天使の書
やまくる実
第1話
~聞えるのは悲鳴と銃声
ココは地上での地獄
甘い蜜を吸っているのは誰だろう
ボロボロの身体を引きずって
一滴の水を求めて
一歩一歩と前に歩く
心音のない 大事な家族を背中に背負い
絶望と恐怖に
明日への希望をどうやって見つけ出そう
こんな時でも星は綺麗で
自然と涙が一粒落ちた
背の重みと世間の重圧に
今日も一歩歩く
死んだ方が楽かもしれない
何度も何度もそう思う~
湿った空気に包まれた町、人の気配が無い古いコンクリートのビルの隙間から、月明かりが妖しく光る。
今日は満月。月明かりを頼りに一人の少年が鉛筆を握る。段ボール箱を机代わりに詩を書いていた。ノート代わりは捨ててあった新聞紙のチラシの裏紙。書きなぐる様に少年は書き続けた。
少し離れた所でホームレスの男が新聞紙に包まり眠っているのが見えた。
少年の傍にもゴミ捨て場から拾った新聞紙がボロボロになった雑誌に挟んであるのが見える。記事の内容は外国で戦争があり多くの犠牲者が出たと書いてあった。
今日も風は冷たい。この町は行き場がなくなった人が行き着く所なのか、目の周りは身分の低い者が多い。
少年は自分がどうしてこんな暮らしをしているのか分からない。
気が付くと一人だった。
食べていくのもやっとの中で、ある一人の老人の出会いが少年の心に小さな明かりを灯した。
今は一人だがその時に歌った思い出の歌が少年の心の支えだった。
老人と別れたその日からずっと少年は暇さえあれば適当な紙切れを見つけ自分の思い、感じた事を詩におこす。それが日課になっていた。
また夜には別れの時にその老人からもらった白紙の本。それを日記変わりにし自分の身体中から溢れ出る毒の言葉を吐き出し、日中作った詩の紙切れはその本に大事に挟んでいた。
その日の月も綺麗だった。大男の後ろを小さな少年が重そうな足取りで歩いている。
何故僕はついてきてしまったのだろう。
寂れた廃屋が並ぶ。今では空き家になってしまっている古いビルには現在は黒い服を着た大人達が出入りしている。傾斜になっている舗装されていない道路をカランコロンと空き缶が転がる。風は冷たく硬く吹き、小さな指先に刺さりその度に少年は身を小さくした。
少年の前をゆっくり歩く白髪混じりの大男、その大男の風貌が、少年の恐怖を一層誘った。
少年の身長は百二十五㎝に対して大男の身長は百九十㎝ほどあるように見え、目が細く眉間に皺が寄っており人相も悪い。変わって少年の見た目は服もかなり傷んだものを身につけており人の印象に残りにくい普通の人相、しかし、長い前髪の奥の眼球は強い意志を思っている様に見えた。
「坊主、こっちだ」
シャガレタ低い深みのある声が、高架下のトンネルの中であるこの場所に響き渡っていた。
小さな体をビクつかせ、痛い足をゆっくり前に進める。
路地の隅の方ではいつも通りの風景である涎を垂らし、だらしなく寝ころび新聞紙をかぶるホームレスが見えた。近くには虫も多く飛んでいるが、それはココでは当たり前の風景だった。
「何、してんだ。早く来い」
言葉少なく大男の声が響く。細い路地の所為か少年の恐怖から来るものなのかその声は少年の頭の中を大きく響き、より一層、恐怖を誘う。
少年の足元はゴミ捨て場から拾った靴が履かれていた。穴だらけで小石が多く入っており歩くたびに痛み少年の眉間に皺が寄った。
少年は大男に悟られない様、平気な表情で足を進めた。
何処に行くか分からない、だけど僕には他に行く所が無い。僕の事を探す人もいない。
そう思った少年は、少年には少し大きめのリュックを背負い小走りに大男の後を追いかける。道の端のゴミ箱に烏がゴミをあさる音が大きく響いた。
その音に思わず驚き少年の肩が揺れた。
月明かりを黒い雲が隠すと同時に少年の心も恐怖で闇に包まれた。
生ゴミの様なつんとした匂いが少年の胸をムカつかせる。ゴミ箱の横に、誰かが無造作に捨てた生ゴミ。その周りを小さな虫達があさっていた。
ただのガキ。
僕は、何もできないガキ。
少年の指先が小刻みに震えた。痛みもある足も鉛のように重々しく思う様に足が前に出ない様だ。
このままついて行く事に間違いはないのだろうか。
少年は考えを打ち消すかの様に頭を左右に振り、ズボンのポケットの中のお守りをぎゅっと握りしめた。
小さな手の中にすっぽり入る小さな石。少年のズボンのポケットは周りに分からない程度の小さな光を放っていた。
淡い不思議な色のついた石、少年の瞳の様な薄い青。
大丈夫。
僕は大丈夫。
そう少年は言い聞かせながら大男の後ろを追いかけた。
寒さを少しでも半減させるため前かがみになる小さな体は隣にいる大男と比較してより一層小さく見えた。昨日雨に濡れ、まだ泥がつき乾いてない服が、その小さな身体をさらに苦しめていた。
きつい鼻につくような臭いの町から、空気が変わった気がした。
しばらく歩いた少年と大男であったが、大男は少年に合わせゆっくり歩いてくれているからか中々前には進まない。
先ほどまでは月が綺麗に見えたのに、もう辺り一面は真っ暗だった。
腐りきった様な街と一言で片づけてしまえばそれで終わりだが少年にとってはあそこが唯一の家だった。色々な所に捨ててあった雑誌などを見て世界は広いと知ってはいたが少年にとっては夢物語であった。初めて踏み込んだ今まで見た事のない風景に少年は立ち止まった。
そこは今までの風景とは一変、緑が多い山道であった。
山道だと分るが辺りは暗く草木さえも不気味に映った。
大男が手招きをしている。
少年はゆっくりと大男の方に寄って行った。
草を踏む音も木の陰からも誰かが見ていて襲ってきそうな不気味さがあり足をもつれさせながら少年は大男の元に近づいた。
「このまま夜道を進むのは危険だ。ここいらで、一眠りするぞ」
大男は大きな岩場の下にシートを引き寝袋を自分のリュックサックから引き出し少年に中に入れと言う。
そういった後、自分はその寝袋の横に、無造作に横になりいびきをかき始めた。
少年は躊躇した。
この男は一体何を考えている?
僕は騙されて人さらいに連れて行かれている、そう思っていたが、何だ!この自由な扱い。
さらに大事にされているような気も起り、心を持ってかれそうになった。
いやいや、まだ信じちゃだめだ。
そう心に言い聞かせる少年だったが大人しく寝袋に入った。
暑い。
太陽の日が目に入り眩しくて目を開けた。
少年は辺り一面を見て驚き、急いで自分の現在の状況を思い出した。
大男は既に起きており少年が起きるのを待っていた様だった。
周りの景色は夕べ見たものとは全然違った。道が舗装されていないのは以前少年が居た所と変わらないが道には、短いのから長いもの、小さいのから大きいものまで少年が見た事のない雑草が生い茂っていた。
また、空を追いつくす様に木々がかぶさりその細い枝から日の光が透けて見えた。
何もかもがキラキラして見えた。
木々のもっと奥の方からは鳥や聞いたことのない動物の鳴き声も聞こえた。
蜂蜜のような花のいい香りが漂い思わず少年は自分の腹を擦った。
大男と少年の間にはそんな空間の中でも張り詰めた空気が流れている様だった。 そんな雰囲気の中に似つかわしくない音が響き渡った。
少年の腹の虫の音だった。
大男は少年の様子を見つめ、思わずクスっと小さく笑った。
目つきが悪い大男、少年にはニヤリと嫌な笑みを浮かべている様に見えた。
「ちょっと待ってろ」
大男は自分のカバンの中をあさり出した。
何か武器を取り出す可能性もあると少年は少し後ろに下がり身構えた。
大男が取り出したものは黒くなりかかったバナナだった。
警戒した少年は大男を睨みつける。
「ほら、食え?まだもうちょっと歩く。途中で倒れちまうぞ」
毒が入っている可能性もある。しかし少年はここ最近真面な食事を取れていなかった。
警戒しようにも容赦なく腹がバナナを要求する。
もう死んだら死んだ時だ。
少年は大男からバナナを受け取りむしゃぶりつく様に食べた。
腰を上げ大男が歩きだす。その後ろを慌てて少年は追いかけた。重い大男の足取りが少々リズミカルに変わったのを不思議に感じる少年だったが、大男にしてみれば餌付けに成功した気分であった。
だが、どんなに楽しそうに見えても、大男の事を何も知らない少年の恐怖は拭えなかった。
ずいぶん長い距離を歩いた様だ。木々をよけて進む。大男が前を歩く分、雑草が倒れなかったところに道が出来た。その事により少年は苦労せずに前に進むことが出来た。
足の痛みや体の疲れから歩くのはやっとだったが、その林を抜けると小さな古い倉庫に着いた。
豪華とは言えないその建物、古びたコンクリートの廃屋だったのだろう。天井は半分以上が飛んでしまっている。だが屋根や周りが太い木で固められ、雨はちゃんとしのげる作りになっていた。
その建物の中は騒めきに包まれていた。
数人の大人、子供の声もちらほらと聞こえるみんなの服装は質素であったが丈夫そうな布を使われておりみすぼらしい姿には見えず何より前居た町よりとても良い匂いが漂っていた。倉庫の周りには小さな家が十軒以上立っていて村と言うか小さな集落と言う感じであった。
「よう、今日は遅かったな。」
肌色が黒っぽく頬に大きなシミの有る中年男性が大男に声をかけた。六十歳ぐらいに見えるその中年男性は背筋もしっかり伸びていてまだまだ働き盛りと言った様子だ。
「ああ、まあ……」
中年男性は大男が言葉を濁したのに首をかしげ、その後ろに隠れていた小さな体を見つけ、目を丸くした。
「ありゃ、また拾ってきたのかい。おいおい、何人増やすきだい。生活もぎりぎりなんだぞ」
そう言いながらも中年男性はにこやかに笑う。
頬の皺は中年男性の見た感じの年齢をさらに上げたが、それと同時に緊迫した空気を優しい空気に変えた。
少年は中年男性の方に目が引き寄せられその結果目が合う。
皺で目がくぼみ、小さな、小さな目の玉、だけど吸い込まれるような綺麗なグリーンに少年の瞳は戸惑った。
中年男性は少年が身体をこわばらせている事で一瞬触るのを戸惑っていたが、そっとその小さな頭に触れた。
皺の入った硬い手が、汗で湿った冷たい身体に熱を持たせた。
「坊主、いくつだ?俺は[ヤス] ヤスさんって呼べよ」
だけど少年は答えられなかった。
黙って、軽く二回横に頭を振った。
僕って、いくつ?
「名前は?」
「……」
ヤスという男の言葉に少年の眉間は小さく皺が寄る。
少年は考えた。
僕は……僕の名前……。
少年が何も答えない事で回りは騒めき出した。
大男の帰りを確認した村人達は数人を残してそれぞれの家に帰って行った。
周りの者が居なくなった事を確認しヤスという男がもう一度、少年に目線を合わせる様にしゃがみこんだ。
「なんだ?坊主?名前は?」
ヤスは優しい口調だが少年の心を戸惑わせた。
「おい、もういいだろう。今日はかなり歩いたし、子供はもう寝る時間だ」
それに答えたのはのっそりとした、ココに少年を連れて来た大男だった。
「へいへい、境(きょう)は恐そうに見えて子供には優しいもんな。坊主?明日ゆっくり話そうな?おやすみ」
ヤスはもう一度少年の頭に触れ、他の大人達の方へ歩いて行った。
僕をココに連れて来たこの男、境って名前なんだ。
「おい坊主。俺って恐そうか?」
振り返り困った顔で笑う境の顔は少し情けない表情だ。
「少し」
本当はものすごく怖かったが、落ち込み気味の境の表情に思わず遠慮気味に呟いた少年だった。
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