モンナティ騎士養成学校が擁する闘技場は、小規模な部隊の訓練にも使える広さを誇っている。千人程は同時に戦えるような作りになっており、その戦況を見守る観客席も用意されていた。もちろん、戦況を見つめるだけでなく、賭けも出来る。戦は自らの地位を高める営みでもあり、そして同時に民衆の娯楽でもある。喧騒と狂乱と狂騒は、ある意味この世界の人々の恵みでもあった。

 そんな戦いと、戦いの歴史が刻まれた闘技場に――

「おれは、鎧に着替えてこいって言ったよな?」

「えぇー、いいじゃーん! どーせ最初は、じゅーなんたいそーでしょぉ? 目的を達成するためなら、手段はじゅーなんでいいっしょぉ? ダメなら、ほしゅー、一緒にサボっちゃおーよぉ! せんせーっ!」

 やはりと言うべきか、ジゼルはおれの指示を完全無視して、鎧の着用をしてこなかった。まぁ、ビキニアーマーよりは各段にマシな恰好になっているん。なっているのだ。だが、今のこいつの恰好は――

「ブルマじゃん!」

 令和どころか平成ですら絶滅危惧種のブルマを身に纏った、ジゼル・ハリィドが、そこにいた。そしておれの叫び声を聞いた彼女は、可愛らしく小首を傾げて、こう呟く。

「……似合ってるっしょ?」

「……」

 頷くのをどうにか止めれたおれを、誰か賞賛して欲しい。ぎりぎりセンコーとしての威厳は保ったのだ。

 小麦色の肌に映える純白の体操服が、目の毒でしかない。自分ではCと言っていた膨らみはちゃんと自己主張をしつつ、素晴らしい形を保っている。それよりも目を引くのは、ブルマと太もものコントラストだ。紺色と褐色は白とは真逆の色だが、それ故親和性が高く、一種の形式美の様にも見える。健康的と言ってもいい足は果たして戦いを至上とするこの世界では異端なのかもしれないが、瑞々しさという点で、それが補習扱いを受けるような評価がなされる事はあり得ない。そこから視線を動かせないでいると、ジゼルは意地悪そうに笑った。

「味見、してみるぅ?」

「乳臭ぇー味しかしねぇだろ」

「汗で塩味ぐらいするしーぃっ!」

「お前はそれで本当にいいのか……」

 子供っぽく頬を膨らませるジゼルを横目に、おれは闘技場の方を指差す。

「ほら、ひとまず柔軟体操しろ」

「はーぃ」

 明らかにやる気のない返事をしながら、ジゼルは体を体を動かし始める。

 いち、にー、さん、しー、と言いながら、屈伸、伸脚、深めの伸脚、前後屈と続けていく。と、そこでジゼルがおれの方へとやって来た。

「せんせー」

「何だ?」

「背筋伸ばし、一人じゃできないですけどぉー」

 上目遣いのジゼルがそう言う。二人一組で互いを背中同士で腕を組み、背筋を伸ばす運動は、確かに一人では出来ない。

「それは飛ばしてもいいぞ」

「えー、ちゃんとやらないと怪我するかも知らないじゃないですかーぁ。手伝ってくださいよ、せんせーっ」

 いたずらを思いついた子猫の様な笑みを浮かべるジゼルに嘆息しながら、おれは仕方なく彼女を手伝う事にした。

 有無を言わせず背中を向かい合わせ、おれは遠慮なく自分の体を折り曲げる。

「うっそ! 痛い硬い痛い痛いっ! 流石に鎧着ている状態でそれやると痛いよせんせーっ!」

「いーち、にー、さーん――」

「ごめんなさいごめんなさい! ギブギブ! ギブですぅー! 無理! もう無理ぃ! 無理だってばぁっ! あた、あたし死んじゃ、死んじゃうからぁ!」

 荒い息を吐きながら闘技場に四つん這いになるジゼルを見下ろしていると、涙目になった彼女がおれの方を恨めしそうに睨み付ける。

「鬼! 悪魔! 鬼畜! 鬼畜ぅ! もうあなたとは離婚よーっ!」

「お前と籍を入れた覚えはない」

「他は全部受け入れるのっ!」

「傭兵やってりゃ、それぐらい言われるだろ」

「それ、せんせーが特別なんだってば! もぉーぅっ!」

 ジゼルの視線を鬱陶しそうに、おれは右手で払いのける仕草をする。

「だから、鎧着てこいって言ったんだよ。ふざけてると、怪我するぞ」

「怪我させるような事した本人が何言ってるのーぉっ!」

 まぁ、その意見も一理ある。おれは鎧を脱ぐための金具に手をかけた。

「え、嘘? 嘘っ! ここで! こんな所でぇ! せんせー、ここ闘技場だよぉ! ダメダメ、ダメだってぇ! あたし、初めての場所は海の見えるホテルって決めて――」

「顔面手で押さえながら何言ってんだ、お前」

 しかも、指の間から爛々とした眼球が覗いている。

 背中を合わせても痛くない様に鎧を脱いだだけなのだが、何をそんなに慌てているというのか。普段の授業でも、剣と剣のぶつかり合いは日常茶飯事。今更男の、おれの何も身に纏っていない上半身を見たぐらいで、羞恥の感情があるわけがない。

「あ、でもでも、今はせんせーと個人授業ちゅーで、シチュエーション的には、ありっていうかぁ――」

「ブツブツ言ってねぇ―で、立てよ」

 熟れ過ぎて表面から果実を吹き出さんばかりの林檎の様に顔を染めたジゼルが、キャーキャー言いながらおれに抱き起される。煩い。

「だいじょーぶ。せんせーなら、あたしの事わかってくれる。わかってくれているから、だから最初は優しく――」

「ほら、伸ばすぞー」

 わけのわからない言葉を撒き散らすジゼルをよそに、おれは強引に背筋伸ばしを強行。すると、ジゼルの口から痛さを伴った、しかしそれでも甘い嬌声が零れ落ちた。

「おい、変な声出すな」

「だ、だってぇ、あた、あたし、初めてだからぁ――」

「準備体操に初めても何もねーだろうがっ!」

「あっ、あぅ、あぅっ! そ、そんな、強引にっ! も、もっと優し――」

「わけーんだから、もっといけんだろ?」

「ダメ、ダメダメダメダメぇっ! ほんと、あた、あたし、ダメっ! ん、あ、あっ、あぅ、んぁ、んあぁ、んはぁっ! だ、あっ! ダメ! あっ! あぁんっ!」

 ただ背筋伸ばしているだけで、こいつどんな状態になってんだ? 背中合わせになっているので、おれはジゼルの顔を確認できない。しかし、おれが体を曲げる度、荒く、そして艶っぽいジゼルの声は溢れ出していく。

「ああっ! あ、あっぅ、熱ぃ! せんせーぇの背中、あつ、あてぅくてぇ……。ちょ、ちょくせ、直接ぅ、な、生! 生でぇぇへぇぇぁぁ。ああ、あああぁぁぁんっっっ!」

 そこから一通り、体の回旋、跳躍、首回し、手首足首、アキレス腱伸ばしまで手伝ってやると、全身汗だくになったジゼルが、目の光をなくして闘技場に横たわっていた。

「も、もぉほぉ、む、無理、無理でしゅぅ……」

「お前、まだ準備体操が終わった所だぞ」

 これからまだ、普通に補習があるというのに、ここでへばっていてもらっては困る。

「き、着替え、てくりゅねぇ、しぇんしぇー」

「おう、行ってこい」

 まだ戦ってもいないにも関わらず、『やっぱり先生には勝てなかったよ』と敗戦兵の様な装いで引き上げていくジゼルの背中を、おれは見送った。

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