第9話時矢荘の人々
ぴっちりと体のラインを際立たせたタキシードを着て、ドラキュラと名乗ったみやびの姿を見て、幸村雪は驚愕せざるおえなかった。
小雨に濡れる顔の下半分を手でおおい、悠然と立つ彼女をじっとみつめる。
ちらりと視線があう。
「そうよ、私も魔書を使えるの。いえ、正確には私たちね。詳しくはあとで説明するわ。今はこの場を切り抜けるのが先決ね」
豊かな胸の前で腕をくみ、みやびは平然と冷静に言った。
三歩ほど雪は後ろにさがり、彼女は見守る。
いつも生活を共にしている下宿の同居人で親友の彼女が魔術師と対峙し、戦闘を行おうとしている。
今の疲れきった自分には見守ることしかできない。
理由はわからないが、みやびがもつ黒皮の本を見たときから、あのゴシックロリータの魔術師には決して敗北することはない、そんな妙な自信がわいてきた。
それはあの魔書と呼ばれる本の不思議で不可解な作用かもしれない。
つくりものめいた瞳で、黒服のゴシックロリータの魔術師は突如変化したみやびの姿を漫然としてながめている。
侮蔑の笑みをその秀麗な顔に浮かべると両手の指を突き出した。
無数の水滴が集合し、弾丸を形成する。
数えるのが馬鹿らしいほどの弾丸たちが目前に揃えられる。
「そのような姿になったからといってどうだと言うのだ。もしやかのノスラフェラトゥにでもなったというのか。貴様は不死者の王にでもなったというのか」
アハハハッと乾いた声で笑うと、頬のあたりの皮膚が、小指の爪ほどの皮膚が剥がれ落ちた。古くなった土壁がぼろぼろと崩れるようにだ。
「やはりこの体はもう長くは持たないか。早くあの女の体が欲しい。どうでもいい、牝豚、邪魔だてするのなら死んでもらう」
ひらりとマントをひるがえし、みやびは自信たっぷりの笑みを浮かべる。
「やれるものなら、やってみなさい。いっておくけど、こうなった私は強いわよ」
眼前に展開された幾百もの水の弾丸は、瑠美が腕の前で交差し、一気に振り下ろすとそれは一斉に発射された。
文字通り雨あられとなってその必殺の弾丸たちは、みやびの豊満な体を肉片へとするべく、空中を駆けぬける。
水の弾丸がみやびに衝突する瞬間、彼女は一瞬にしてただの暗闇に変化した。
ただただその弾丸は暗闇を駆け抜け、背後のブロック塀にぶち当たり、みやびのかわりにそれを粉々に打ち砕いた。
暗闇の塊は空中にのぼり、またもや変化する。それは巨大な吸血コウモリへと変身した。
大きく羽ばたくとそのコウモリは、牙をむき出し、瑠美に襲いかかる。
咄嗟に瑠美は水を身のまわりにあつめ、盾をつくりあげる。
吸血コウモリの剣がごとく鋭い牙は、瑠美の体のかわりにその水の盾を打ち砕くのみであった。
黒い毛のない翼をひとつ羽ばたかせると、彼女は一回転し、元のタキシード姿のみやびへと戻った。
「ちょろちょろとうっとおしい」
舌打ちし、瑠美は般若の形相でにらみつける。
パンと手を叩くと水滴たちは、再度集まり、今度は槍へと変化した。
雨はどこまでも水の魔術師に味方する。
原材料は無限に空から降り注がれる。
手首を軽くふるとその水の槍は、彼女を貫くべく飛翔する。
手刀をつき出すと、みやびは精神を集中させる。
赤く塗られた爪は鋭く延び、かつてアサッシンが用いた鉄の爪と酷似している。
やっという短いかけ声と共に一閃させると、槍を二等分の一に切り捨てた。
かっと地面を蹴り、その赤き鉄の爪を瑠美の細い首を突き抜くために、みやびは翔ぶ。
ひるがえるマントが翼のようだ。
地面の水溜まりがバシャッバシャッとはぜた。
その爪が瑠美を貫いたと思われたが、現実にはならなかった。
薄い水の膜がぎりぎりのところでみやびの必殺の一撃を防いだ。
衝撃でべきりと赤い爪がおれる。
折れた爪が、瑠美の肩をかすめ、衣服と肉をこそぎ落としていった。
粘土のような肉が雨に濡れた地面に落ちた。
地面に突き刺さった爪が左右にゆれた。
傷ついた肩を押さえ、瑠美は後方に飛びずさる。
「おのれ……下民どもめ。今宵はこれで引いてやろう。だがな、覚えておくがよい。幸村雪よ、おまえは私となるのだ。これは決定事項なのだ。ゆめゆめ忘れるではないぞ」
そういうとさらに後方に飛ぶ。
その距離は十メートル近い。
さらに飛ぶと、もう闇夜にかくれ、見えなくなってしまった。
「逃げちゃったわね」
牙の映えた口でそう言うと、マントを翼のように広げ、雪の体を包んだ。コウモリ傘を畳み、雪はみやびに体を預ける。
みやびの心臓の鼓動音が耳に暖かい。
その鼓動音を聞くと、まぶたが急速に重くなり、眠ってしまった。
「どうせだし、飛んで帰っちゃおう」
背中にコウモリの羽が生えると、彼女たちは夜空に消えていった。
バサリバサリと翼を羽ばたかせ雨の夜空を飛び、静かに時矢荘の玄関前に着陸した。
変身をとくと彼女は素っ裸になっていた。
くしゅん、とわざとらしいくしゃみをする。
横開きのガラス戸をガラガラと開け、実知と香菜が出迎えた。
腕の中ですやすやと眠る雪の顔を見ていると、ぐうっとみやびの腹が鳴り響いた。
「あの力を使うと服がダメになっちゃうし、お腹がすくんだよね」
とみやびは愚痴を言う。
「ちょっとあんた、またおっきくなったんじゃない。こんな健康的な吸血鬼がいてどうするのよ」
そういうと香菜は、みやびの胸を鷲掴みにする。指の隙間から肉がはみ出るほどのボリュームであった。
「ひゃっ」とちいさな声をみやびはあげる。
「まあまあ、そんな格好だと風邪ひいちゃうわよ、さあ、中に入りなさい」
妙に落ち着き払った声で、実知は言うと、二人をアパートの中に招き入れた。
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