第13話 

翌日は、岩城の邸全体が昨夜の宴の後の疲れで、皆一様にゆっくりとした目覚めだった。実言と礼も日が長けるまで寝室にこもった。侍女たちも、二人の邪魔をしないように、部屋には近づかなかった。

 礼が部屋の中から澪を呼んだのは、午刻の頃だった。澪が格子をあげて、部屋の中に光を入れた。それに続いて、縫が手水を運んできた。身づくろいを終えて、食事を摂ると実言は宮廷へ参内するため、装束を整えて外出した。

 礼は一人部屋に残ると、肘掛に寄りかかってぼんやりとしていた。

 昨夜の宴は、礼にとっては初めての体験であり、なんといっても朝奈見の舞を見ることができたのは良かった。素晴らしくて感動が忘れられない。幼馴染の優美な姿が目に焼き付いている。

 予想もしていなかったことは、荒益と朔に会ったことだ。昨夜の朔との出会いは不意で心算も何もなかったために、礼は体が凍りついてしまった。

 左目に矢を受けた後、岩城の邸から、真皿尾邸に戻って横になっていると朔が訪ねてきて、実言が朔との婚約を解消して、礼と婚約すると言っていることを聞かされた。それと同時に朔から絶望的な呪いのような言葉を投げつけられた。あの時から朔は、礼を憎んでいると思っていた。朔の居る場所に、何を間違ってか礼が居る。それを朔は、到底承服出来ずにいると思っていた。朔が自分を許してくれていないと思っているから、浅ましい考えに襲われてしまったけど、そんなことは杞憂と思えるくらいに、礼が見た荒益と朔は仲睦まじく、互いを思っているように見えた。

 朔は荒益をうっとりと見上げて語り掛け、荒益は穏やかな表情で朔を見つめて二人は寄り添い仲の良さが滲み出てくるようだった。二人の男の子を授かり、その子たちの成長を楽しみにしていると言って、笑っている。

 朔は、あの時の呪詛を昇華しきって、今の自分の幸せを噛みしめているようだった。

 荒益は礼と麻奈見にとっては幼馴染と言っていいほどの仲で、幼い時はよく一緒に遊んだものだった。子供の頃の荒益のことは、夫の実言より知っているといっていい。

 荒益は、優しい男だ。柔和な顔立ちは性格を表していた。自分のことより、周囲のことに気を配り、気持ちに寄り添い、皆から信頼を得ていた。その広い心で朔を愛し、朔はその愛に応えて、二人はお互いを信頼し合い、美しい夫婦となったのだ。

 それを、朔はあの時のことを引きずって、不幸の中にいると思って礼の幸せな姿を見せてしまったとオロオロしている自分はなんと浅ましく卑しい人間だったことか。荒益という男の腕の中で、朔は幸せであるというのに。

 礼一人が拘っていたのかもしれない。

 礼にとって朔が幸せなことは何よりも嬉しいことだ。あんな悲しい別れ方をしても、やはり少女時代の礼にとって朔はなくてはならない人だった。礼を励まし、支えてくれた姉のような存在だ。今はお互いを親しく行き来できなくても、朔が息災に過ごしていることを願っている。

 一方で、自分の醜い心を隠して、実言の前で泣いたことで実言は大きな誤解をしたままだ。朔との友情のことで苦しんでいると思っている。ほかにも麻奈見や荒益についても言っていた。礼に二心がなくても、周りが働きかけてくると怒っているようだった。礼は、自分の心は実言にしかないことをわかって欲しくて、昨夜実言に抱きついて離さなかった。

 今朝、礼が目覚めたら、実言は既に目を覚ましていて、礼を見ていた。礼は驚いて、実言の胸の中に顔を寄せた。

「起きたのなら、私を起こしてくれたらよいのに」

 実言は礼のそのような姿を見つめて、言った。

「昨夜は、私が嫉妬めいたことを言ったものだから、お前は気にしてしまったね」

 実言の体の下に潜り込み、礼は顔を隠した。実言は礼の肩に手を置いて、礼の顔を上に向けるように押した。礼は自分が動きたい方向とは逆へ押されて顔を向けざるを得なくなった。実言を見上げると、優しく笑っている。

「お前が私を気遣って、優しくしてくれたものだから、その余韻に浸っていたのだよ」

 礼は胸のところまで下がっていた衾を引き上げて顔を隠そうとした。そうはさせまいと、実言は礼の手に手を重ねて、上から抑え込むように礼を抱いた。礼の左肩の上に顔を置いて、そっと囁く。

「お前が私を愛してくれた」

 昨夜のことを、はしたないことと責められているようで、礼は恥ずかしくなる。

「嬉しくて、私は後悔していたのだ。お前を責めるようなことを言ってしまったことを」

 衾を掴む礼の手を、開かせて自分の手の中で指と指を重ね絡めた。

「礼、私の傍にいておくれ。嫉妬深い男と呆れないで」

 礼は実言の懺悔のような言葉に驚いた。

「こんなにも愛しくて」

 そっと独り言のように呟く。それからは実言の思う通りになる。実言の愛撫に礼は身を任せ、実言に愛された。

 礼は実言の背中に腕を回して思うのだった。自分には実言しかいないのだから、実言は形ばかりに嫉妬したふりをしているのだろうと。

 礼は昨夜からの色々な出来事を思い返しても、最後には実言とのことに耽ってしまう。

 離れのそばを通っていた耳丸は、風を通すために蔀を上げて開け放した部屋の几帳を張り巡らした中にいる礼を盗み見た。風にはためいて、几帳がめくれ肘掛にもたれて物憂げにしている姿が見えたのだ。昨夜は耳丸も警護のために宴についていった。帰りの車に乗る時は、実言と礼は押し黙っていた。何か二人の間で、険悪になる出来事でも起こったのかと推測して様子を窺っていた。

 礼が何かしくじりをおかして、取り返しがつかないことをしたとか……。

 礼は物憂げな顔をしていると思ったが、その顔は恍惚に見えた。礼のしくじりはなんだったのかと心躍らせていたのに、昨夜、寝室に入って今朝は遅くまで籠もっていたことから、耳丸の考えは全くの妄想だったようだ。二人は睦まじく過ごしていたらしい。礼の艶かしい顔からそれが透けて見えてくるようだ。

 耳丸が望む二人が別れるような出来事は起こらない。

 耳丸は苦虫を噛み潰したような顔をして厩へ向かった。

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