やかな笑みが戻る。


「わかっているよ。誰にも言わないよ。

 おれさあ、梅鈴のためにだったらなんでもするつもりでいるよ。

 困ったことがあったら、おれのことを思い出して、頼って欲しいなあ」


「徐平さん、ありがとう。その時は、お願いね」

 



 梅鈴は誰もいない女主人の部屋に戻った。

 もつれた足は、座り込むと腰が抜けたように立てなくなった。


 あの薄紅梅色の着物が広げられていた衣桁が目の前にある。

 美しい朱塗りの衣桁は、大きく両手を広げた赤い骨のようだ。それは誰もいない部屋で、いまにも彼女に襲いかかってきそうに思えた。


 一番居たくない場所だった。

 しかしいまの彼女にはここにしか居場所はない。


 取り返しのつかないことをしでかしてしまったと初めて気づく。

 両手で頭を抱えると、梅鈴は泣き崩れた。









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