入れ者と痛み

やまくる実

第1話

「唯って好きな人とかいないの?」

 そう都は気怠そうな声で言う。

 二LDKのアパートの一室。部屋の壁紙は白く家具は淡い赤で統一されている。 

  デスクの横やベッドの上端の方にあるサイドテーブルには細かいグッズや可愛いヌイグルミが置かれているいかにも女子が住みそうな部屋と言う感じである。

 ごちゃついてはいるが掃除は行き届いている様で清潔感が漂っていた。

 

 テーブルの上にはそんな部屋には似つかわない缶ビール二本とツマミのケンサキスルメが置いてある。

 

本編の主人公である川村都とその幼馴染である山崎唯はお笑い番組を見ながらダラダラと過ごしていた。

 

 都は背が低く百四十五Cmしかない。パッチリ目にメイクされており髪型はセミロングで茶色く染めている。

 お洒落と甘いものが大好きでこの部屋の住人でもある。


 唯は都の幼馴染で背は百六十五Cmと女子にしては高くメイクは日焼け止めのみである。メイクをしなくても町で振り向かれるほど整っていた。

「何? 急に」

 表情を変えずに淡々と答える唯、しかし、自身の手の平は赤くなるほどにきつく握られていた。


 唯のそんな些細なことには気づかないほど都の顔は赤くふらついていた。

 机の上のビール二本を飲んだのは都である。

 唯はお酒が好きではないが都はお酒に弱いのにとても好きでケンサキスルメをツマミに飲むと自分の状況が分からないくらい飲んでしまう。    

 

 クールではあるが面倒見の良い唯はそんな都が心配で、よく家や都が通っている店まで仕事の空き時間に様子を見に来ることが日課であった。


「嫌ね~。深い意味はないけどさ~唯って可愛いのにそういう恋バナって言うの~聞いたことないなーって思って~」

 言葉も若干、ロレツが回らなくなってきていたほどの都である。

 二人の出逢いは三歳、都の引っ越した先の隣に、唯が住んでいた事がきっかけだった。

 

 それから二〇年、ずっと一緒にいた。都は二度ほど彼氏ができ、今、現在も二年の付き合っている彼氏がいた。

「まあ……いい出逢いがないっていうかさ、いいじゃん。私、今は仕事が楽しいから」

 都は唯の言葉に不満そうに顔をしかめる。

「納得いかない! 唯はさ、綺麗だし頭もいいし、いつも私の事フォローしてくれるし。私はさ、唯には幸せになって欲しいな~! って、そうは言っても達也はあげられないけどね」

 達也とは都の二つ年下の恋人。現在達也は出張中だった。

 酔いの回りが最高潮である都の目は、充血してきており髪も乱れてきていて質の悪いバーのママの様になってきていた。


「何を言っているんだか。明日も仕事でしょ? ほら、コンタクト外して化粧落としてきなよ」

 そんな都を唯はこんなことは日常茶飯事と言う様に軽くあしらう。

「まだ、話は終わってない! そう言えばさ、この前、達也の同僚の話なんだけどね。女の子同士で凄く仲が良くって、二人とも地味な子らしいんだけどさ、まあ私達も女同士で仲は良いけど、で達也が遅い時間に営業の仕事からオフィスに戻った時なんだけどね」

 都は小声になり話を続けた。

「二人がキスしてたんだって!」

 得意げな表情を浮かべ都は、髪を振り乱し面白いでしょとでもいうかのように興奮気味に前のめりになり唯を見つめた。

「ふーん」

 何でもないような言葉とは裏腹に一瞬声を失った唯。

 爪の痕がつき血が出てしまいそうなほどきつく握りしめられている様だったが、綺麗に深爪するほどに切りそろえられていた為、自身の手の平を傷つけることはなかった。

 そんな様子の唯だったが酔いで頭が回っていなかった都は気づかなかった。

「反応薄い!」

 怒ったように興奮し立ち上がった拍子によろける都を支えた唯は、すぐ都の身体から手を離した。

「最近では珍しい話でもないでしょ?」

 唯は都の背中を落ち着くように軽くたたきソファーに誘導する。

「でもさ、どうなんだろうね? 女同士って。彼氏ができないからそんな風になったのかな?」

「さあね、人の事は詮索しないの! 感じ悪いよ」

 都の話に答えることが面倒になってきたのか、若干声に棘が入る。

「何、怒ってんのよ、軽いネタじゃない。まあ唯ぐらい可愛かったら男もすぐ寄ってくるのになーって思ってさ」

 唯は困ったように笑いながら、都の手を引っ張った。

「酔っぱらいはさっさと寝る。洗面所行って、ほら、さっさと歩く。私はもう帰るよ」

 都を洗面所まで追いやると唯は身支度を始めた。

「帰るって隣じゃない。もうちょっと話聞いてよ」

 洗面所から顔を出した都は先ほどの可愛いパッチリ目から一本線のような細目に早変わりしていた。


 唯をアパートの隣の部屋に送り出した後、都は若干、足取り怪しくも、なんとかベッドに横になり天井を見上げた。

 上端のサイドテーブルに右手を伸ばし、そこに置いてある手鏡を手に取る。鏡の中には目の細い平凡な自分が居た。

 都は目を軽く閉じて小さくため息を漏らす。

 細い眼元、小さめの鼻、薄い唇。おかしな顔ではない。化粧映えはするし、化粧後は華やかにもなり、実際モテている。

 しかし、都は達也とはこの素顔で逢ったことはない。

 

 唯の事は親友だし友達としては大好きだった都だが、そんな都にとって最高にコンプレックスを刺激される存在だった。

 都が彼氏の紹介が中々できずにいたのも唯の事を好きになってしまうのではという不安からだった。

 唯は中性的な綺麗さがあり、私自身が惑わされそうになったほどだ。

 あの時、3年前あの日は珍しく唯がベロベロに酔っぱらってたんだよなー。

 


 都は当時を思い出しながら感傷に浸った後、壁に貼ってあるカレンダーに目線を移す。

 達也が帰ってくるまで後、一週間。

 いかにも好みである赤い携帯に目線を移す都は、先ほど見たものとの変化はなくため息が漏れる。

 部屋に押しかけて驚かせちゃおうかなー。

 嫌な想像を払拭すべく顔を左右に振った後、達也の以前からよくしている変顔思い出し妄想しながらクスクス笑う都は傍から見たら怪しい人だが、ここにはそれをとがめる者は誰もいなかった。





 一週間後、あるビルの一室にパソコンのキーボードを押す音が次々と響いている。

 ここは都の勤めているオフィス。都のいる部署は十人ほどだ。

「先輩、今日何かあるんですか? 話しかけても反応薄いし。」

 背中越しに声をかけられる。後輩の紀子だ。都の仕事内容は雑務などの事務関係を担当していて、紀子はできた後輩で、ちょっとだけ仕事中の私語も多いが手元もしっかり動いていて上手くこなす優秀なタイプ。仕事面に関してはこの子にも都はコンプレックスを持っていた。

「そんなことないよん」

 お得意の愛想笑いで答える都だが目線は携帯や時計をちらちら見ていて落ち着かない。

 そんな都の状態に、周囲の人が気になるのも無理はない。

 

 もうすぐ時計の針は一七時を指そうとしていた。

 今日は達也が出張から帰ってくる。もう家に着いているかな?

 都はサプライズを企み達也の家に押しかける予定だった。

 いつもは連絡してから行っていたが、今回は忙しかったからか出張中、達也からのメールが少なかったこともあり、都の鬱憤はたまっていた。

 

 終業のチャイムと共に上司から声をかけられる隙も与えないほど素早く都は「お疲れ様です!」と叫びながらオフィスを飛び出した。

 コンビニに寄り、達也の好きなプリンとビールと都が大好きなケンサキスルメを調達し、達也のアパートまで早歩きで歩いていた都の頭の中は、達也の事でいっぱいだった。



 鬱憤は溜まっているけど達也も忙しかったんだろうし、しょうがない。

 やっと会えると思ったらなんだか嬉しくなってきた。夕日も綺麗だし空も応援してくれている気がする。

 


 そう思った矢先、都の目の前をカラスが横切った。

 まあそんなこともあるよね。

 気にせず歩いているように思いこもうとする都だが眉間にしわが寄ってきている。

 その一分後にまた都の前を今度は黒猫が横切る。

 まあ可愛いし、気にしないもんねと足を速める都だが、占いが大好きな為こういう事にも人一倍気にしてしまう性格だった。

 


 達也のアパートが目の前に見えてきた。

 達也、今回は出張長かったけど体調崩したりしてないかしら? メールが少なかったからわからなかったけど……。



 先ほどのカラスの件も重なり嫌な予感が膨らんだ都は速足で歩く。もう、目の前と言う所で段差につまずき何とか転びはしなかったもの靴のヒールが折れた。

「もうっショック! 唯とこの前一緒に行った店で買ったばかりでまだ二回しか履いてないのに」

 折れたヒール片方を片手に達也のアパートの階段を一歩上がろうとしたがバランスが取れにくかった都は両方脱ぎ靴下で階段を上り始めた。

 嫌な考えばかりが浮かび、都の眉間には皺が出来そうなほどの線がくっきりとできてきている。

 今日に限って達也に連絡をしていない。

 メールが減っていたこともあり浮気を疑わなかったわけではないが、都は達也を信じたかった。

 達也はアイドルの様に可愛く、心根も優しかった。

 浮気なんてするわけがない。そう都は思いたかった。

 

 階段を一歩、一歩と上がる度、悪い予感が都の中に積み重なっていく。現実から逃れたい気持ちになり、ふらつきそうになる身体を必死に保ち手すりを掴み都は足を進めた。

 達也のアパートは二階の角部屋。階段を上がってすぐの所だ。

 階段を半分まで上がった所で、聞いたことない声が都の耳に聞こえて来た。

「えっ」

 力ない声で都は呟いた。

 

 妖艶な、程良く低い喘ぎ声。

 悪い予感が的中した。そう都は思った。

 そのまま逃げだしたい気持ちだった都だが、誘われるかのように扉の前まで歩いていた。

 達也がDVDを大きくかけて観ている可能性もある。

 達也のアパートのドアの壁は薄く、部屋の前で家の中の達也の電話中の声が聞こえることは良くある事だった。

 都はドアに耳を寄せ、もう一度耳を澄ませた。

 その時都は、聞えてくる声に変な違和感を感じた。色っぽく妖艶なその声を都は聞いたとこがある気がした。もちろんいつもはそんな声ではないが。

 声の主はこのアパートの住人である、達也本人だ。

 そう確信した都は一瞬頭が真っ白になるが、まだ信じたくはなかった。

 一人で処理をしている可能性もある。

 その時、決定打が下された。

 ドアの向こうから達也の声に合わせて聞いたことのないさらに低い男の声と息遣いが聞こえてきた。

 


 都はしばらく呆然とその声を聴き、階段を駆け下り、我に返った時には落ち込んだ時に行く自分の家の隣、唯の部屋の前だった。

 震える指でチャイムを鳴らすとすぐに扉が開いた。

 呆然とし顔の色が真っ青になっている都を見て慌てて唯は部屋の中に通した。

「どうした?」

 唯の顔を見て優しい声を聞き、ほっとした都は一粒、一粒と涙をこぼす。

 唯は一瞬抱きしめようと手を伸ばすが、すぐに引っ込めて優しく背中を軽く撫でた。

 子供のように顔をぐしゃぐしゃにし泣きだす都。

 


 ゆっくりと部屋の中央の空色のソファーに座らせ、唯も隣に座り、泣き止むまで唯は背中を撫で続けた。

 暫くして落ち着いた都はゆっくりと先程あった出来事を話し始めた。

 話しているうちに何だか腹が立ってきた都である。

「もう本当信じられない。女ならまだしも、まあそれでも腹立つけどよりにもよって男だよ? 信じられないよね。しかも達也抱かれる方だったみたいだし。何なのよ! 一体、私は変態と付き合ってたって事? 男に負けたって言うの?」

 都の話を聞いている唯の表情がどんどんこわばる。

「まあ、今回は達也さんが悪いけどちょっと言いすぎじゃない?」

 唯の返しに都はびっくりした表情を浮かべる。

「唯は達也の味方なの? 唯だけはいつでも私の味方と思ってたのに」

 興奮する都に唯は、さとすように笑顔を向ける。

「私は都の味方だよ。でもさ、事情、あるかもしれないし、好きになったら止められるものでもないし」

「何、言っているの? 浮気だってショックなのによりによって、同性同士だよ? そんな事ある訳ないじゃない」

 段々ヒートアップしてきた都はアパートを飛び出した。





 気が付くと、都は唯と喧嘩した時、一人で駆け込む店に来ていた。

 少し暗がりで雰囲気も良く表情も見えにくい為、落ち込んでいる所を人に見せたくない時、足を運んでいた場所だ。

 マスターに愚痴ろうとも思ったが男にも負けたのだという現実に絶望していた都は恥ずかしさも邪魔して何も話せずただひたすら一人で飲んでいた。

 都の目の端には女二人を侍らせたイケメンが、こっちに向かってウインクしているのが見えた。普段は腹の立つ対象も、心が弱っている今日は、すがりたいと思ってしまうほど弱っている都だった。

 都は朦朧とする体を何とか動かし会計を済ませ一人で外に出る。

「お姉さん、随分出来上がってるけど大丈夫か?」

 振り返ると先ほどの節操の無いイケメンが一人で立っていた。

「ほっといて」

 ロレツの回らない声で叫び、転びそうになる都にその男は駆け寄り身体を支える。

「ほっとけるかよ、靴も履いてないし、見るからにあんたズタボロだよ」

 朦朧とする都の頭の中に乱暴な言葉遣いの男の声が響いていた。







 目が覚めるとベッドの上だった。見た事のない天井が目に入り慌てふためき服を着ていることに安心したが、その確認をする際、自分の体に違和感を覚えた都は、ぼんやりとする頭を手で押さえながらゆっくりと起き上がり、自分の胸に手を伸ばした。

 見た事がない服を着ていることも違和感だったが、そこにはいつもついていたはずの、程よい形のCカップの胸が平らなことに気が付いた。




……どういうこと?

 まだ夢の中なのかな?




 都は頭を整理しながら立ち上がる。

 少し足をもつれさせながらゆっくり自分の姿が映る場所まで歩く。

部屋の隅にあった姿見に写る背の高いイケメン男性が自分だと気付くのに都は時間がかかった。

「起きた?」

 聞き覚えのある声に振り返った都はドアの入り口の前に見覚えのある姿を目にした。

一瞬都は何が何だか頭が混乱した。

 背の高いイケメンに成り代わった都の目の前に、限られた人しか見た事がない化粧を落とした都自身の顔があった。

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