第2話古本屋での出会い
夕暮れ、仕事を終え、帰り支度をロッカーでする雪に、同僚の女子社員が声をかける。
「ねえ、幸村さん、このあと呑みにいかない。水原くんも来るみたいなんだけど」
と雪を誘った。
「う~ん、ごめんね。今日は姉さんに家で食べるっていったから」
「あーあの美人の大屋さんね。うん、わかった、じゃあまた誘うね」
どこか嬉しげにその女子社員はロッカーを出ていった。
彼女としては、形式上誘ったものの、ライバルが減って良かったと思ったのかもしれない。なぜなら、その表情がにやけていたからだ。
帰路、雪は一人で高架下の古書店に立ち寄ることにした。
その古書店は雪の行きつけで、年季のはいった本たちがところ狭しと並べられ、天井ちかくまでつまれていた。
店のおくでニット帽をちょこんと白髪の上にのせた店主がぼんやりと古びた雑誌を眺めていた。
古本独特の匂いが雪は、嫌いではなかった。
この古本の山から気になる本を探しだすのは、宝探しに似て、わくわくするものがあった。
むろん、社会人一年生の彼女にとって、高価なものは手がでないが、安いもの中から掘り出し物をみつけると、やったーと飛び跳ねたくなるのだった。
雑多につまれた古書のうちの‘’一人‘’に、なぜか導かれるようにして、雪はその本を手にとった。それは、彼女の目には光輝いて見えた。眩しくさえ感じられた。
豪華な装丁の本だった。表紙は革製のようだ。つるりとどこか冷たく触り心地よい。ずっと撫でていたいという欲望にかられる。
どうにかその欲望を我慢し、パラパラとページをめくる。美麗で華麗で秀麗な文字の羅列。思わずうっとりと見とれてしまう。
この本が欲しい‼️
どうしても欲しい‼️
なにが何でも欲しい‼️
心の奥、魂の最底辺からそうこみあげてくる感情があった。
でも、きっと高いのだろう。
その本は素人が見ても芸術的な価値が読みとれたからだ。
かなり悩んだ挙げ句、値段だけでも聞こうと白髪の店主にその本をさしだした。
「あの……この本なんだけど……」
ぎょろりと店主は白い眉をあげ、雪の幼く愛らしい顔をみる。
彼は、はっとして驚く。
「嬢ちゃん、その本が手に持てるのかい。まさか、読めるっていうんじゃないだろうね」
唾を撒き散らしながら、思ったより大声で老店主は言った。
汚いな、と思い雪は顔をしかめた。
「う、うん。読めるけど……」
恐る恐る答える。
「いやぁ、こりゃたまげた。その本はね、オリーブっというたいそうな美人がおいていったんだがね。なかなか売れんでね。綺麗な本なのに、誰も手にとらんのだよ。ずっとずっと本棚におかれててね不憫に思ってたんだよ」
ずるりとレジ横の湯飲みの冷めた茶を店主は飲んだ。
「その本、あんたにあげるよ。どうせ、ただで置いていった本だからね。嬢ちゃん、大事にしてくれるなら、あんたに譲るよ」
はははっと実にうれしそうに店主は笑った。
白い雪の手を力強くにぎり、
「その本は、運命をかえる持ち主を選ぶ本だってあの美人さんはゆっとったよ。大事にしてくれよ、嬢ちゃん、約束だよ」
「うん、わかった‼️」
子供のようにはしゃぎ、雪はいった。
ありがとう、ありがとうと何度も雪は礼をいう。
店を出る前におまけだと言い、老店主から星のマークがデザインされた布製のしおりをもらった。
下宿に帰り、同居人の一人である兼続香菜と晩ごはんのカレーを雪は、一緒に食べていた。
祖母がイラン人である香菜は、エキゾチックな顔を雪に近づけ、
「やけに、嬉しそうじゃない」
ときいた。
「いいもの、手にいれたんだ」
にこやかに笑みを浮かべ、あの古本を香菜に見せた。
表紙を目を細め、見ながら、彼女は本に書かれたタイトル読んだ。
「あら、王の書ね。面白そうなの買ったわね」
「香菜姉さんも読めるのね。ううん、買ったんじゃないんだ。貰ったんだ。大事にしてねって」
「へえ、良かったじゃない。雪、本が大好きだもんね。大切にしなさいな」
そう言い、香菜はカリカリと付け合わせの福神漬けを軽妙な音をたてながら食べた。
その日から、雪は夢中になりその「王の書」という本を読みふけった。睡眠時間をけずり、会社の休憩時間や通勤の電車の中で、少しでも時間見つけては読書にあてた。
「王の書」は雪を熱中させるのに充分な面白さを持った本であった。
おそらく手書きであろう、活字を越えた美しさを持つ文字たちは目に心地よく、快感ですらあった。時間を忘れて読んでいても、決して疲れることはない、不思議な力があった。
その内容はイスラム以前のペルシャを舞台に白髪の名将サームの息子勇者ロスタムが数々の冒険を繰り広げるというものであった。
吟遊詩人ギーヴ、女戦士アルフリード、草原の王女ファランギース、剣豪キシュワードらを仲間にし、最後には世界滅亡を目論む蛇の魔王ザッハークを討ち滅ぼすというものであった。
もう何度何も度も読み返したが、その度に新しい発見のある「王の書」を枕元におき、雪はいつも眠りにつくのであった。
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