第9話 

 月の宴、当日。

 朝から、岩城邸は落ちつかない。当主の住まうこの邸に一族が集まっているようで、本殿は賑わっている。実言と礼の離れの邸にまで人々の声は聞こえてきて、大勢が集まっている様子がうかがえた。

 礼は自分の部屋で過ごしていると、本殿に行っていた実言が帰ってきた。

「あら、あちらの様子はいかがです?」

「兄達がやってくれているよ。私は今のところ、特にすることもないようだ。皆に邪魔者にされたよ」

 なので、帰ってきた、と言った。しかし、実言は微笑みながら。

「礼、こっちに来ておくれ。縫や澪も」

 実言は隣の部屋に呼び入れる。礼を先頭に何事だろうと、女達が隣の部屋に入っていくと、そこには大きな箱が置かれている。

「まあ、今日のお衣装ですね」

 縫が声を上げた。

「さあ、礼、見ておくれ」

 縫と澪が二人で大きな箱の蓋を開けると、中には思った通り今夜の衣装が入っていた。朱色がすぐに目に入った。それは背子で、裳は紺色、添帯は芥子色のものを用意されていた。背子には緑の糸が織り込まれており、朱の明るい色に深みを加えていた。裳の裾には金糸をはじめとした紺に映える糸で刺繍がされており、添帯に至っては、ちょうど正面に来る部分に、花の模様を刺繍している。結んで体の前に垂らしておくその帯の端にも美しい刺繍が縁取っている。

「どれもいい色だろう。私が選んだ色だよ。礼が一番美しくなるようにね」

 実言は自ら箱から取り出して自信たっぷりに言って。

「縫も澪もしっかりと礼を着飾らしておくれ。礼が都中の噂になるほどの美人にね。礼、私はひと足先に宴の行われる翔丘殿に行くことになるから、宮殿で礼を見ることにするよ」

 と、縫と澪にお願いした。

 午前中、実言は部屋で寛いで、正午頃には宮殿へと向かった。実言が出ていってからは、女三人が顔を突き合わせて相談し始めた。

「実言様も人が悪い。今日まで衣装を見せてくださらないなんて」

「もしかしたら、今日、やっと仕立て上がったのかもしれませんわ」

「それにしても、豪華で立派なお衣装ですわ。お妃様との兼ね合いも考えて用意されたのでしょうけれども」

「化粧は私がいたします。あなたは髪をしてくださいな」

 縫が言って、澪が頷く。

 礼は黙って聞いているだけだ。なんと気の重いことだろう。確かに、美しい衣装に心が躍らないわけはない。実言が見立ててくれたのなら、なお嬉しい。しかし、王族の方達の中に形ばかりでも連なるなんて、恐れ多く、気後れしてしまう。

 礼が一人小さなため息をつくのを、二人の侍女は叱咤しながら、着付けに取り掛かった。

 化粧はいつものように縫がしてくれた。

「礼様の魅力は目ですよ。実言様も、礼様の目をとても気に入っていらっしゃる様子」

 片目であるのに、実言はそんなことを思っているだろうか。縫は右目を黒で縁取って、目尻にかけて跳ね上げた。それに重ねるように鮮やかな赤を入れた。そして、これも実言が用意させていた紺色に控えめに金糸の刺繍が入っている眼帯を着けた。

 それが終わると澪が髪を高々とかき上げて高髻にして、金細工の飾りの付いた簪を刺した。髪が決まると後は、真ん中に丸い翡翠を置き周りを金細工であしらった耳飾りや、金の縁に翡翠を取り付けた腕輪をつけた。首にも何重にも回した金細工を取り付けた首飾り、翡翠と瑪瑙の玉と金細工した飾りを交互につけた首飾り、そして実言の母親から預かっている首飾りをこれでもかと着けた。

「首飾りは、こんなにつけないといけないの?お母さまからお預かりしている一つではだめなの?」

 礼は黙って、澪にされるがままになっていたが、三つもの首飾りをかけられた時は、首がずっしりと重くて、そんなことを言った。

「ある物は着けるのですわ。そういうものです」

 澪は岩城家に長く仕えており、宴の装いもわかっているのだろうが、礼にとってはこんなにまでするものだろうかというほどに、多くの装身具をつけさせられた。

 澪が髪や装身具の世話をしてくれている間に、礼の付き添いをする縫の支度が整った。

 いつもなら離れから一番近い門の外に車を着けるところであるが今日は翔丘殿に行くので、車を離れの階の前まで入れて、礼はそこから乗った。

 本日宴が催される翔丘殿というのは、都の西側にある殿舎である。大王が催す宴を行うための豪華な邸で、舟を浮かべて遊べる大きな池は、床下までも浸し、見る場所によっては水の上に浮かぶ御殿に見える。御殿の西側の建物は二階建てになっている。そこに上がって見る景色は水の中にいるようで格別で、招待された者は皆がそこへ登りたがる。月夜には上の階から月を眺めるもよし、下の階で池の水面に浮かぶ月を見るのもよしと、人気である。また、四季折々に見所があるように、花から、草木に至るまで計算して作った庭も見物である。

 宴など催しのための殿舎のため、玄関は一度にたくさんの人が集まっても対応できるように大きく作られているが、それでも、今日は、久しぶりの宴のために、招待された人はいつもより多いのだろう。翔丘殿へ続く道には牛車で埋め尽くされて、進まない。

 縫が、簾を上げて外で付き従っている従者に話しかける。

「礼様、先も見えないほどに、車が連なっているようですわ。こんなに進まないものなのか聞きましたら、岩城の皆様はこういうことには慣れていらっしゃる様子で、こういうものだと言われましたわ」

 縫の言葉に、礼は頷いただけだ。

 こんなに着飾ったのは婚礼の儀式の時以来だ。もう、一年も前のこと。いつも、楽な格好でいるものだから、特殊な織りの入った背子や、刺繍の入った裳や帯、普段つけない耳飾り、首飾りが重くて、礼は宴の前からぐったりしている。

 やっと、翔丘殿の門をくぐり抜けて、車を付けるところまでくると、礼と縫は車を降りることができた。その後廂の間へと通されたが、廂の間でも渋滞は続いていた。人が待たされているのが、几帳をたてて目隠しにして誰がいるのか見えないように配慮されている。

 礼も縫もなにぶん初めてのことなので、この先どのような成り行きになるのかわからず、話をすることなくじっと待っている。

「失礼致します」

 廂と簀子縁の間にかかる御簾の簀子側から声がして、御簾が揺れた。礼も縫もじっと下を向いていたから、少し驚いて、居住まいを正した。

「御招待状を」

 入ってきた侍女が言った。

 縫は慌てて、横に置いていた箱を取り上げて差し出した。

「開けてくださいまし」

 と言われて、縫ははっと、顔色を変えて箱を前に置くと、掛けている紐を解いて中から碧妃から届いた宴の招待状を取り出した。

「申し訳ありません」

 縫は書状を差し出すと、侍女は受け取って中を見た。

「萩の館様ですわね。お呼びしてきます」

 と言って、部屋から出て行った。

「礼様、私、粗相をしたようですわ。どうしましょう。もし、実言様や碧様にご迷惑をおかけすることになったら」

 礼達はこのような宮廷の催しに関わることなく、田舎で暮らしてきたので、やることに自信がない。一つ注意されると、取り返しのつかない間違いをしたようで、縫は肩を落とした。

 たかだか、招待状を箱から出さなかっただけであるが、宮中のしきたりを知らない田舎者が岩城の一族の中にいることが回り回って物笑いの種にされたり、悪く取られて不遜や、侮辱的な態度をとったと噂されかねない。礼も、碧妃や実言、義父様に迷惑がかかるだろうかと内心、心配した。

「縫、お前一人がしょげかえることないわ。そもそも主人の私がわかっていないのが悪いのだから」

 礼の言葉に縫は小さく横に首を振っている。悪いのは自分だといいたげである。

 しかし、宮中でこのような小さな失敗を積み重ねていくようであれば、岩城の名に傷をつけてしまうだろう。これでは、耳丸に常々いわれているように、礼は実言には相応しいとは言えない。

 しばらくすると、先ほどと同じように御簾の外から声がして御簾を揺らして人が入ってきた。先ほどの侍女とは違っている。

「萩の館の者ですわ。書状を見せていただけます?」

 と言われて、縫は一旦、箱に入れていた書状を取り出して差し出す。中に目を通すと。

「礼様。碧妃がお待ちですわ。ご案内いたします」

 と言って、侍女は立ち上がった。礼も縫に助け起こされるように立ち上がり、侍女の後を付いて行った。

「お付きの方は、こちらの部屋でお控えください。ここからは、礼様だけがお通りいただけます」

 と言われて、縫とは本殿へ渡る渡り廊下の手前で別れることになった。礼は、碧妃の侍女に従って、長い廊下を歩いた。廊下と部屋の間には御簾が下がっており、部屋の中から御簾越しにこちらは見えているのだろう。通り過ぎた後に遅れて御簾が揺れて、言葉が交わされているのが聞こえた。大王の妃や、王族の妻たちとその侍女たちに見られているのかと思うと、礼の背筋はぞっと寒くなった。

 「あの隻眼の女は誰だ?」と噂されているのだろう。片目であることが、自分を人の記憶に留めさせてしまうのが難点だ。

案内の侍女が立ち止まり、振り向いて「どうぞ」と御簾をそっとあげる。

 礼はおそるおそるその内に入ると、潜めているが嬉々とした声で名を呼ばれた。

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