夏の風

 この時期になるといつも聴こえてくるのは、この地方独特の道ジュネ―という先祖供養のエイサーの掛け声、そして地の底から響くような太鼓の音と、ティントゥンテンと甲高いサンシンの音色だ。


 朋香ともかは若かりし頃、この伝統芸能が苦手だった。何故だか分からないが、この土地に生まれた事さえ後悔していた。


 思い返せは理由がないわけではない。


 初めて働いた県外で、初めてのができた。その彼に沖縄出身であることをひどく弄られたのだ。


 朋香は方言をやめ、訛りを消し、会社にいる同郷グループを抜けた。

 時折電車で見かける同郷の方言にみっともない、と眉を顰めることすらあった。


 それから時は流れ、朋香は別の男性と結婚し、そして離婚し、その過去も思い出せない程に遠くなろうとしていた。


 ある日、引っ越しを終えて窓際で夕涼みをしていた朋香の耳に遠くから風に乗ってエイサー太鼓の音色がかすかに聴こえてきた。


 ___どくん。

 心臓が静かに震えた気がした。


 何だろうこの気持ち。喉の奥がつっかえるような、鼻の奥がツンと痛みさえするようなこの感情。


 エイサーの太鼓を打ち鳴らす音はどんどん近くなる。

 付近の住民たちがぞろぞろとその音色の先を目指して歩いていくのが目下に見える。子供たちのはしゃぐ声、大人たちの話声、各住宅の窓が一斉に開け放たれるカラカラという音が、それらの音色と混じりあって飲み込んで、すべての熱気にも似た空気が大きくなっていく。


 ちょうどアパートの下で始まった演舞に、朋香は生まれて初めて釘付けになった。


 幼稚園や小学校の運動会で踊ったエイサー。両親が仲が良かった頃に、父が良く弾いていたサンシンの音。母の島の民謡。生きていたころの祖母や祖父の家の帰り道で何度も車を停めて眺めていた、あちこちの市町村の独特な演舞。


 色々な記憶の断片が一気に噴出した瞬間、朋香ははらはらと涙を流していた。




 ___私のルーツは間違いなく沖縄ここだ。



 朋香の頬が乾くころに、サンシンの音色と太鼓を打ち鳴らす活気はまた遠く、夜風と共に静かに消えていった。





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