第12話邂逅と思惑

羽根つきのつば広帽をモデル並みに形のよい胸にあてると、黒いチューリップは大業なお辞儀をし、くるりとマントを翻し、回転した。

するとどうだろうか、パンツスーツ姿も凛々しい大人の女性へとかわってしまった。

手に持つ一輪の黒いチューリップは光輝き、一冊の書物へと姿を変える。

純白の表紙に黒いチューリップが中央にデザインされた美麗にして華麗、そして秀麗なる本であった。

「そ、それはもしかして、魔書……」

ぼそぼそと聞き取れにくい声で結沙が言う。

「そうだよ、お嬢さん。やはり、君は訳ありのようだね。どうりで星のしおりが騒ぐはずだよ。よければ、名前を聞かせてくれないかね」

派手でエキゾチックな顔を近づけ、ウインクしながら言った。

その目鼻立ちのくっきりした美しい顔立ちは、やはり日本人離れしていた。

この人は外国の人かしらという疑問を結沙の心の中に浮かばせた。

「おっと名前を聞くには自ら名乗らないといけないね。私の名は兼続香菜。こんな顔してるけどれっきとした日本人さ。おばあちゃんがペルシア人なんだよ」

そう言うとビジネスバッグに魔書をしまいこむと、かわりにハンカチを取り出し結沙の愛らしい顔をふきとった。

「私は本郷……いえ、今は本宮の籍に入り、本宮結沙といいます」

ペコリと小さな頭を下げ、結沙は頭を下げた。

もともと大きな目と口を目一杯開き、兼続香菜は開いた口を両手でふさぐ。

「こいつは驚いた。もしかして、君は本郷先生の血縁者かな」

ときく。

「はい、私の父です。かなり、親戚のひとたちに迷惑をかけて一年前に亡くなりました」

結沙はうつむき、そう答えた。彼女の視界には泥の地面だけがうつっていた。

ぽんと結沙の細い肩に香菜は手を置く。

「確かにね、そういう一面もあるかもしれない。でもね、本郷先生は掛け値なしの天才だった。それは確かなことさ。私たちに魔書を残してくれたからね。それに黒いチューリップを譲ってもらったから、君と出会えた。君のお父さんに感謝している人間もいるというのを忘れないで欲しい」

「はい、香菜さん」

すくっと顔をあげると香菜の宝石のような瞳をみつめ、結沙は少しだけだが、明るい声で言った。

今まで忌み嫌われる言葉だけを亡き父にかけられてきた彼女にとって、初めて感謝の気持ちを持つ人間に出会えて、心の底から嬉しかった。

「しかし、かなり汚れたね。どうだい、私の家にいってお風呂でも入らないかい。その間に洋服を洗濯して上げよう」

兼続香菜が提案する。

びしょ濡れで肌寒く感じていた彼女にとって願ってもないことではあったが……。

「でも……学校が……」

と戸惑いの声。

「なにかまうことないさ。長い人生で一日ぐらいずる休みしてもどうってことないよ。そうだ私も仕事休んじゃおう。それにさ、その格好では学校にはいけないだろう。風邪引くかもしれないしさ」

悪魔のような声で香菜はささやく。もしかすると、彼女は自分がさぼりたいだけかもしれない。

「そ、そうですね」

少女は誘惑に乗ることにした。

どこかわくわくした気分になっていた。

初めておこなうであろう不良めいたことに、彼女興奮のようなものを覚えていた。

ぐっと力強く香菜の手を握ると二人は児童公園から立ち去った。

背後でのびている少年たちを気にすることなく。


路地裏で彼女たちのやり取りをじっと、あまりまばたきもせずに見ている人物がいた。

青地に雪の結晶柄の和服を着ていた。

和服の上からでも分かるふっくらとした女性らしい丸みを帯びた体型をしている。

白色の扇子で猫のような愛らしい顔に風を送り、立ち去っていく二人の背中を見送る。


彼女の名は朱椿早織。


この国の魔法社会を文字通り牛耳る六つの家の一つ朱椿家の現当主が彼女であり、朱椿伊織の双子の姉であった。

伊織が豹やチーターなどの俊敏な猫科の動物を連想させるのに対し、早織は森の女王である虎を連想させた。


優雅に歩みを進め、意識を失っている少年たちの目の前に立つ。不思議なことに彼女の白い足袋も下駄も泥汚れは一つもついていなかった。

「これ、起きぬか」

扇子を一ふりすると、彼らは意識を取り戻した。

うんうんと唸りながら、早織の切れ長の瞳を彼らは見た。

「うぬら、ようもやってくれたの。あのものは義理とはいえ愛しい愛しい文彦さまの娘。それはすなわち妾の愛娘といっても過言ではない。童どもよ、覚悟せよ」

ぎろりと睨み付けると早織の瞳はみるみるうちに真っ赤に染め上がっていく。

少年たちはどうにか魔力を発動させ、対抗しようとするが、まったく体が動かすことはできない。


蛇に睨まれた蛙といったところか。


「お、お前はだれなんだ」

肥満児が言う。


「嘆かわしい。この程度の束縛も突破できぬのか。それでも魔導を志すものか。朱椿の当主の顔もわからぬとわ。最近になってわいてきた下等な魔術師などその程度のものか。それに比べてあのお方のなんと勇ましかったことよ。魔力を一切もたずに金星の申し子たる魔術師に勝利したのだからの。主ら力弱し者にしかその術をふるえぬおろか者とは天と地、月とすっぽんよ」

扇子をゆっくりとあおぐ。

そよ風が彼らの顔を撫でていく。


「鞍馬流狗道術‘’幻‘’」

そう言うと早織の瞳がさらに赤みをます。


「虫が、虫が、虫が……」

狂ったように彼らの泥だらけの地面をのたうちまわる。

彼らは幻覚に惑わされていた。

身体中の皮膚を突き破り、ありとあらゆる虫たちが這いずり回り、彼らの肉を食い破っていく。虫を振るい払おうするが、気味の悪い虫たちは次々とわきだしてくる。

しばらくその様子を眺めていた早織であったが、パチンと扇子を閉じた。

赤い瞳がもとの黒目がちな色にもどる。

「つまらぬの」

虫たちは少年たちの視界からどこへともなく消えていく。

泡を吹きながら、彼らは再び意識を失った。その意識が再び戻るかは定かではなかった。




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