第4話かわいそうな遺体

額に浮かぶ大粒の汗を手の甲で雑にぬぐい、本宮文彦は、口の中が酸っぱくなるのを顔をしかめて我慢していた。

彼に苦悶の表情を浮かばせる原因は目の前に置かれた無惨な女の遺体であった。

その遺体は手首、肘、肩、首、銅、膝、足首の合計十二ヶ所が切断されていた。並べてみるときれいに人の形になった。

傷口の切断面は非常に美しく、何か鋭利な日本刀や手術用のメスのような刃物で切られたのではないかと思われた。

「かわいそうな遺体だな。見てみろ、この顔を……苦痛と快楽がいりまじった奇妙な表情だ。いったいぜんたいどうやったらこんな顔を浮かべさせれるのだ」

少し高い声がするので、ふりむくとそこには、ぴったりしたデザインの黒いスーツに身を包んだ若い女が立っていた。

ボタンを二つ目まで開けた白シャツの隙間から、形の良い胸の谷間がちらりと見えた。

その立ち姿はどこかチーターやピューマなどの猫科の肉食獣を連想させた。

よく引き締まった肢体は陸上選手などのアスリートのようだ。

切れ長の細い瞳を持つその容貌も猫のようであった。

「伊織……こいつは間違いない。魔術師の仕業にちがいない。それも高度な技術を持つ魔法使いだろう。普通の人間には人をこんな形に変化させるのは不可能に近い」

女の名を呼び、文彦は言った。


朱椿伊織というのが、この女性の名であった。この国の魔法社会を牛耳る「六花」という組織の一家門である朱椿に名を連ねる者の一人である。


地面に両手をおき、伊織は女の遺体の傷口に鼻を近づけ、くんくんと匂いをかいだ。

「すこしだが、ケシの花の香りがする。低温で熱せられた肉の匂いも……」


無精髭の顎に手をあて文彦は考える。


「じゃあ、この女は薬物中毒だったのか、それとも薬物を投与されたのか。そして、じんわりと内側からミディアムレアに焼かれて殺された」

おえっと大袈裟に道化染みた動作を文彦はする。

「数日前にも同じような遺体が山中で発見された。その遺体も同じようにバラバラに切断されていた。私は同一犯人による魔法犯罪だと考えるがどうだろうか……」

「だろうな……しかし、悪趣味だな」

ジャケットの胸ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつける。

紫煙をふわりとくゆらせる。

魔法文明はなやかな現代においてライターをわざわざ持ち歩く人間はすくない。魔法で簡単に火を点すことができるからだ。

これは文彦が魔法を使えない人間であるという一つの証明であった。

「まるで魔法社会によみがえった切り裂きジャックだな」

タバコの煙と共に、ぼそりと文彦は言った。


殺害現場を警察に任せて、その場を後にした二人はある少女と合流する。

肩からすこしはみ出るぐらいの長さの黒髪に、目鼻立ちのはっきりとした、かわいらしい少女だった。

「お疲れ様です、父さん」

少女がそう言うと、文彦はぎろりと厳めしい顔でにらみつける。

「お前とは書類上は、親子だが、ただそれだけだ。俺たちは形式上そういう関係だが、それは仕方なくだ。そういう風に呼ばれる筋合いはないし、お疲れ様なんて言われるゆわれもない。子供はそんな言葉づかいをする必要はない」

冷たくいい放つと少女は愛らしい顔をうつむかせて、

「はい……」

と小さく答えた。

それを聞いた伊織はドンと肘鉄を文彦の鳩尾に食らわせる。

これ以上ないほどクリーンヒットし、文彦はゲホゲホと咳き込み、その目に涙を浮かべた。両手で腹部を押さえ、体をくの字に折り曲げる。

優しく少女の艶やかな頭をなでると、伊織は、

「許してやってくれ、結沙ちゃん。こいつのこれは悪いくせでね。まあ、照れ隠しみたいなものだ。本心では君みたいなかわいらしい女の子が家族になって嬉しくて仕方ないのだよ」

といった。

「だ、誰が照れ隠しだ」

ぜえぜえと荒い息を吐きながら、文彦はいうので、

「強情なやつだな」

まったく無駄のない動作でくるりと文彦の首に腕を回し、瞬時にヘッドロックをきめると形の良い胸元にグリグリと伊織は押しあてた。

もはや窒息寸前の文彦は真っ赤な表情で均整のとれた伊織の肩を叩く。

「わかった、わかったから離してくれ」

ヘッドロックを解除すると、両手で首をおさえ、彼はどうにか呼吸を整えた。

小学生のようにじゃあれあう二人を見て、くくくっと結沙は微笑んだ。

「そうだ、結沙ちゃん。お腹空いてない。この先にうまい中華屋があるんだ。食べに行こう」

伊織がいうと、

「はい、伊織さん」

と結沙は元気よく答えた。

「おいおい、あんなの見た後によく飯なんかくえるな」

呆れながら文彦は言った。

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