第5話魔術師の奸計

壁の時計は既に22時を指していた。

会議の日程が急遽早まり、その為の資料作成に雪は残業をこなしていた。

重たいまぶたを指でこする。

さすがに疲労がたまり、眠気が体のなかを駆け回っている。

どうにか一段落し、帰宅できる算段がついたので、彼女は荷物を整理し、首をぐるぐると回して、硬くなった筋肉をほぐした。

帰り支度をしている雪の目の前に冷たい缶コーヒーが置かれた。

「幸村さん、お疲れ様です」

軽やかで爽やかな笑みでねぎらうのは、水原武瑠であった。

既にオフィスには彼と彼女しかいなかった。

ちらりと雪は水原の端正な顔を見ると、その缶コーヒーを両手で受けとった。

「ありがとう」

と言い、なんの疑いも持たずに、指でプルトップをあける。


魔力のある人間はこういう動作も魔法を使うのかなと、ぼんやりとした考えが頭をよぎった。


甘さと苦さがいりまじった冷たいコーヒーが乾いた口を満たし、喉を流れていく。一口、二口と液体は体にとりいれられていく。

その直後、ぼとりと缶コーヒーを落としてしまった。

こぼれたコーヒーがカーペット地の床を汚す。

カフェインとミルクの香りが周囲に漂う。

体中に力が入らない。

まったく入らない。

だが、意識だけははっきりとしている。

まるで、金縛りにあっているようだ。

ばたりと床にたおれ、不本意な口づけを余儀なくらされた。

指一本動かすことができない。

状況が把握できず、頭のなかが混乱する。

視界に水原の秀麗な顔があらわれる。

その顔はだんだんと下品な笑みが支配していった。

雪が見たこともない、完全に人を見下した笑みであった。

「やっと二人きりになれたね」

にやにやといやらしい笑みで水原は言った。整った顔立ちにへばりつくそれは、かなり不気味で見るものを不快にさせる。

「な、なにをしたの」

息をするのも苦しい。

やっとの思いで、雪はそうきいた。


すっと水原が右腕をあげると、雪の小柄な体が宙に浮いた。ちょうど磔の聖者の姿となる。ちいさな顎をくいっとつかむ。

「僕はね、ずっとこの時をまっていたんだよ」

そういうと強引に唇を重ね、無理やりに舌をねじこまれた。執拗に舌をからませ、唾液を流し込まれる。体がいうことをきかず、まったく抵抗ができない。

「かわいいね、幸村さん。僕はね、初めて見たときから、君のことを気に入ってたんだよ。ずっとずっとずっと、僕のものにしたいと思ってたんだ。この機会を待ち望んでいたんだよ」

やっと口を離し、唾液に濡れる口元をぬぐうと、水原は言った。

少しだけ解放された雪はぜえぜえと荒く息を吐き出す。どうにかして、呼吸を整える。苦しくて涙でにじむ目元をぬぐいたいが、体がいうことをきかない。

彼の魔力によって、身動きがとれなくなっている。


今度は軽く指を左右にふると、ウォーターサーバーのタンクが突如破裂し、それが透明な水蛇となって、雪に襲いかかる。

彼女の表面ぎりぎりを駆け抜け、器用に衣服だけを切り裂いた。

小ぶりだが、形の良い乳房が姿を表し、水原はおもちゃをもらった子供のような顔で、それを強く握った。

「嫌……やめて……」

どうにかその言葉だけを発することができた。

これほどの屈辱があろうか。

身動きを封じられ、欲しいままに、まさに欲望の捌け口へと自分が成り下がろうとしている。

人間の尊厳もなにもあったものではない。

あらわになったすこし固さのある胸を楽しげにもみながら水原は言う。

「人は水。僕は、水を司る魔術師。水を支配する者。だから、ほんのちょっと君の中の水をいじらせてもらうよ。なに、すぐに感謝することになるよ。この世のものとは思えない気分を君にあげよう」

指にすこし力を入れると、雪の体中に電撃のようなものが突き抜けていった。

油断すれば、意識を失いそうになるほどの衝撃だった。

おもむろにに水原は雪の胸のふくらみの先端に口をつけると、その白い歯であまく噛んだ。

ただ、それだけのことなのに、雪の体中を言い様のない快楽が絶え間なく襲い続け、口の端からだらしなくだらだらと涎をながした。

気持ちいいと言ってしまいたかった。

だが、その言葉をぐっと飲み込む。

無理やりにそのような体にされ、その言葉を発してしまったら、自分の中の大事なものが壊れてしまうような気がしたからだ。

耐えきれず、ハアハアと熱い吐息を漏らしてしまう。

「どうだい、気持ちいいだろう。喜ぶがいい、魔力を持たない君が僕のような選ばれた人間の所有物となる栄誉を与えられるのだ。君が望めば、もっともっと素晴らしい快楽をあたえてあげよう」

はははっと欲望にまみれた魔術師は高笑いをする。

「誰が、誰が……おまえの物になんてなるか……この、薄汚い上位主義者め……」

上位主義者とは魔力を持つ人間が持たぬ者を、侮蔑する対象であると認識するものたちのことをさす。当然ながら選民意識の塊のような人間が数多く存在する。

必死の雪の抵抗を水原は軽く、受け流す。


だが、この時、屈しない雪の心が奇跡をよぶ。


がたり、がたり、と奇妙な音が連鎖すると机の引き出しから、一冊の本が飛び出した。

それは雪が肌身はださす持っていた「王の書」であった。

瞬時にそれは輝く。その光は目を開けていられないほどであった。

思わず、水原は両手で顔をおおう。

どうにか、光で痛む目を開けたとき、彼の目の前には褐色の肌をした背の高い女が立っていた。


「我が名はアルフリード。我が君をお救いするため、物語の世界より推参した。悪き魔術師よ、覚悟せよ‼️」

赤銅色をした肌を持つ女はそう言うとと、背の円月刀を抜刀したのだった。



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