第5話

 礼の兄、玖珠巻と侍女の縫は、離れの別室で一時待機となった。

 玖珠巻は応対する実言に、礼が目を覚ましたら、真皿尾家に連れて帰ると言った。それを聞くと実言は慌てて説得し、怪我の状態が安定するまでは岩城の邸で面倒を見たいと言った。

「矢は私たち兄弟を狙ったものです。礼が受けた矢は、礼に当たっていなければ、私に当たっていました。礼は私の身代わりになってくれたのです。私たちに手当てをさせてください」

 実言にそう言われても玖珠巻は、最初に言ったことを曲げずに連れて帰ると言ったが、実言もそこは譲らなかった。最後には医者がしばらく安静にするべきだから、動かさない方がいいとの助言から、礼はしばらく岩城家の離れに寝かされて治療をすることになった。

 翌日、意識を取り戻した礼は、痛みに悲鳴をあげた。そして、何かに取り憑かれたように一日中唸っていて、そのうち唸り死んでしまうのでないかと思われた。

 礼の左目は、潰れており、このままにしておくわけには行かないと医者がいい、眼球を取る結論に達した。礼の父親以下兄たち真皿尾家の男たちは、その結論を受け入れ難く、二日間の家族での話し合いが行われた。しかし、このままでは目は腐り、礼の身体全てが腐ってしまうと言われると、礼の父親は、娘の命だけは助けてやりたくて、最後には、左目を取ることを承諾した。

 礼の治療の場を提供している岩城の邸でも、礼の状況は伝えられていて、礼が左目を摘出することが伝わった。それは、今までと変わりなく宮廷に出仕している実言にも伝わった。

 礼の父親の承諾の翌日、未刻に、医師とその助手の男四人と礼の侍女縫が、礼が寝ている部屋に入った。左目の痛みと熱で、昼も夜もなく唸って眠れていない礼だが、その時は小さなうめき声を漏らしながらもうつらうつらしていた。

 礼は自分の状況をわかっていない。話して聞かせることもできないし、礼は聞いても理解できるとは思われなかった。日夜痛みに悶絶している姿は、あの世とこの世の礼の縁のある人たちが礼の右と左の袖を持って綱引きをしているようだ。礼の魂はあっちとこっちを右往左往して、一歩間違えれば、礼はあの世へと導いて行かれてしまいそうだった。

 実言は礼の寝ている離れの部屋に続く廊下の柱にもたれて、その時の様子を伺っていた。

 医師の合図で、四人の男たちは礼の両手両足は押さえつけた。磔にされた礼は、驚いて、抵抗しようとした。

 礼の侍女の縫は、大きな声で礼に話しかけた。

「礼様、大丈夫です!少しの間我慢なさいませ!」

 しかし、その声が礼に届いているかは定かではない。礼は恐怖を感じるままに、その恐怖から逃れるために手足をばたつかせた。男たちはそれを押さえつけて離さない。その上で、胸を固定させるために、侍女の縫がその上に乗って、両手で顔を押さえつけた。

 礼は本能で恐怖を感じて、逃げるためにあらぬ限りの力で手足を動かし、顔を左右に振った。その姿はまるで狂人であった。縫も手足を押さえている男たちも怯むほどの暴れようだ。喉の奥から、まるで獣のような咆哮を放ち、部屋の外にいる者までも怯えさせるほどで、全力の抵抗を完全に抑え込むのに難儀した。

 実言は部屋の外でその手術の様子を窺おうと思っていたが、部屋から漏れ聞こえる様子では、到底心穏やかに見守っておられず、部屋の前まで近づいた。ちょうど礼の三番目の兄も、別室から廊下まで出て来て、中の様子を伺っているところだった。二人は目が合い躊躇したが、実言はそれを振り払って妻戸を押して中へと入っていった。

 叫び続けた礼の喉は枯れて、もう声らしい声を上げることはできないのにまだ口から声を絞りだそうとしている。手足の抵抗は激しく、縫も男たちも疲れ果てて、礼のあまりの絶叫に、縫が猿ぐつわをしようとしているところだった。

「代わろう」

 実言は、縫に言うと、縫はその場をすぐさま実言に譲った。縫が胸の上から退いた一瞬に、礼は背中を反らして、手足を持ち上げようとした。その力はとても強く、今までの礼の抵抗に疲れていた男たちはとっさに手を離してしまいそうになり、慌てて手に力を込めて抑えつけた。縫より目方のある実言が、礼の胸に乗り肩を押さえて、男の強い力に礼は抗えずぐったりとなった。礼も男たちもどちらも体力の限界であった。実言は猿ぐつわをしっかりと締め直した。もう、礼の喉は枯れきってしまって、口にくわえさせられた布を通して乾いた息を吸って吐く音がするのみだった。

「今だ」

 医者はそう言い放って、実言に礼の両頬を挟んで抑えるように言った。礼の関節という関節を押さえ込んで、その時は来た。

 礼の死んでしまった左目の瞼は押し広げられ、眼球に容赦なく医者の持つ刃物は突き立てられたのだった。

 礼は、そんな力がまだ残っていたのかと驚かされるほどに、体を反らせてその衝撃に耐えた。実言は礼の痛み、苦しさ、悲しさを全身で受けながら、その体を抑えるのに必死だった。枯れた礼の喉からは、それでも断末魔の叫び声があがった。

 実言が我に返って礼の右顔を見ると右目に涙を流して、白目をむいて、静かになっていた。

 礼の右腕を持っていた助手がすぐに脈をとって気絶しただけで、死んでいないことを確認した。

 医師はくり抜いた目玉を箱の中に取り出し、流れる血を抑えるため、厚い布を当ててその上から目を覆うように頭の周りに布を回して巻いた。

 縫は礼から取り出されたその物を見て、人知れずその場で気を失った。

「実言殿。もう退かれてもいいですぞ」

 医師が言う。

 実言は、礼の胸の上に馬乗りになったまま息が上がって、放心していた。礼の胸の上から降りて、そのまま部屋を出て行った。実言が出てきたところで、礼の兄がその様子を聞こうと近寄ってきた。

「死んではいません。気を失っているだけです」

 兄は頷いて、実言と入れ違いに部屋に入っていった。

 それから礼は熱を出して、再びうなされて苦しんだ。

 真皿尾家はこれ以上の迷惑をかけられないと言って、礼を岩城の邸から連れて帰ると言った。都の中でもそれほど遠くないため、連れて帰るのはすぐだと、本当にこれ以上の手助けは心苦しいと言って譲らなかった。その取り付く島もない態度に最後には岩城家も承知した。

 左目を摘出してからの礼は、正気の様子ではなく、口に運ばれる水や汁をすすりはするが、それ以外は黙って横になって右目で宙を見つめている。時折、手足をばたつかせて恐怖を振り払うように声をあげている。

 真皿尾の人々は結婚前の年頃の娘のこのような姿を他人の家に置いて、人目にさらしたくはない。いくら、岩城家の兄弟の身代わりになったといってありがたがられても、礼のその姿は心ない岩城家の使用人達の口から口を次いで、都に広まって行く。

 礼が自分の家に帰るその日。白い寝衣姿と目を取った左顔に当て上がった厚い布とそれを留めるために幾重にも巻いた白い布が、美しい黒髪の娘をより悲壮に見せた。

 玖珠巻に横抱きに抱かれた礼は兄の首に両手を巻いてその胸にそっと顔を寄せて、ひとまわり小さくなって岩城邸の離れから半月ぶりに出た。

 廊下で待っていた実言に、玖珠巻は一礼してその横を通る。実言も一礼して、簀子縁を開けた。兄は妹を気遣ってあまり揺らさないようにゆっくりとゆっくりと簀子縁を進んでいく。

 実言はその兄と妹の姿が簀子縁の先に消えるまで見送りながら、感じていたのだった。礼との因縁を。あの人に仕組まれたような、礼との縁を。

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