旧知の誰か (2)
外に出ると白い袋が目に入った。
ゴミ袋か……。今は全部白いんだな。
明梨がついて来ているのを見計らって歩き出す。秋も終わりに近づいているようで、やたら枯れ落ち葉が道に散乱しているのが見えた。
考えてみれば俺って自分の住んでた街の事、ほとんど知らなかった……。
区をまたいで移動するようなことはめったになかった気がする。自転車で街を探検した時、迷子になりかけたことがあった。子どもにとって、建物というのはすなわち街の迷路を構成するブロックのようなものであったと幼い日の記憶を想起する。
このスマートフォン、とかいうのには地図も入ってるらしいが……。
さっきからいじっているのだが、どうにも使い方がなかなか把握できない。悪戦苦闘していると、
「え……?」
すぐ後ろにいた明梨がいなくなっていた。辺りを見回すも姿が見えない。
どこに……⁉
一気に焦りが拡がっていく。もしあの女児になにかあれば、あの女性に申し訳が立たない。走り出して元来た道を引き返そうとしたら、
「……ッ!」
慌てて止まる。角の向こうから、小さな影が出現した。遅れて、明梨が登場。なんら不安な様子も見せずてくてく歩いてくる。
憤りかけたが、幼児の歩幅も考えずに先に歩いて行った自分が悪いと、口の中をかんだ。
こちらも歩みを再開させる。明梨を置いて行かないように、歩く速度を調節して、折々に後方を確認しつつ進んで行く。誰かに気を遣って歩く、というのは存外に体力を使うものと身に染みて、理解した。
公園に着くと、さっそく明梨が滑り台に向かって走り出した。やたら幅の広いもので、彼女と同じ年ほどの児童が群がっている。
「お、おい!」
こちらの呼びかけにも止まらずに上っていく。目的の獲物を前にしては、聞こえてすらいないのかもしれない。
舌打ちすると、近くのベンチに腰掛けた。ここは東区でも大きな自然公園なようで、広範囲に広がっている池の先は雑木林となっていた。
休日ということもあり、親子連れの幼児や小学生が走り回って遊んでいる。そののんきな光景を見れば自然と嘆息の息が漏れる。
なんで俺、こんなとこにいんだろ……。
本来の予定なら、中間試験に向けて本腰を上げて勉強に励んでいたころだろう。頭の右側面を抑えながら鬱々とした気分で今後のことを考える。
これからどうすれば……。
もう何度目になるかわからないその疑問を胸裏で唱えた。記憶を取り戻せばまたタイムリープで十五年前に戻れるのだろうか。いや、そんなはずはないと頭をかきむしる。状況はもう詰んでいる気さえした。
近くにいた子供たちが、ワイワイ騒いでいるので見てみると、なにかのゲーム機で遊んでいる。その画面の美麗さに思わず瞠目した。
なんだあれ……。今のゲーム機ってあんなに色が出せるのか。
ぼんやりそれを眺めていると、ハッとして明梨に視線を戻す。また見失っては面倒なことになる。すぐに姿を認めた。今は、回転遊具のようなものにしがみついていた。
スカートでよくもまあ……。
なんとなく滑車をすさまじい勢いで走り回すハムスターを思い出してしまった。
「あらー、今日は早馬さんが付き添いなんですか」
ギョッとして振り返ったら、中年の女性が一人いた。
「おはようございます、由希さんはお出かけ?」
話しぶりからして、由希の知り合いのようだ。自分のことも知っているのだろう。
「え、ええ……。おはようございます……」
適当に話を合わせることにした。
「うふふ、寒くなって来たわねー。学童のほうじゃ、今年、新しいエアコンがついたのよ。区の方でようやく補助が通ってね。あの灯油ストーブじゃちょっと危ない気がしてたから助かるわ。でも、そもそもこういう施設整備ってのは市が率先してやるのが普通よねえ」
どうも喋りだすと止まらない系のおばさんらしい。学童施設の職員かなにかなのだろうか。
「ハハ……」
無難に愛想笑い。その時、児童たちの甲高い歓声が上がった。
「あれは……」
「見るのは初めて? 近くの小学校で育ててるんですって」
ウサギやモルモットがもみくちゃにされている。地域交流かなにかで出張してきたのだろう。それを小学生、高学年くらいの子供たちが抱き方などを教えているのが見えた。
そういえば俺の小学校にもあんなのがいたな……。
その横を抜けて誰かがこちらに近づいてくる。
「染川さんちょっと……」
「はいはい」
別の女性の後を追って、今、話していた染川、と言う人がついて行った。
なんだ……?
気になり立ち上がると、奥の方の林近くでなにか悶着が起きている。児童たちの親と思しき女性たちが誰かと言い争っている。
相手は小学校高学年から中学生くらいの男子たちであった。
「それで他の子にあたったらどうするつもり⁉」
「あたってから文句言えよ」
悪態をつく男の子。その手に持っていたのは、モデルガン、エアガンの類と見えた。彼らが興じていた危険な遊びを察してしまった。修二も昔はやったことがあったので思わず凍りつく。
撃ち合いでもやってたのか?
プラスチックの弾をおもちゃの銃で撃ち合う遊び。あたっても痛くないように着こんでから、顔は狙わないなどルールを定めてのゲームとしてやっていたが、今になって思えばシャレにならない程危なっかしい。被害者にも加害者にもなる恐れがある。
幼児の親たちが憤激するのも当然だろう。しかし、加勢するのはどうにもためらわれる。ほんの数年前まで自分はあちら側だったのだ。
小学生くらいの男の子たちは腰が引け始めていたが、リーダー格と思しき中一くらいの少年はまだ引き下がる気配がない。ボスとして他の男子にタフなところを見せたいのかもしれない。
「公共の公園でなにしようが自由だろ」
知ったような口を叩く。その言葉に遂に足が前に出た。
「今、なんていった……?」
「あ……」
大人の男が来るとは思わなかったのか、少年の目に緊張が走る。
「公共だから、自由だとかそんなことを言ったな?」
怒りで声が震える。
「自由ってのは、自由に責任も負うってことだ! お前……君に責任が負えるのか⁉ 君が誰かを怪我させれば君の親も責任を負うんだぞ! 勝手な行動で自分の周りの人間の人生を滅茶苦茶にする覚悟があって言っているのか⁉ そんな……そんな後先も考えずに軽々しく自由なんて口にするな!」
呼吸を乱して大喝する。少年はうつむいて完全に沈黙してしまった。
「もっと危険じゃない遊びをすればいい……」
それだけ言うと、彼らも引き上げて行った。
振り返ると、目を丸くした保護者達が修二を見ていた。
「あ……す、すみません」
軽く会釈して。元いたベンチに戻ることにした。
戻り際に、明梨がこちらを見ていたことに気づいたが、目は合わせなかった。
俺ってやつは、調子のいいことを……。
本来であれば、他人を譴責できるような立場ではない、と感じている。だが、どうしてもあの言葉だけは見逃せなかった。自由な行動の結果、破滅に追いやられた部活仲間たちのことを思えば……。
染川という女性ががこちらにやって来るのが見えた。思わず、色を失いかける。出しゃばり過ぎたかと思った。
「早馬さん、お疲れ様です。ありがとうございました」
「い、いえ……。あの子たちは……」
「もう引き上げましたよ。まあちょっとかわいそうな気もするんですけどねぇ、この辺りはここ以外あまり遊べる場所がないから」
そう言うと保護者達の所へ戻っていった。
時間は正午近くになった。
そろそろ戻ったほうがいいな。あの人も帰ってくるころだろう。
明梨はまだ遊び足りないのか、同じ幼稚園の友達と思しき幼児とブランコを揺らしている。
「おい、そろそろ一旦帰るぞ」
動きを止めてこちらに首を回した。
「由希さんが待ってる」
動かない。心の奥を見透かしたような瞳に自分の顔が写って見えた。
なんなんだよこいつは……。
すると明梨は、ブランコを降りるとこちらまでやってきた。
「ママが……」
「え……? ……ああ、お母さんが待ってる」
父親が母親をさんづけで呼ぶのに違和感を覚えたのかもしれない。他の幼児と保護者達に別れを告げると帰路についた。
来た時と同じように、明梨の歩幅に合わせてゆっくり歩く。一言も口を利かずに黙々と歩くだけ。道行く人がこんな父子を見れば怪訝に思われるだろうが、四才児と話す話題などない。
こんな生活を続けてれば……。
ノイローゼになりかねないと思った。
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