ジゼル・ハリィド。

 モンナティ騎士養成学校に通う、二年生だ。バカの一つ覚えみたいに、ただひたすら剣を振り、振り続ける事だけで生計を立てていたおれとは縁遠い、良家に生まれた三女。つまり、本物のお嬢様。傭兵上がりのおれとは、道端ですら間違ってもすれ違わないであろう存在だ。

 しかし、何の因果か、おれの補習を受ける事になっている辺り、ジゼルの成績はあまり良くない。

 いや、ストレートに言ってしまえば、めちゃくちゃ悪かった。

 良家と言えば、小さい頃からお抱えの武術指南役が居たり、その家にあったトレーニングや、戦術理論などが叩き込まれているのが通例だ。それがその家の高い戦闘力を維持し、ひいてはそれが家の地位向上、つまりこの世界の格になる。

 しかしジゼルは、剣も槍も、からっきしダメ。かと言って弓が引けるかといえば、矢は狙った方向の反対に飛び、馬にまたがれば秒速で落馬し、楯を持たせれば自重で動けなくなるというダメダメっぷりだ。

 実技がダメならばと指揮を取らせてみれば、全軍突撃を連発して連敗。包囲殲滅陣を完成させる課題で、相手を包囲し切る前に突撃したと聞いた時は、流石におれも頭を抱えた。包囲殲滅陣は、使いどころさえ間違えなければ二倍の戦力差を覆せる素晴らしい戦術だが、包囲が完成する前に戦っては、そもそも戦いにすらならない。

「だーからー、あたしはそーゆー、既存概念にとらわれた戦い方ってできないんだってばぁー」

 ジゼルが教室の机に座り、足をぶらぶらとばたつかせる。それに合わせて、彼女の金髪が揺れた。ツインテールにしたその髪は、照り付ける太陽で褐色に焼けた肌に映える。

 それを見て、おれは特大の溜息を付いた。

「既成概念の事を言っているのか、固定概念の事を言っているのか……」

「どっちでもいいじゃーん? 言いたい事が、伝わればさー」

 まぁ、言わんとしている事は一理ある。おれもいちいち小さい事に拘って、揚げ足を取るような真似は好きではない。というか、どちらかと言うと、おれはかなり大雑把な性格で、そういう意味ではおれはジゼルと考え方が似ていた。

 そもそも、補習にビキニアーマーを装備してきた学生を目の前に、単語の使い方を論じる元気が、おれの中にない。

「じゃあ、その既存の概念にとらわれない戦術とやらが、お前の中にはあるのか?」

「よゆーだしっ!」

「……そこまで言うのなら、黒板にお前の考える戦術を書いて説明してみろ。本当にお前が操れる様な、有用な戦術だったのなら、今日の補習はなしにしてやる」

「マジでぇ! おっけーおっけー! あたし、頑張るしぃ! これでほしゅー、サボれるしぃっ!」

 机から勢いよく降りて、ジゼルは食い込んだビキニアーマーの位置を調節する様に体を前にかがめ、形のいいお尻に指を這わす。アーマーが少し、内股に食い込んだのだろう。前かがみになった胸元は、巨乳と言っていい程の大きさはないが、決して小さくはない。アーマーに押し上げられた胸元は、見事な黄金比を形成している。

 ビキニアーマーの調節が終わったジゼルは、黒板の方へと歩みを進めた。教室には、備え付けの長机が八つ程並べられており、おれは黒板前の教卓に立っている。必然的に、ジゼルはおれの方へとやって来た。

「ちょっとどーいて? せんせー」

「おう」

 ジゼルの進行方向を妨げない様に動くが、何故だかジゼルはおれに擦り寄るように移動した。

「あんっ!」

「貧相な胸を押し付けてきて、何してんだお前」

「ひどくないっ! これでもあたし、Cあるしっ!」

「そういう所に拘ってるから、成績伸びねーんだよお前……」

「だったら、せんせーが揉んでよーぉっ!」

「拘んな、っつってんのに、何で大きくする方向に話を持ってくんだよ」

「えー、あたし、別に胸の話なんてしてないしぃー。せんせー、えっちくな、嘘嘘ゴメンゴメン! ゴメンってぇー! じょーだん、じょーだんじゃんせんせー! すぐ書く! うん、すぐ書くよ! あたしの考えた戦術、黒板に書くからさっ! だから今抜こうとしてる剣しまってマジで! 死ぬから! あたしの防御力今紙以下だからさーぁっ!」

「それがわかってて、何故ビキニアーマーを着て来たんだよお前……」

 ビキニアーマーを装備してなかったとしても、ジゼルの防御力は紙みたいなものだ。何せ、楯が使いこなせないんだから。

 おれが剣の柄から手を放したのを見て露骨に安堵すると、ジゼルは白色のチョークを黒板に滑らせていく。

 まず描かれたのは、長方形。いや、台形か? 上底の方が長く、下底の方が少し短い。

 ジゼルは今度は赤色のチョークを手にすると、台形のほぼ上底、それより僅か下に線を引き、後は先程書いた白い線をなぞる。そして今度は下底から積み上げる様に、橙色のチョークで丸を描いていく。ご丁寧に、丸は塗りつぶされていた。

 台形の下四分の一から三分の一まで丸を描き切ると、ジゼルは満足気におれの方へと振り向く。ツインテールが、宙を舞う。彼女の真夏の太陽の様な笑顔は、おれには眩し過ぎた。

「かんせーっ!」

「……何だ、これ」

 無精髭を撫でながら、おれは眉を顰める。

 初めて見た陣形だ。台形の様に見える形は、そもそもこれが味方の陣形なのか? 橙色が兵を表しているのかもしれない。そもそも、これは縦に見ればいいのか、横に見ればいいのか、見方がわからない。味方の兵はどこにいて、どう敵へ攻める想定だというのだろう?

 様々な疑問を抱えつつジゼルを一瞥すると、彼女はおれに満面の笑みと、ダブルピースを突き出した。

「タピオカの陣だしっ!」

「はっ倒すぞ」

「えーっ! ひどくなーぃ? それに、タピオカの陣が効力を発揮するのは、このストローを挿してからだしーぃっ!」

 そう言うとジゼルは、台形の上から白色のチョークでストローと言うより、滑り台の様な絵を描き足した。

「この陣は、上から攻めるとか、下から攻めるとか、右から左からどーこーっていう、そういうのはあんまり関係ないわけじゃん? まず、このストローをとーしてぇ、相手をタピオカにぶつけるのがじゅーよーなわけよ、せんせー」

「だとすると、この橙色の丸がタピオカなのか……」

「あたりまえだしーぃっ! でぇ、タピオカにぶつかった相手が、どろどろー、のぐちゃぐちゃー、もしくは固まるわけじゃん? 更に赤色で描いたミルクティーがドバドバ入ってるから、相手はタピオカに気付かないしぃ、完全に動けないっ! そうなった所に、全軍突撃すれば、痛い痛い! 鞘の先でつつくのもダメだしっ! 乙女の柔肌に傷がつくしーぃっ!」

「うるせー! そんな恰好(ビキニアーマー)する方が悪いんだろうがっ!」

 鞘から半泣きになって逃げるジゼルを追いながら、おれは彼女の描いた陣を実際に戦闘へ応用した場合に思いを馳せる。

 たぶん、ジゼルが言っているのは、概念だ。

 普通、陣形と言うのは適用する方向や、場所を想定する。だが、ジゼルはそれらの全てをすっ飛ばした。こいつは、ある特定の条件下で発動できる、戦いの考え方を黒板に描いたのだ。

 ジゼルが言ったタピオカと言うのは、恐らく敵の移動速度や行動を阻害する何かだろう。タピオカはデンプンの事であり、料理のつなぎや、紙の強度を上げるための薬剤の原料にもなる。そんな罠を、ジゼルはタピオカと表現したのだ。

 そして、その罠を活かすのが、彼女のいう所のミルクティーだ。ミルクティーは、台形、つまり戦場の殆どを満たしている。つまり、タピオカを覆い隠す、罠を隠蔽する役割を持っているのだ。

 そしてストローの役割は、ずばり敵を罠に嵌めよ、という示唆に他ならない。敵の進行方向は関係なく、隠蔽した罠に嵌める。それこそが、ジゼルが言いたかった事なのだ。

 もしおれが実際に自軍を指揮し、板書された内容を実行するなら、場所は湿地帯か泥沼、適度に水分があり、かつ人が立っていられる場所にするだろう。そして、罠の種類は、水に溶けてぬめり気を持つものか、水に混ぜると硬度を上げるものを採用する。そして、そこに敵をおびき寄せるのだ。ミルクティーはきっと、普段ある事が当たり前で、その当たり前な状況を逆手に取る事もイメージしているのだろう。木の中に森を隠すより、水辺に混ぜた方が、人は気付きにくい。ミルクティーは、液体の掲示でもあるのだ。

「ふっふふーん! どお? どおぉ? せんせー。あたし、完璧じゃん? 完璧な戦術じゃん? せんせーなら、理解してくれるっしょーぉ?」

 いろいろ考え、足を止めたおれを、ジゼルが腰に両手を添え、胸を張ってドヤ顔で見つめている。

 確かに、そこまで悪くない。汎用性を高めるという意味でも、抽象度を上げた、ただしタピオカやミルクティーという名称はどうかと思うが、一定の評価は出来るかもしれない。

「ね? ねぇ? 良くない? あたしの戦術? エモいっしょ? ほしゅー、免除じゃない?」

「いや、ダメだな」

「何でだしっ!」

 ジゼルが抗議をするが、おれは既に伝えた言葉を繰り返す。

「『本当にお前が操れる様な、有用な戦術だったのなら、今日の補習はなしにしてやる』。おれは、そう言ったな?」

「え、でもせんせーが理解してくれるなら――」

「お前、コレ使えるのか?」

 ジゼルが描いたタピオカの陣を指差すと、ジゼルは鈍い汗をかき始めた。

「だ、だからせんせーが――」

「おれは関係ない」

「で、でもあたしたち、将来を――」

「誓った記憶はない」

「これから――」

「するのか?」

 これは、流石に赤面させてしまった。

「……あたしの処女(ヴァージン)――」

「タピオカの陣に、お前の貞操が関係あるのか?」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……いけずーぅ! せんせーのいけずぅーうっ!」

「いいから、ちゃんと着替えて闘技場に来い。補習を始める」

「えーっ! もう着替――」

「ビキニアーマーは禁止だっ!」

 横暴だ、という抗議を無視して、おれは教室を出て、先に闘技場へと足を向ける。勿体ないと思いながら、おれは嘆息した。

 全く、もっと注意深く人の話を聞いて、他の人に理解しやすい言葉を選べばいいものを。包囲殲滅戦の課題も、相手を殲滅させる事しか聞いていなかったのが悪いのだ。ジゼルが全軍突撃の指示を出した結果相手を殲滅出来たのだが、そもそもの課題の趣旨を理解していなかったので減点されてしまっていた。

 こういう面倒な奴を見るために、おれは傭兵団から引き抜かれたのかねぇ。

 ジゼルのクラスを担当しているセンコーではなく、あいつの補習をおれが受け持っている辺り、どうしても校長の思惑を感じざるを得ないおれだった。

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