地獄の想区~BAD END~

@megi_bla

地獄を視る者の独白


アリスに同情してはいけない、赤ずきんに同情してはいけない、白雪姫に同情してはいけない。



『空白の書』を持つ人々の間には、いつしかこのような格言が生まれた。

私が物心つくまでには当たり前のように聞かされていたのだから、かなり古くからの言葉なのだろう。

この言い伝えの対象となっているのは、物語の主人公として童話に描かれるアリスや赤ずきんなどではなく、ストーリーテラーが作り上げた想区で運命を全うするヒーロー達のことを指す。


現在、この世界には『空白の書』の持ち主だけが住む想区がいくつかあり、私もまた『空白の書』を持つ両親のもとに生まれている。

ストーリーテラーの影響から外れたまま崩壊もせず残り、『空白の書』を持つ者だけが住む場所だ。

そんなところで育ったものだから、私からすれば運命の書かれた本を持ち、決められた役割の通りに生きている者達の方がイレギュラーに思える。

そしてストーリーテラーの管理する『想区』に対して、私達は恐ろしくて不気味なところという印象を抱いている。


私が沈黙の霧の中で見たアリスもまた、不気味そのものだった。

肉体を持たず、魂だけとなって霧の中を彷徨うアリス。

人の形をとり、頭の上に長いリボンを揺らせながら、真っ黒な影がこちらに顔を向けていた。

案内人は「近づいてはならんぞ、あれは黒く染まり切った亡霊だ。幸い、繋がろうなどと思わなければコネクトはできん」と落ち着いた声で言っていた。

もしコネクトなどしたら……『書』をやられるぞ、苦痛を流し込まれて、精神を保っていられなくなる。

そういった説明も付け足された。

言われるまでもなく、この時代においてヒーローとコネクトしたいなどと思う者はいない。


それだけ、童話に出てくる者達の魂は、この時代においてあまりにも危険だった。


ではなぜアリスや赤ずきんなど、想区のヒーロー達が同情の対象になるのかというと、彼女らに待ち受ける運命もまた悲惨そのものだからなのであった。

それは運命の書で示されたものではない。

そこに書かれた美しく楽しい物語は本来のヒーロー達の運命ではあるが『絶対にストーリーテラーの語る筋書きの通りにならない』ということもまた、運命なのであった。


ヒーロー達は既に、想区が物語を終えるまでしっかりとストーリーに従い続けることをしなくなっている。カオステラーという因子がいなくとも、登場人物達の紡ぎだす劇は、途中で壊れるのであった。

なぜならば、ヒーローの魂は運命の書をなぞり続けるだけの純粋さを持っていないからだ。


―――フォルテム歴に換算して、今は何千年か……或いは桁がもうひとつ足されるかもしれない、それくらいの時が経っている。

フォルテム教団の名は、既に歴史という物語の一部として教科書に記されているに過ぎない。


その年代記に書かれていることとしては、『災厄の魔女』や『ほらふき男爵』は想区にカオステラーを出現させ、ヒーローを混沌に堕とし、また運命の書に抗った魂を使役したという。

そうやって想区を荒らしまわり、最終的には再編によって鎮圧された。

ではそれで、各地に平穏が訪れたか、というとそうではない。


創造主アンデルセンの提唱した『魂は不滅』理論、および、この世界に存在する同じヒーローの魂がお互いに干渉し合うという性質から、ヒーローの魂に影響を与えることで想区のすべてに干渉できるのではないか、と考えた者がいた。

そしてその男は、まずヒーローの魂を黒く染め上げようとした。

混沌の巫女やモリガンを手本として、ヒーロー自体に苦痛と絶望を与える旅に出る。

行く先々の想区で物語の登場人物達を捕らえ、殺し、時には憎しみ合わせ、殺し合わせ、多種多彩な悲惨を魂に刻み込んだ。

その男はカオステラーを生み出すことを目的としていないため、非常に手際よく、殺戮を行った。

例えば赤ずきんの想区ではまず赤ずきんを殺し、その代役が赤ずきんになったらその腕を折り、その代役が赤ずきんになったら脚を砕き、その代役が赤ずきんになったら狼に内臓を食わせ、その代役が赤ずきんになったら猟師に殺させ、猟師を殺させ、母に殺させ、母を殺させ、と想区が壊れきるまでヒーローの魂を汚し続けた。


もちろん、その程度で他の想区のヒーローに影響があるか、と言えば、それは皆無だっただろう。

しかしながら、それを何十回、何百回も繰り返したならば、微々たる差が現れてくる。

他の魂の持つ苦痛と恐怖、憎悪や怒り、恨みと悲しみは、運命の書に従って生きるヒーローに影響を与えることとなった。

演劇では、同じ脚本を読むにしても、演者によって表現が変わる。それと同じで、運命の書に従っていても、差異が現れる。

魂の干渉によって、運命の書に従い損ねる頻度が上がる。


『その男』がいつまでヒーローを汚染する活動をつづけたのかは分からない。

が、魂が一旦悲惨に染まったことは、元に戻すことが出来ない。

なぜならば、この世界のシステムとしては、悲劇でさえも尊いものとして保存され永久不滅の蔵書となるからだ。運命にない拷問の末に果てたアリスや白雪姫の魂は、消えることのない過去として、ヒーローの記憶となって次世代の想区に影響を与える。


運命の書に従い損ねたヒーローは、大抵悲惨な死に方をする。そしてそれがまた、黒い記憶となり同じヒーロー全体に影響を及ぼす。

運命を全うできないヒーローが増え、新しく生まれた想区が崩壊する頻度も上がる。

それはさらに他の想区へと影響を与える……。


そして何千年か、何万年かが過ぎ、今ではヒーロー達の魂は真っ黒に染まっている。

物語を繰り返し続けるとされた想区は、もはやその全てが1周も話を完結できずに崩壊している。

想区が作られ、始まりのときは一見すると正しく進むが、これまでに起きたあらゆる苦痛を持つ幾億の魂の影響を受けて、どうしても運命の書の通りには生きられなくなる。

また、主人公だけではなく、主要な人物の魂もまた、しっかりと汚されていたのだからなおさらだ。


私が立ち寄ったことのある想区では、マッドティークラブがアリスを二人引き鋸で割いていたし、逆にアリスが『大きくなる薬』を飲んで友達を握り潰していたこともある。赤ずきんは狼の群れに喰われ、白雪姫は小人達の慰み物になっていた。

そうして物語を終えられぬまま生を終えたヒーローの魂は、またその黒きの一部分となって同じヒーローに影響を与える。

この世界にあるのはありとあらゆる怨念である。


最も平和なのは、空白の書の持ち主達だけが住まう場所だ。

そこでは全ての住民が自由に暮らしている。

だから、何も運命を持たぬ『空白の書』の持ち主からしてみれば、運命を持つヒーロー達というのは、なんて哀れで、悲惨な存在なのだろう……という認識だ。あのように生まれなくてよかったと、胸を撫でおろす対象でもある。

しかし、同情してはいけない。少しでも共感してしまい、栞を通さずとも強制コネクトに近いことが起きれば、悲痛な叫びを空白の書に筆記されるかもしれないからだ。


------------------------------


私達『空白の書』の持ち主は、時には故郷を出て他の想区に希少資源を採集しに行かなくてはならないが――。

沈黙の霧を超えて立ち寄った想区がアリスの想区であれ、シンデレラの想区であれ、ほぼその全てにおいて物語は無視されて荒れ果て、登場人物達による凄惨な殺し合いが始まっている。

だから我々は自分達の住む場所を人間界と呼び、運命を持って生まれるヒーロー達のいる想区をこう呼ぶ。



『地獄の想区』と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地獄の想区~BAD END~ @megi_bla

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ