3.4 無責任なセリフは礫を浴びてから言えよ

 朝の校内では、〈ガニメデ〉の件で話は持ち切りだった。最初は皆、大人になったらどのイケメンアンドロイドを購入しようかと夢物語を語ったり、あるいはアンドロイド搭載のAIアシスタント依存症が増えているからダメだよと否定したり、VRコンテンツの最新作を渋谷テックモールのVRブースに体感しに行く約束をしたりと思い思いの話をしていた。しかし、ニュース速報で気が付いた数人の生徒が騒ぎ出し、そこから瞬く間に拡散したのだった。


 そのとき、わたしとひかるもわたしの席で宿題の話をしていた。ひかるが書いた「技術と社会」のレポートで、知識的な齟齬がないかをチェックしてもらいたいと頼まれていたのだ。ひかる自身もきちんと参考アーティクルや書籍を参照リファーしていたが、記憶容量不足でうろ覚えだから曲解があるかもという不安がどうにも拭えないらしい。


 意識の七割をひかるのタブレットに向けつつも、残りの三割で周囲の会話を拾っていた。


〈ガニメデ〉が。

 銃撃事件。

 反テレポーター主義者?


 最初はスマート内耳搭載の耳蓋機能で周囲の会話をすべてカットさせようかとも思ったが、野次馬根性が邪魔をした。ふと、ひかるに目をやると、ひかるは真摯にレポートを読むように見えるらしいわたしを固唾を飲んで見守っていた。


 けれども、その瞳が時折微かに揺れ動く――周囲の会話をひかるが聞いていたことは明らかだった。


 アメリカから帰ってきて以来、わたしとひかるの間でテレポーターについての話が出ることはなかった。どちらが言い出した訳でもない。でも、確かにわたしはその単語を出すことが憚られ、それはひかるも同じようだった。


 ――真弓はさ、どう思ってる訳? テレポーターのこと。


 あの日、ひかるの祖父母の真実を聞かされたあの日、彼女はわたしに問いかけた。自らの心を開き、真相を打ち明け、そしてわたしを信じてくれたひかるをわたしは裏切った。炎上を回避しようと、何とかして体面を守ろうと四苦八苦した末の過ち。


 わたしはさ、どう思ってる訳? わたしのこと。


 思うことは、本当ならいっぱいある。血のこと。加護のこと。呪詛のこと。掌の月のこと。兄のこと。ネイバーフッドからの特待生待遇。〈ゼウス〉の課した試練。未来。


 それは私生活を彩るスパイスにしては、あまりにも深く根付き過ぎた。最早テレポーターと脇坂真弓は切っても切り離せない関係にあり、わたしがわたしであるということは、テレポーターでありながら、それを隠して人間という仮面を被って生きていくことと同値である。


 そのすべてを、ひかるに打ち明ける訳にはいかなかった。少し前なら、いつかそれが出来る日を夢見ていたのかもしれない。やがては遅刻寸前のひかるを助けにいったり、高層ビルの屋上から、一緒にネオンの海の絶景を堪能したり。ひかるが知りたがっていた、テレポーターの見る世界をわたしなら教えてあげることができる。わたしはこんなにも美しい世界を知っている。わたしはこんなにも醜い世界を知っている。わたしはこんなにも月だけが昇る夜空を望んでいる。ねえ、ひかる。わたしはそういう人間なの。お願いだから、わたしが被る薄気味悪い人間の仮面を引っ剥がして、本当のわたしを見て。知って。


 そして、許して。


 クラスの空気が凍り付いたのは、その直後だった。全員が会話を止め、空気の流れが止まる。周囲を見渡すと、皆が会話をやめて教室の入り口を静かに見つめていた。わたしも視線を辿るようにしてそちらに目を向ける。


「ちょっと、皆、私の方見て、何さ?」


 湯川佳が登校してきたところだった。おどおどする彼女の頭上を小さな星がくるくる回っている。わたしは唇を噛んだ。彼女が〈ガニメデ〉のファンであることはクラスの誰もが知るところだった。


「何か言ってよ」


 佳が震える声でしゃべりかけると、立ちすくんで動けない集団の中から一人だけ、前に歩み出た生徒がいた。茉鈴だった。


「ねえ、佳。聞いて」


「どうしたの」


「今朝さ、チリで〈ガニメデ〉の会見があったの知ってるよね?」


「もちろん。〈ガニメデ〉様の雄姿をしっかり見られるよう、AIアシスタントにライブ映像の録画を頼んである」


「会見で〈ガニメデ〉が撃たれた」


 茉鈴が淡々と告げると、佳の表情がぴたりと止まった。踊りまわる星も消え、佳の肩から鞄がずり落ちた。


「悪い冗談やめてよ、茉鈴」


「冗談は言わないよ。ニュース速報でどこもやってる」


「嘘!」


 佳は大きく顔を歪ませて叫んだ。星をばらまくことを忘れた彼女は目を見開いた。その瞳の中で無数の長方形型の光が浮かんでは消えを繰り返す。やがて、瞳孔に重なる位置に大きな白い正方形が出現するのが見えた。ニュースのポップアップのようだ。


 その正方形が歪んだ。歪みは次第に下方へと移動し、その結晶が彼女の瞳から流れ落ちた。


「……煽った罰よ」


 誰かがぼそりと言うのが聞こえた。声のした方に目を向けると、スマートグラスが目に入った。再三に渡って佳を睨んでいた村上葉子だった。


「何が罰だって?」


 聞こえていたらしい。佳が目を見開いたまま叫んだ。


「〈ガニメデ〉程のテレポーターになれば、命が狙われることくらい分かるでしょ。なのに、どうしてああやって顔を出してメディアの前に生身で現れるの、馬鹿じゃないの」


「〈ガニメデ〉様が馬鹿? 人類のための大仕事でしょ。撤回してよ!」


 佳が掴みかかろうとするのを茉鈴が抑え込んだ。いつの間にかひかるもそれに加勢し、佳の動きを封じていた。


「葉子ちゃん」


 佳をひかるに任せ、茉鈴が言う。


「葉子ちゃんは、アンチ・テレポーターですか」


 葉子はそれを鼻で笑った。


「Rでそれを表明すると思う? 違う。私はね、アンチ・テレポーターをテレポーター側が煽ってるって言いたいの」


「じゃあ、撃たれたのは〈ガニメデ〉が悪いって言いたいの?」


 ひかるに押さえつけられたまま、佳が吠えた。


「最初から非Rで会見していればこんな事態にはなってなかった――違う?」


 佳は唇を噛んだ。誰の反論もないことを確認してから、葉子は続けた。


「エウロパが昇って以降、表立ってテレポーターへの反感を示す者は激減した。テレポーターを怒らせたら、どんなことになるかを目の当たりにしたからね。でも、反感そのものが消えた訳じゃない。テロポーターの起こした犯罪で大切な者を失った人間は大勢いる。その恨みを、反感そのものを、エウロパは取り除いてくれた訳じゃない。でも、反撃が怖いからアンチ・テレポーターは表向きはテレポーターに反感を抱いていない振りか、あるいは関心のない振りをしながら、匿名性が守られるネットの海で騒ぎ立てる。そうなると、中にはいる訳よ。テレポーターの恐ろしさを忘れて、反感のままに凶行に及ぼうとする奴が。上野で〈カリスト〉を襲った奴しかり、世田谷で夜道女子高生をテレポーターと断定して襲い掛かった奴しかり、そして今回の〈ガニメデ〉を撃った奴しかり。なのに、どうしてテレポーターは自らやられに行くの? 自分は無害な存在だって証明したいの? それじゃあ命がいくつあっても足りないよ!」


 葉子が叫び終えると、教室は打って変わって静寂に包まれた。


 わたしは茉鈴から聞いた彼女の過去を思い出していた。かつて彼女が住んでいたマンションの屋上を空路の中継地点に利用していたテレポーターが住人に殺された。その第一発見者となったのが彼女だ。わたしも多くのマンションを空路の中継地点に利用しているから、耳が痛かった。


 小学五年生、MIテストで初めて自分自身のテレポートをお披露目したとき、試験官を勤めていたネイバーフッドの社員に言われたことを思い出した。


 ――これから先、あなたは街を行くときに空路を利用することも出てくるでしょう。ただし、不用意に人家の屋根を通過することは控えてください。不法侵入で訴えられたケースもありますし、住民とのトラブルに発展することもあります。ただし、都内の場合、弊社の天面広告の上に限り、テレポーターが空路の中継地点として使用してもよいという契約になっているので、その上を辿るようにしてください。ヴィオラという弊社のイメージキャラクターが目印です。


「わたしも、村上さんの言う通りだと思う」


 思わず立ち上がって、口を挟まずにはいられなかった。


「テレポーターが真に平和を望むのなら、不用意にアンチ・テレポーターの前に姿を出さないことが必要だと思う」


 ヴィオラの幻影を塗りつぶすように言葉を吐いた。何が力を認めろだ。何が耐えろだ。耐えるも何も、銃弾を撃ち込まれればそれまでだ。


 だから、仮面を被り続けるしかない。それがテレポーターにできる唯一の防衛策で、アンチ・テレポーターを犯罪者にせしめないための唯一の方策だ。


「本当に、そうなのかな」


 そうこぼしたのはひかるだった。


 両親をテレポーターに殺された親に育てられたひかる。彼女にもまた、テレポーターに対する反感の種が植えられている。そのひかると友達であり続けるには、わたしは自分の力を隠し、人間の仮面を被り続けないといけない。


「こういう言い方はあれかもしれないけど、〈ガニメデ〉は撃たれた後、何の反撃もしなかったんだよね? それって、テレポーターは非テレポーターにとって危険な存在ではないと、体を張ってでも証明したってことじゃないの?」


 ヴィオラみたいなこと言わないでよ。銃弾を浴びるくらいなら、仮面を被っている方が幾分マシだ。


「だからさ、うち、思うんだよね。憎しみのはけ口が残っているから、アンチ・テレポーターはその憎しみをぶつけることができる。燻らせないで燃やして、その空虚さに気付いて初めて、未来へ歩む道を見つけられるんじゃないかって。少なくとも、〈ガニメデ〉はテレポーターと非テレポーターが手を取り合って暮らせる世界を望んでる。うちだって、そんな世界を望んでる。だから、膿を出し切るように、燻ってる反感をすべて消化したら、そんな世界がやってくるんじゃないかって――うちが言ってること、違う、真弓?」


 指名されると、わたしの中を泳いでいた言葉たちが打ち払われて返す言葉を失ってしまった。

 ひかるの言いたいことは理解できる。納得もできる。でも、いざ実践するとなれば、アンチ・テレポーターの反感の礫を、ひかるは浴びない。わたしは浴びる。辛い思いをするのも、痛い思いもするのも、このわたしだ。


 そう考えると、わたしの中に沸々と煮えたぎるものが生まれてきた。非テレポーターのあんたに何が分かる? テレポーターに対する憎しみを植え付けられただけのあんたは、それを吐き出せば済むのかもしれない。でも、わたしは違う。憎しみを受け止めることは、ときに大きな代償を伴う。死がそれになる可能性だってある。無責任なこと言わないでよ。


 わたしはそんな思いをしたくなかった。わたしが犯した訳でもない罪のためにどうしてわたしが贖罪をしないといけない? 遺伝子差別だ。わたしはただ、テレポーター遺伝子という設計図を持って生まれて、その通りに育っただけの正常な人間。それだけで謝らないといけないのなら、礫を浴びないといけないのなら、わたしは何に怒ればいい?


 天井を見上げると、シミはなかった。そうだ、神は死んだ。


 チャイムが鳴って、皆大人しく自分の席へと戻っていく。佳も髪を搔き乱しながら自分の席に向かった。


 わたしも着席し、机に突っ伏した。


――人類のためになる、もっと大きな仕事をするためです。


〈ガニメデ〉のすました顔が、凛々しい声が脳裏を過る。


 どうしてよ。


 どうしてあんたは、自分を毛嫌いする非テレポーターのためにそこまでできる?

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