第18話木蘭の詩

飛来する水の鱗を紙一重でかわし、香菜はアスファルトの地面を蹴り、渾身の力でサーベルの切っ先をケルピーの額に突き刺す。

必殺の一撃であったが、まるで手応えはなかった。

くにゃりぐにゃり、ずぶりずぶりとサーベルがケルピーの頭部に沈んでいく。あっというまに肩まで沈んでいく。

引き抜こうにもどうにも力がはいらない。

ずぶずぶと引き込まれていく。

顎先まで引き込まれて、水が口の中に入ろうとする。げほげほと吐き出し、どうにか溺れるのをさける。

「香菜さん‼️‼️」

ドラキュラとなったみやびがマントをひるがえし、駆けつけると香菜の細い腰をつかむとおもいっきり引っ張った。

水しぶきを撒き散らしながら、香菜は死地を脱出した。

「攻撃がきなかい」

ぜぇぜぇと息を整えながら香菜は言った。


個体ならば剣でいくらでも切り刻むことかできるが、やわらかい液体だとそうはいかない。

剣撃をくわえても一向にダメージを与えることはできない。

こちらの体力が削られるばかりだ。


青色の髪をした森の霊女は一瞬にして大きな水溜まりになったかと思うと、次の瞬間にはみやびの背後に出現した。

冷えきった手でみやびの首をつかんだ。

一気に締め上げる。

ぐえっという悲鳴をあげるとみやびは唾とよだれを撒き散らした。

赤い爪の手で振りほどこうとするが水に沈んでしまい、ほどくことはできない。

端整なみやびの顔からだんだんと血の気が引いていく。


「これなら、どうだ‼️」

サーベルを頭上にかかげ、連撃をくりだす。

目にもとまらぬとはこのことだ。

際限なくくりだす刺突によってウンディーネの手は粉々に崩れていく。

ほんのすこしだが、力が弱まった。

そのわずかな隙を見逃さず、みやびは脱出し、敵から距離をとった。


ドラキュラことみやびと黒いチューリップこと香菜は背中合わせにたち、かの敵たちと対峙する。


「手強いな……」

皮肉な笑みを浮かべて、香菜は言った。

「そうね」

舌なめずりし、みやびは答える。

苦戦であり、死闘である。

ふと気が抜ければ、気力がはてそうになる。

そこをどうにか押しとどまり、勇気を鼓舞する。

大事な、大事な友を守るための戦いだ。

こんなところで引き下がるわけにはいかない。


闇の天空に両手を広げるとみやびは巨大な蝙蝠に変身した。

何度か羽ばたくと空中を駆け、一息に水原瑠加におそいかかる。

剣のように鋭い爪と牙で彼女の豊かな体を肉片に変えてしまおうというのだ。

だが、そうはいかなかった。

水の魔獣と森の霊女が折り重なり、分厚い壁となって、弾きかえした。

ゴロゴロと地面を転がった大蝙蝠は変身をとき、みやびは体勢をととのえた。

「本体をたたけばどうかと思ったけど、さすがに無理みたいね」

くやしげにみやびは言った。


ふわりと空中を飛び、みやびのもとに実知は着地した。

手にもつ長剣をくるりと回転させる。

「大丈夫、みやびちゃん」

「ええ」

こくりと頷き、みやびは答えた。


長剣を天空につきだし、実知は華麗に踊る。

京劇の舞踏にちかい。

かろやかで晴れやかだ。

思わず、目を見張らずにはおれない。

そしてたからかに詩を歌い上げる。

その声は聞くものの体をいやし、勇気ずける。

身体中から気力と体力がわいてくる。


彼女が歌っているのは「木蘭従軍之詩」であった。

無数の敵を相手に決して引くことのない花木蘭の勇気がそこには込められていた。

その詩を歌うことによって、対象者の肉体に勇気と希望をわきださせるのである。

それが彼女の能力の一つであった。


「ありがとう、実知」

香菜は言った。

攻撃のまったく効かない相手に気持ちが折れそうになっていたが、実知の詩を聞くことによって勇気千倍となっていた。


さてどうするか、と思案していると結沙がとなりに立った。

彼女は香菜の袖をぐっと握った。

「きたんだね」

香菜はとうた。

その袖を握る愛らしい少女の瞳には決意の色に染められていた。

「はい」

そう言い、こんどは袖をはなし、手を握る。

指をからませ、ぐっと握りしめる。

「香菜さん、お願いがあります。魔書黒いチューリップに触れさせてください」

と言った。

「事態をすこしかえてみせます」

自信たっぷりに結沙は言う。

「わかったわ」

すっと香菜は魔書黒いチューリップを目の前に差し出した。

そっと結沙はそれに手をそえる。


そうすると魔書が光輝いた。

正当な持ち主以外の人物にその本は反応していた。

「そんな、私以外に反応するなんて」

香菜は驚きを隠せない。


さらに結沙は手に持っていた五芒星の栞を重ねた。

「著作者権限において命ずる、出でよギョーム伯爵‼️‼️」


地面が輝き、そこに一人の剣士があらわれた。

黒いチューリップと同じようなつば広の帽子をかぶり、腰に剣をぶら下げている。

その秀麗な顔には斜めに刀傷が刻まれていた。

「やあ、ジュリアン。我が弟よ、助太刀しようではないか」

ゆっくりとサーベルを抜き、身構える。


それが父本郷字朗から受け継いだ能力であった。

他者の魔書に干渉し、その力を引き出すのである。

魔書を製作した本郷の血をもっとも濃く受け継ぐ結沙だけが用いることのできる能力であった。





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