フラグメンテーション

夏野南

フラグメンテーション

中学三年五月

中学三年五月 (1)

 校舎に照りつける夕日が窓から入り、ほこりを視認できるほどの光が目の前に差し込んできた。ここは三階、三年生の教室がざっと並び、直線状の廊下にはどの教室の前にも椅子が置かれている。そこの一角で、踵をつけたまま足の先で床を叩く少年が一人いた。

「遅い……」

 この学校、西浜中学校の三年生、早馬修二はいら立っていた。担任が指定した時間通りに来たにもかかわらず、すでに予定時間を一時間半も超過していたためだ。前の時間の個人面談がどうも難航しているようで、なかなか終わらない。ようやくクラスメイトの一人が出てきたのとほぼ同時に入室するよう指示する声が聞こえた。

「失礼します」

 少しばかり力を込めて開かれたドアをやや強い音とともに閉じる。

 

 遅いんだよ……!

 

 目に不満を込めて、四つに組み合わされた机に向かってずかずかと歩き、指示も待たずに椅子に腰を落とした。

 こちらのいら立ちを読み取ったのか担任の奥山政宗は、軽く悪びれたように口元をゆがめて苦笑した。

「すまん、待たせたな」

 三年になってからの担任だったが一年のころからの社会科担当であったので多少気心はしれている。だが、えりを開くような相手とも思っていなかった。

 要点だけを伝えてさっさと終わらせたい。今は一分とて無駄にしたくないのだ。

「そんじゃ始めるか」

  中学三年五月一学期最初の進路相談が始まった。


「誠心館一本か……」

 担任が提出した書類に目をやり、わずかばかり考えこんで見せる。

「正直、今の成績ではちょっと厳しいな」

「わかっています」

 無茶ではあるが無謀でない、といえるレベルだろう。誠心館高校は市内でも上位の公立高校であり特に理系学問が盛んである。

「もうやることもないので後は全ての時間を勉強に費やせます」

 もうやることは……ないのである。

 奥山は目元を閉じて、わずかな間をおいて開いた。

「わかった、こっちとしても支援していく。頑張って取り組むといい、だが受験までにはまだ時間がある、気が変わったら」

「ありませんよ」

 奥山が話し終わるのも待たず、つぶやいた。

「もう五月です。後九ヶ月もない、時間はもうありません」

「なにもそこまで焦らんでも……」

 目に力を込める。別に威嚇しているわけではなく本気度というものを示したい。

「いや……覚悟のほどはわかった、やってみるといい」

 奥山のやや呆れたような視線を背に受けつつ教室を後にした。

 

 窓の外ではソフトボール部がボールネットを運んでいた。その横でランニングをしているサッカー部と思しき下級生たちをみつけた。一年生が入ったようだが、知っている顔は一つもない。もうあそこは自分の居場所ではなくなった。

「……」

 前に向き直り強い足取りで、階段まで向かったところ、

「早馬」

 振り返る。技術科担任の小林浩介だった。パソコン部の顧問であるが、わけあって現在、サッカー部の顧問も兼任している。

「なんでしょう……」

 と返すが、用件はだいたいわかる。

「その……もう部活には出ない気か?」

「ええ……」

「そうか……まあ、受験の方をがんばるってんならしかたないが、今、三年が一人もいなくてな……」

「……」

 そう、一人もいない。みんないなくなった。

「たまには気分転換に出てみても」

「出ませんよ」

 はっきりとした声音でそう述べた。

「あんなことがあったのに……出れるわけないでしょ」

「ああ……悪かった……」

「いえ、こっちこそ……失礼します」

 陰鬱な気分のまま階段を下りて、下駄箱付近まで来ると目線が気になってきた。いぶかるようなもの、哀れむようなもの、どれもうっとおしくて仕方がない。だが、わかっている。彼らが悪いわけではない。悪いのは……。

 荒っぽく靴を取ると地面に放り、踏みつぶすような勢いで履いてしまう。時間を消耗した焦りもあり、早足で自宅まで急ぐことにした。中庭で何人かの生徒が集まりわいわい騒いでいた。一人が何かを手に持っており、それに全員が見入っている。

 

 あれは……。

 

 最近流行りの携帯電話、というやつだろう。

 

 電話なんか持ち歩いてなにが楽しいんだか……。

 

 どんなメリットがあるのか修二にはわからない。

 校門を出た先の緩やかな斜面となっている坂をそっと見た。立ち入り禁止の看板でわきの階段部分しか通れなくなっている。近所の車通勤の人たちにとってはいい迷惑だろう。

 目をそらして、歩みを再開させる。

 

 商店街手前にある鉄道駅ではなにか工事をしていた。バリアフリーがなんとかという、学校での担任の話を思い出した。新たに大型のエスカレーターを設置するらしい。

 

 もし受かれば……。

 

 それを自分も使用することになるのだろうか、などと考えてしまった。

 今、この街は変貌著しい。わけてもこの区は再開発が至る所で急ピッチで進んでいる。近所の昔ながらの金物屋や文具店などは次々と看板を下ろし、大型の量販店チェーンが進出し始めている。なくならないのはコンビニと郵便局くらいなものであった。

 人口増加に対応するためとはいえ街が姿を変えるというのは修二にとってあまり心地よいものではない。

 

 少子化なんて、嘘に思える……。

 

 横断歩道の前に着くと幼児たちが保母に連れられて一斉に横断し始めた。遠足帰りのようだが、テンション高めに嬌声を上げている。その辺を不規則に走り回り始める子が一人出ると、後に続く子が次々と出現。

 

 もう……!

 

 ぶつかってしまうとまずいのでこの青信号は見送ることにした。保母が頭を下げる、顔をそらして不満を伝えた。

 

 親はどんなしつけをしているんだか。

 

 と年寄りみたいな感想を抱いた。子どもはあまり好きではない。


 自宅に着くころには十八時を回っていた。二階の自分の部屋まで帰ってくると、バッグを下ろして参考書を取り出して机に置いた。

「その前に、やっとくか」

 けじめをつけようと思った。テレビ台下にあるゲーム機を取り出して、用意していた段ボールに詰めてしまう。ソフトもどんどん入れていく。最後にケーブル類を収納すると、段ボールを閉じてガムテープでぐるぐる巻きにしてしまった。もう受験が終わるまでは開封しない、そう誓った。

「後は……」

 スパイク、ユニフォーム、ボール。すべて大きめのナップザックに詰めて押し入れの奥深くに入れてしまった。

 いよいよ勉強にとりかかる。苦手な数学から行うことにした。

 なかなか解答が導き出せずイラつき始めたところに、ノックが響いた。

「なに⁉」

「なにとはなんだよ」

 母だった。母親の早馬美和子。

「あんた、やっぱり塾行ったほうがいいんじゃないの?」

 手になにか持っている近所の大型塾のパンフレットのようだった。

「いまなら、キャンペーンとかで安くできるみたいだけど」

 すぐそういう誘い文句を真に受ける母に呆れる。

「何度も言ってるだろ。要領よくやれれば塾なんかなくても平気なんだよ!」

 本音半分、虚勢半分といったところだった。ただでさえ学校の授業すら時間の無駄と考え始めているのに別に授業を受けるなんて不合理にしか思えなかった。

「やれてんのかね?」

「ああ……! 模試だけ受ける。それで結果見せてやんよ」

 自分自身を追い込みたくてそんな言葉を口走っていた。

「まあ、いいけど。そろそろご飯だから」

 それだけ言うと母は一階に下りて行った。

「やるんだよ……」そうつぶやいた。

 

 夕食の時間になっても頭は数学の公式が絶え間なく脳裏を駆け巡る。食事の味もわからなくなるほどだった。今日は父が早かったので、めずらしく四人で食卓を囲んだ。

 早馬家は父、久史、母、美和子、父方の祖母の史、そして修二の四人暮らしである。

「今度、隣駅の周辺に大型のテナントビルを建てるらしい。ここも開発から取り残されてばかりじゃなくなるかもな」

 父がテレビを見ながらそんなこと言う。

「快速が止まるようになるのよね」

「変わっちまったねここも……」

 祖母がお茶をすする。

「海が近いってのに御大層なもんばかり作ってさぁ、あちこちにビルが生えてりゃどこにいんのかもわからなくなっちまう。市の連中はここをニューヨークにでもしたいのかね」

 眼鏡を直してそう嘆息する。

「あたしが、十の頃はここの丘からでも東の浜まで見えたもんだが……」

 祖母の昔語りが始まった。一度こうなると、止まらなくなるので早々に食事を終えて退散することにした。

 食器を片づけてから自分の部屋に戻り、勉強再開。どうも家では集中できない気がした。しばらくするとまたノックがした。

「修二、珍しいお茶もらったんだけど飲むかい?」

 祖母だった。

「いらない! 当分俺には構わないで」

「ちょっと、おばあちゃんに向かって!」

 母もいたようで非難がましい声を上げる。

「まあまあ、集中してるみたいだし。ほっといてあげましょ」

 そういうと引き上げていった。

「ああ、もう……!」

 いちいち中断されるのがわずらわしくてしかたない。

 

 やっぱ別の場所で……。

 

 駅近くの図書館を思い浮かべた。明日からはそこでやろうと思い立った。

 二十二時三十分、少し早いが寝ることにした。八時間は寝ないと記憶は定着しづらい、となにかの本で読んだことがある。

 

 明日は朝一で図書館に行くぞ。七時に起きて、八時にまでに朝飯食べて、九時の開館と同時に……。

 

 徐々に意識がまどろんでいく。目を閉じると、もやが視界にかかった。そして……。

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