015 嬉児、白麗お姉ちゃんを探す・1


  梯子を取り外して木の根元に再び隠し、梅鈴は急いで四阿あずまやに戻った。


 投げ出していた絵草子を手に取り、いかにも読んでいますという恰好をする。

 緊張と急いでいたことで上がっていた息が落ち着いたころ、弁当の入った竹籠を胸の前に抱えた嬉児が戻ってきた。

 嬉児もまた焦りと怒りで、顔を真っ赤にしていた。


 絵草子をぱたりと閉じると、梅鈴はことさらにゆっくりと立ち上がった。


「遅いじゃないか! 

 お腹を空かせたお嬢さまは、私がお止めするのもきかず、おまえを迎えに行ってしまったよ。きっと、どこかですれ違ったんだろうね。私はここで弁当の番をしているからね。カラスにでも漁られたら大変だろう? 

 おまえはお嬢さまを探してくるといいよ」


 そう言いながら竹籠をひったくる。

 言い返せない悔しさに嬉児が、涙目でそれでも気丈夫に睨みつけてきた。

 それを梅鈴は鼻の先であしらった。


「広いお屋敷だからね、お嬢さまがどこかで迷っていたら大変だよ。

 沈さまのところから戻ってきたおっかさんに、叱られたくないだろう? 

 ぐずぐずしていないで、はやくお行きったら!」


 再び、八歳の幼い子どもはばたばたと駆けていく。




 ……どのくらい時間が稼げるのだろう? 

   騒ぎが大きくなる前に、少しでも遠く、お屋敷から離れなくては……


 梅鈴は屋敷の門に急いだ。


 顔見知りの長身の若い男が長槍を片手に立っていた。

 遠くからでも、浅黒い顔に白い歯を見せて、こちらに笑いかけているのが見て取れる。


 梅鈴より一つ二つ年上と思われる彼は、常に若い女の存在が気になるのだろう。

 それを利用しない手はない。


 くだけた口調で誘いかけるように彼女は言った。


「あら、徐平さんが門番なんて珍しいこと。何かあったの?」


 名前で呼びかけられて、若い男はますます嬉しそうに笑った。

 長身で見下ろされていなければ、くったくのない笑顔は年下の弟のようにさえ思える。


「若宗主には、堂鉄兄だけがお供をして行ってしまったんだよ。昼間からの堅苦しい酒宴に、おれは必要ないらしい。それで暇つぶしで、門番を引き受けたんだ。

 まさか、梅鈴に会えるとは……、」 


 徐平は魁堂鉄とともに、いつも荘英卓の傍らにいた。彼らは英卓の失った左手の代わりを務めているのだと、萬姜から聞いたことがある。

 その時に、確かに片手だけの生活は不便だろうが、それでも、刀を携えた屈強な二人を、いつも傍らに従えておく必要があるのだろうかとは思った。


 しかし、英卓の口の悪さは恐ろしい。

 見上げるような大男で寡黙で隙のない魁堂鉄は、もっと恐ろしい。


 彼らが白麗の部屋にいる時は、梅鈴は常に身を縮こまらせて俯いていた。

 それでも、こちらをちらりちらりと伺う徐平の様子は、目の端に入る。


「……、おれの名前、知っていてくれたんだね。嬉しいなあ。」


 素直な言葉を口にする若い男は、目を逸らしたくなるほどに明るくて眩しい。






 




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