④
「にしししっ! 人魚なのに、溺れてやーんのぉっ!」
「あれはお前が絞め落としたのが原因だろうがっ!」
ヴァウに岩礁へと引き上げられたオレは、ふらつきを取るようにこめかみを押す。何だろう? 耳元に何か粘つく様な、闇っぽい何かがまとわりついている気がする。しかし、海水で何度注いでも、そのぬめり気が落ちる気配がない。
「あはははっ! そんなに耳洗ってどうしたの?」
「いや、なんか違和感があって。ある日突然、岩場にフジツボが付着したみたいな感じがして……」
「いいんじゃないかなー。フジツボだって生きてるんだしさー。だいじょーぶ。すぐになれるってばぁー。そしてきっとそのフジツボがいる事が、当たり前になるんだよぉー」
「何で急にそんな棒読みになるだよ」
そして何故視線を逸らす。本当に、こいつの事はよくわからん。子供の頃から、ずっとそうだ。
「ほらほらー。そんな事より、歌の勝負しようよ! 晩御飯、晩御飯っ!」
「もうお前が勝つ前提じゃねぇのかっ!」
「じゃあ、白黒つけよーぜいっ!」
にかっと笑うヴァウを見て、オレは完全に彼女のペースに呑まれている事に気が付いた。まぁ、気が付いた所で、もはやどうする事も出来ない。ある意味、ヴァウのペースに飲まれ、彼女にからかわれ続けるのは、仕方がない。それを許さねばならない様な事を、昔オレはしたのだ。自業自得である。いや、この関係こそが、彼女がオレに与える、罰なのかもしれない。
だからオレは、自分が負けるとわかっている、そして彼女も自分が勝つとわかっている勝負に、乗るしかないのだ。
「……わかったよ。歌のタイトルは、何にする?」
「うーん、そうだねぇ。古典だけど、『導きの歌』でどう?」
ヴァウが提案した『導きの歌』は、この世界に住む人魚であれば老若男女問わず、住んでいる海が違っても、誰もが知っている歌の事だ。
それこそまだオレたち人魚が陸の人たちと交流する前から歌われ、そして今も歌われ続けている歌だ。
「『導きの歌』なら、流石のルアンも、歌う事は出来るでしょ?」
「……そうだな。歌う事は、出来るな」
歯に物が挟まったようにそう返したオレとは対照的に、面白いイタズラを思いついた悪ガキの様な表情で、ヴァウはニヤニヤと笑っている。
「にしししっ! じゃあ、勝敗は誰に決めてもらおうか? ボクの仕事仲間じゃ、流石に――」
「……もう、自己採点でいいだろ?」
「あれあれ? ボクとルアンで決めれるかな? どっちも自分の方が上手いって、言い合いになるんじゃない? 勝敗、つけれるかなぁ?」
「そうならないのは、お前も知ってるだろ?」
「あはははっ! 潔いね! でも、昔みたいにもーちょっと粘ってくれても――」
「いいから、さっさと始めるぞ!」
ヴァウのにやけ面を遮るように、オレは不機嫌そうにそう言った。
言い出しっぺのヴァウが、先に歌うという事で話が付く。
「じゃあ、いっくよっ!」
元気よくヴァウはそう言うと、微笑みを引っ込め、真剣な表情になる。そして細い体をめいいっぱい広げるように、空気中の酸素を吸い込んだ。
そして、いった。
一言目は、話す様にゆっくりと。しかし、それでいて発せられる声は、聴く者の体を震わせ、そして染み込んでいくような、そんな歌い方だった。
『導きの歌』は、成長譚であり、出会いと別れの歌であり、子守唄でもある。
最初の一節は、命の誕生だ。大海原に、海底に沈む貝殻よりも小さな生命が生まれる。その命は波や渦に巻き込まれながら、そして時には外敵に襲われながらも、それでも懸命に生きていく。弱々しくも、それでいながら綺羅星の如く輝く命の強さと尊さが、ヴァウの歌に表現されていた。
だが、か弱い命はすぐに海の藻屑になってしまう。だからこそ、次の一節が意味を持つ。父と母。そして海に住まう仲間たちの存在だ。
生まれた命は父の力強さに守られ、母の愛情を注がれ、育っていく。そして出会う、特に隣に住まう仲間との交流は、生まれたばかりの命が、自分一人で生きていくだけの強さと安らかな心を授けてくれる。だが、時は、そして命は有限。自分を生み、育ててくれた両親とは、いつか必ず別れの時を迎える。
そして、その時に寄り添ってくれるのが、仲間の存在。そして気付くのだ。いつの間にか、自分の中に父の力強さと、母から受け継いだ愛情が宿っている事を。そして、今度は自分自身が誰かを守り、愛し、愛される存在になっていく。
次の一節では、厳しくも優しい海の広大さが表現されていた。何処までも広がる海は、時代が移り変わっても、常に自分たちの傍にある。自分の父と母が暮らし、その前は祖父母が暮らし、そして今は自分と仲間、そして自分にとって大切な存在が傍にいてくれる海を、世代が変わっても受け継いでいくのだ。例え一時の別れがあっても、この海に居れば、また必ず出会うことが出来る。
そして最後は、歌の初めでは儚い存在だった自分自身が、新たに生まれた新しい命を抱きしめ、この命が健やかに育つことを祈り、歌詞は締めくくられる。
子供の頃から、飽きる程聴いてきた歌だ。しかし、いや、だからこそ歌い手が変わる事で、こんなにも感情が揺さぶられる。ヴァウの歌を聞いて、オレは不覚にも泣きそうになっていた。
「にしししっ! ねぇねぇルアン! どうだった? ボクの歌、どうだった?」
「……うるさい、バカ」
オレの顔を見れば、そんなものすぐにわかるだろうに、この幼馴染はわざとそうやって聞いてくる。子供の様に弾けた笑顔を見せながら、ヴァウはなおもオレに擦り寄って来た。
「あはははっ! ねぇねぇルアン! 今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」
「くっ!」
はっきり言って、ヴァウの歌はめちゃくちゃ上手い。歌が上手いと言われている人魚の中でも格段に上手く、それは歌で交通誘導の仕事についている事からも、明らかだ。
つまりこの勝負、オレが勝てる要素は全くない。
「ほら、もういいだろ? オレの負けだ負け!」
「えー、わっかんないじゃーん! 歌ってよぉー。ねぇねぇルアン! ボク、久々にルアンの歌が聞きたいなぁーっ!」
勝利を確信しているヴァウが、煽るようにそう言って来る。暫く歌う歌わないの押し問答が続いたが、やがてオレの方が根負けした。
「……どうなっても、知らないからな」
「やったっー!」
人の悪い笑みを前面に押し出し、ヴァウはひたすらはしゃいでいる。それを遠巻きに、ヴァウの仕事仲間たちがオレの方を見つめていた。
あれだけ歌が上手かったヴァウが、どうしても聞きたいといった歌だ。気になってしまうのもわかる。
オレは特大の溜息をつくと、諦め半分、やけっぱち半分で、勢いよく息を吸い込んだ。
一言目から、最悪だった。音程は外れ、それでいて発せられる声はただ雑に大きいだけで、聴く者の体を、ただ音の暴力で殴りつけているような、そんな歌い方だった。
『導きの歌』は、成長譚であり、出会いと別れの歌であり、子守唄でもある。しかし、歌は不思議だ。歌い手によって同じ歌でも、全く違う顔に、意味になる。
最初の一節は、命の誕生だ。オレが歌う『導きの歌』は大海原に暴君が生まれ、生きとし生ける海の生物を、尋常ならざる力で蹴散らしていく。荒れ狂う波や渦潮は生まれた暴君自らが引き起こし、外敵どころか彼に歯向かおうと考えるような不届き物は存在しないし、許さない。最強にして最恐であり最凶。最悪にして災悪であり災厄。そんな破壊神の誕生が、オレの歌には表現されていた。
だが、オレの生み出した破壊神は、海を平定しただけでは飽き足らない。次の一節では恐怖政治によって従えた海の生物たちを従え、陸地へと攻め入っていく。無論、暴君自らが先陣を切る事はない。自分の大切な人、父や母、そして仲間を人質に取られた、平和な海であれば英雄と呼ばれるような存在たちが、血涙を流しながら、不利な上陸作戦を敢行していく。
英雄たちの体は傷つき、血を流し、その口からは怒号と怨嗟を咆哮しながら、それでも大切な人を守るため、懸命に戦いに挑んでいく。だが、時は、そして命は有限。彼らは知らないのだ。あれだけ大切に、そして守りたいと思っていた存在が、もうこの世に存在しない事を。
瀕死の状態で陸地を制圧した倒れる死兵たちは、そこで初めて破壊神から事の真実を告げられる。絶望に絶叫し、それが絶世の絶唱となって、暴君の愉悦と喜悦と悦楽になる。ついに破壊神は、海と陸をその手中に収めたのだ。
次の一節では、控えめに言って地獄絵図と化した海と陸が表現される。何処までも広がる海は血に染められ赤く、鮮血の波が打ち据えられた陸地には有象無象の屍が四方八方に広がっている。ああ、この世に、もはや希望の光はないのだろうか? いや、そんな事はない。上空から降り注ぐ、太陽の恵があるではないか。それに気づいた暴君は、忌々し気に空を睨み付ける。
そして最後は、手の届かない空すら自分の手中に収めようと、破壊神が奴隷たちに鞭を撃ち、上空へ飛び立つための新しい翼の開発を進めたところで、オレの歌は終わる。
子供の頃から、飽きる程聞いてきた歌だ。しかし、いや、だからこそ歌い手が変わる事で、こんなにも感情が揺さぶられる。歌い終わったオレは、もう本当に泣きそうだった。
ここまで言えば、もうわかるだろう。オレは人魚でありながら、想像を絶する、音痴なのだ。
「あははははははははははははははっ! あははははははははははははははっ!」
それを知っているヴァウは、腹を抱えて岩礁を転げまわる。遠巻きに見ていた彼女の仕事仲間たちは、聴いたこともない程酷い『導きの歌』に、両耳を押さえるだけでなく、ドン引きしていた。オレを見る目が、連続殺人の犯人を見るそれになっている。はっきり言って、オレはここで自害したい気持ちになった。
「あは、あははははははははははははははっ! だ、ダメ! ぼ、ボク、もう、もうボク、無理、無理だから、あは、あははははははははははははははっ! だ、ダメ! 死、死ぬ! 死んじゃう! ボクもう笑い死んじゃうぅ! あはは、あは、あははははははははははははははっ!」
ヴァウはもう勘弁してとばかりにバシバシと岩礁を叩いているが、勘弁して欲しいのはオレの方だった。
「おい、笑い過ぎだぞ!」
「だって、そんな、は、あはははっ! か、変わってないんだもんっ! 昔っから! あは、あはははっ! おか、おかし、おかしいよぉ! おも、面白すぎるよルアン!」
「……勝手にしろよ」
面白くなさそうにそっぽを向いたオレを見て、ようやく笑いを収めたヴァウがこちらにやって来る。
「あーごめんごめん。そんなに不貞腐れないでよぉ、ルアン」
「……別に、不貞腐れてなんかねぇよ」
「だーから、ごめんってばぁー。ほら、お詫びに晩御飯、今日はボクがつくってあげるからさっ!」
「……勝負は、オレの負けだろ」
「だーから、材料費は、ルアン持ちね!」
「……そうかよ」
そう言ってオレは、岩礁から海の中へと入っていく。ヴァウに散々からかわれて、だいぶ時間が経ってしまった。流石にもう、仕事に戻らないとまずい。今日は残念ながら、昼飯は抜きだな。
そんなオレの背中に、ヴァウは若干物足りなさそうに言葉をぶつけてくる。
「なんだよぉ、ルアン。不満があるなら、子供の時みたいにボクを責めてもいいんだぞ? ボクは、全然気にしてないんだからなっ!」
それが信じられないから、こいつ(ルアン)は一歩、踏み出せないのだ。
ガキ大将だった自分の振舞を受けても、なお自分の傍で笑ってくれる彼女の想いを、素直に受け入れられないのだ。
暴力的だった子供の頃のルアンから離れ、そして再会しても無邪気に微笑んでくれる彼女を、信じる、信じ切る事が出来ないのだ。
それはつまり、言葉にするなら簡単で、ただ単純に、腹が決まっていないだけ。ただ、それだけだ。そしてその腹を決めるために必要なな鍵は、きっとあの違和感にある。それが明らかになれば、こいつ(ルアン)は、お隣の美少女(ヴァウ)を、信じる事が出来るのだ。
何故惚れているのか(Why done it)を解く鍵は、必ず人の中にある。それは、何故(why)は人の中からしか生まれないからだ。
Who done itは犯人を探り当てる、人そのものに着目している。
How done itは犯行のトリック、手法に着目している。
Why done itは、犯人の気持ち、人の想いに着目している。
そう、MDEのWhy done it担当である俺は、人の想いを探り当てるのだ。
さぁ、前提条件を整理しよう。
美少女(ヴァウ)はオレ(ルアン)に惚れている。それは神様が確定済みだ。そうじゃなきゃ、俺はこの異世界に転生していない。だから、誰が惚れているのか(Who done it)は既に解かれている。
美少女(ヴァウ)はオレ(ルアン)に子供の頃の様に接して欲しいと願っている。それはもうヴァウは隠しもしてやしない。この世界に転生して来て、俺もオレとして経験済み。だから、どう惚れているのか(How done it)も既に明らかだ。
ならば、残るはあと一つ。
何だ、今までと同じじゃないか。俺が生きていた時に、散々MDEでやって来た事じゃないか。
つまり、最後の一つ。何故惚れているのか(Why done it)を俺が解けば、これで事件は解決だ。ここでそれを外す様なら、MDEの他の二人に笑われてしまう。
さぁ、探れ探れ、潜れ潜れ。俺はもっと、オレ(ルアン)の記憶を穿り起こせ。美少女(ヴァウ)がオレ(ルアン)に惚れている事が確定しているのなら、子供の頃の様に接して欲しいと願っているのなら、その動機、何故(Why)は必ずオレの中に、自分の行動の中にあるはずだ。
人と人が交わらなければ、何故という想いは生まれない。
だから潜れよ探れよ俺! ルアンとヴァウが、一番近づいた時のことを、二人が一番強く交わった時のことを思い出せっ!
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