#3

「ごめんなさい」


 廊下をずんずん歩いて階段を下り、昇降口についたところですずかちゃんは手を放した。突然頭を下げられ、私は首を大きく振った。すずかちゃんは何も悪いことをしていない。『声』が聞こえないよう耳を塞ぎ、息を吸い込んだ。


「どうして、謝るの……」


 私の声はとてもか細い。簡単に誰かの声や物音に潰されるくらいの小ささだ。「もっと大きな声でしゃべりなさい」と前の学校の担任の先生に叱られてから、さらに声がでなくなってしまった。


「わたしの怒りを和斗さんにぶつけて、あなたを巻き込んでしまったからです」

 巻き込まれたと思っていなかった私は、ぽかんとした。


「その、詳細は省きますが、和斗さん。いえ、石崎さんにはわかってもらえるって思っていたんです。家が近くて幼稚園も一緒で。昔から一緒にいたから、わたしの気持ちを理解しているって……」

 二人は幼馴染みだ。だから名前で呼んでいたのだと納得した。


「いくら同じ時間を重ねても、わからないことはあると姉さんが言っていました。勝手に期待して勝手に失望したというものです。私は期待していたんだと思います」


 すずかちゃんは落ち込んでいた。

 そうだ。目の前に立つ彼女は私と同じ年齢の子どもなんだ。どこか浮いているように見えても、同じように苦しんでいる。背伸びしているように見えるだけで、根っこは変わらないのかもしれない。


「ど、どうして、期待したらいけないの!」


 自分なりの精一杯の大声は、情けないくらいに掠れていた。それでも私は息を大きく吸い込んだ。


「わっ、わたし、馬鹿だから、二人のことはよくわからないけどっ。きっと、すずちゃんは、石崎君が好きなんだと思う! 恋とかじゃなくて、その、一緒にいるから、いるからこそっ、そう思ったんだよ!」


 二人はとても仲がいいのだろう。言葉を伝えなくても大丈夫だと思えるくらい、誰も入り込めない空気ができているのだ。私が欲しかったものを持っている彼女が羨ましかった。この子は私と違って優しくて、たくさん傷ついて苦しんで戦っているのだろう。

 私が壊してしまった苦しみを、優しい彼女が知る必要なんてない。


「し、信頼しているからなんだと思う……」


 『声』がさわさわと囁く。耳を塞いでいるのに、頭を空っぽにしようと甘い声が私を塗り潰してくる。


 これは呪いだ。


 苦しいのは嫌いだ。怖くて憎くて今すぐ忘れてしまいたいのに、それを知らなければすずかちゃんの気持ちがわからなかった。今だけは忘れたくない。耳を押さえる手に力を込める。出てこないでと強く念じる。


「ありがとうございます」


 すずかちゃんの手が両手に重ねられる。あんなにうるさかった『声』が引いていく。


「優しいんですね」

「わ、私はっ、優しくなんか」


 私は酷い人間だ。大切な人を傷つけてしまうずるくて最低な性格だ。

「あなたの耳がそうなってしまった理由を、教えて頂けませんか」

 頬に雫が伝ってから、視界が滲んでいると気づいた。

「すずちゃんは、私の声をちゃんと聞いてくれるんだね」


 あぁ、そうだ。私はずっと、誰かに聞いてもらいたかったんだ。

 私の話を。

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