第7話歪んだ欲望と夢
その赤い唇が触れた瞬間から、体の中のなにかどろどろとしたよくないものが、だんだんと腹部あたりに集まってくる感覚がした。
やがてそれがひとつの塊となり、外に吐き出したいという欲求へと変化する。
「それはよくないものです。外に出してください」
そう言うとアルフリードは人工呼吸の要領で雪の口から吸いだそうと、再び唇をかさなる。
胃のあたりに集まったそれは食道を逆流する。息苦しさに顔をしかめながら、ついにげほっとそれを吐き出した。
逆流されたそれをアルフリードは口で受け止めると、ぺっと床に吐き捨てた。
へどろのようなそれは、床の上でうにうにと蠢いていた。
しばらくするとゼリー状のそれは、煙を発して、蒸発してどこへともなく消えてしまった。
「まったく、ザッハーク並の奸知だな」
ゴミを見るような冷たい視線をその消えてしまった塊の後の黒ずみに送り、女戦士は言った。
黒い塊を吐き出したあと、体がふわりと軽くなるのを感じた。アルフリードの手からか降りる。
戒めから解放され、体が自由になる。
背中のマントをとり、アルフリードは雪におおいかぶせた。
「ありがとう。まさか、本のなかの登場人物が現実にあらわれるなんて……」
雪は言った。
「我が君の手にあるあの本は、そういう本なんですよ。魔書と呼ぶ人もいます。とある人物がつくりだした魔術師に抗う術の一つなのです。物語を愛する人間の声にこたえることができる存在なのです」
ちいさな雪の両肩をだきしめ、大柄な女戦士はみずからのふくよかな胸に押し付けた。
「ああ、我が君、ご無事でなによりです。物語世界の人間は読者を失われるのを何よりも恐れます。本当に良かった。しかし、我が君、あなた様はいまだ未熟です。いつか、我らを完全に使いこなせる日がきたならば、あのような悪辣卑劣なる魔術師など相手になりますまい」
さらに強くだきしめると、バラのような香りが雪の鼻腔を刺激した。
「今宵は、これにて失礼いたします。いついかなる時も我らは我が君にお味方いたします。それではしばらくのお別れです……」
そう言うと、アルフリードはどこへともなく消えてしまった。残ったのはバラの香りと純白のマントだけであった。
切り落とされた右手首を血を操作してどうにかつなげ、顔にできた傷口から流れる血液も止血する。体中に刺さったガラスの破片は歩きながら、抜けていく。それがポロポロとアスファルトの地面に落ちていく。
魔力のほとんどを戦闘による傷と落下による負傷の回復に使ってしまったので、足を引きずり、歩くのが精一杯であった。
残る魔力で空気中の水分を操作して、彼は透明な膜のようなものをつくった。それにより町行く人々には、水原のことを視認することができない。
しばらく歩を進めていると傷だらけの魔術師の目の前に、一人の少女があらわれた。
ひらひらのゴシックロリータの服装に身をつつみ、虚ろな目で血みどろの水原の顔を見ていた。
「瑠美……迎えに来てくれたんだね……ごめんよ……次のいれものは手にはいらなかった」
涙を流し、彼は瑠美と呼んだ愛らしい表情の少女に抱きついた。
ちいさな腕を彼の背に回し、血の気のない顔で頷く。
水原は静かに意識を失った。
気がつげは、そこはキングサイズのベッドの上だった。
薄暗い、だだっ広い部屋で、彼は裸で寝かされていた。
右手首と顔に裂傷は残るものの、血に汚れた体はきれいに拭き取られていた。
ぼんやりと電源のついていないLEDライトを見ていると、ガチャリとドアを開け、背の高い女性が入ってきた。
一糸まとわぬ姿であった。
豊満な体を手で隠しもせず、むしろ女王の貫禄さえたたえながら、彼女はベッドに乗り、武瑠の体にまたがる。
切れ長の瞳で武瑠の傷ついた顔をながめ、赤い爪の手で優しくなでた。
「かわいい弟よ。許せないわ、このきれいな顔にこのような醜い傷をつけるなんて……」
「瑠加姉さん……」
そう体の上に乗る女の名を呼び、おもむろにその豊かに実る乳房に手をそえ、ゆっくりと撫でまわす。深く食い込む指の感触はこの世のものとは思えない極上の柔らかさであった。
「でも、姉さん……あの子は……瑠美のいれものになるんだ。壊しちゃだめだよ」
少年のような声で彼は言った。
「わかったわ。殺してと頼まれても、生かしてあげるわ。そういう趣向も嫌いではないわ。その物にはそれに似合った罰を与えないとね……」
「そうだね、姉さん。おしおきは必要だよ」
鉄のようになる一部分を武瑠は姉の肉付きの良い腰に差し入れ、彼と彼女は一つになった。
「さあ、水の交換を行いましょう。あなたの中の汚れた水を私の中で浄化してあげるわ。きれいになった水をもう一度あなたの中に流し込んであげる……」
そう言うとゆっくりと瑠加は大きく腰を上下に振りはじめた。
恍惚とした表情で、武瑠は瑠加の大きすぎる胸に口づけする。
べろりと唾液を滴らせながら、瑠加は武瑠の顔の傷をなめた。
彼ら、彼女らはこのようにして、魔術師としての血統を保ってきた。魔術師の能力は血を重ねるごとに強くなる。その血が近いならばなおさらである。甥と姪、いとこ同士、兄弟親子、祖父と孫、近しい血縁により血を濃くすることによって魔力は相乗効果的をもって強くなる。
彼らを純血主義者と呼ぶものもいる。
千年もの長きにわたり、彼ら一族はそのようにして血統を保ち、魔力を高めてきた。
その力は三十年前に突如として大量に出現した魔力を持つ人間たちとは格と歴史がちがうのである。
その強大な魔力を持つ一族故、水原の家系は別名白梅と呼ばれる家門の中核をなしている。そして、白梅はこの国の魔法社会を支配し君臨する六家族の一門に数えられている。
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