第6話 彰
週末をほとんど寝て過ごした甲斐あって、理恵の熱はすっかり下がり、病み上がりの気怠さはあったが仕事には支障がない程度に体調も回復した。
まだ精神的には不安定だとの自覚はあるが、こればかりは一朝一夕に元通りというわけにはいかないだろう。
だが、それでも可奈のおかげで多少は不安も薄らいだし、彰のプロポーズのこともあって、ある意味意識が分散されたのが良かったのかもしれない。
新たな悩みが増えたとも言えるのだが。
時間にかなりの余裕を持ってマンションを出た理恵は、普段なら不快でしかない山手線のラッシュアワーに、不思議と安心感を覚えていた。
オフィスのある新宿に到着し、始業までまだ余裕があったので途中のカフェに寄り、温かいラテを飲む。
そして、オフィスに着くと、まず上司に迷惑を掛けたことを謝罪する。
追加でお小言は頂戴したものの、それほど時間は掛からず解放された。
自分のデスクに行くと、同僚が口々に体調を気遣う言葉を投げかけてくれ、もちろんその中には可奈の姿もあった。
「うん、顔色も大分良くなったね。さぁ! 休んだ分、たっぷりと仕事が溜まってるでしょ? 頑張れ頑張れ」
笑いながら言う可奈の言葉通り、急に休むことになった分、かなり仕事は溜まっている。
期日のある仕事や顧客とのやり取りは最低限、上司や手の空いた同僚がやってくれたらしいが、それ以外の仕事は丸ごと先送りにされているし、担当している顧客には急な休みのお詫びとフォローをしなければならない。
復帰早々、残業も覚悟した方が良いかも、と理恵は気を引き締めて顧客ファイルに手を伸ばした。
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「うわっ! 確かに結構臭うなぁ。どっからだ?」
「清掃のオバちゃんはベッドの辺りが一番臭いって言ってましたよ」
都内の少々古びたラブホテル。
一応ブティックホテルなどという看板は掛かっているが、一時期ラブホテルのいかがわしいイメージを払拭するために数多く同様の名称を名乗るラブホテルが出来た。しかしブティックホテルは海外では「独創的で店舗ごとに異なるコンセプトを持つ高級ホテル」を意味するために誤解を招くとして、ごく短期間で使われなくなった十数年前の名称である。
いまだに変更されていないだけに、なおさら古くさく感じられた。
その一室に入った50代くらいの男性は、部屋に入るなり漂ってきた臭いに顔をしかめる。
男はこのホテルのオーナーであり、一緒に居るもう一人の男性は従業員だ。
外見は今時の若者らしくチャラチャラしているが、意外にも仕事ぶりは真面目でいきなり休んだりもしないのでオーナーも可愛がっている。
いくら他の業態よりも多少給料が良いとはいえ、ラブホテルなんていかがわしいところで働いてくれる若者は貴重だが、本人曰く、意外に条件が良くホワイトな環境なのが気に入っているらしい。
それはともかく、前日の夜に休憩で利用した客から『部屋から異臭がする。部屋を替えてくれ』とクレームがあり、翌日その話を受付担当から聞いたオーナーがこうして確認に来たのだ。
部屋は都内だけあってそれほど広くないが、ラブホテルらしい大きなベッドと二人掛けのソファー、40インチの液晶テレビ、家庭用よりもかなり広めのバスルームなどを備えている。その分、ベッドの上以外に自由なスペースはほとんど無いが、利用目的が限定されているので問題はないだろう。
「ベッド? けど備え付けのやつだから動かせないぞ」
「隙間くらいはあるんでしょう。誰かが食い物でも押し込んだか、猫でも入り込んだんですかね?」
従業員の男が、いかにもありそうな事を言う。
「ラブホに猫連れてくるのかよ。あ、いや、前に犬連れてきた客はいたなぁ。部屋でしょんべんだのクソだのさせやがって、エライ損害だったぞ」
当時を思い出たのか、オーナーが心底嫌そうな顔をする。
「金曜日に泊まった客がバックレたんでしたっけ? そいつらの仕業じゃないっすか?」
従業員の言った通り、先週末に泊まった客が、朝になってもチェックアウトしないので訪問したところ、部屋はもぬけの殻になっていたのだ。
ベッドは多少使った形跡があったものの、風呂やトイレを使用した様子はなく、備えてあったアメニティも減っていないし食事なども注文されていないが、それでも週末に一部屋分の売り上げが無駄になったのは腹立たしい。
とはいえ、宿泊者に氏名や住所を記帳させたり、先払いを受けたり出来る通常のホテルと違い、フロントすら無いラブホテルではそういった無銭宿泊はままあることなのだ。
防犯カメラを設置してはいるものの、常に監視しているわけでは無いし、ラブホテルという性質上、設置できる場所は限定されているし死角も多いから完全に防ぐことは困難なのだった。
「めんどくせぇな! おい、そっち側から覗いてみてくれ。マットレスの下側は空洞になってるはずだ。俺はこっち側から見るから」
オーナーがベッドの片側に座り込んで下を覗きながら指示する。
「へ~い、って、懐中電灯持ってこれば良かったですね。あ、そっちからの光で何か、ん~、ちょっと大きいものがあるみたいに見え…うわっと!」
「どうした?」
「虫、あ、蠅か? 飛んできて、中からです。あと、すっげぇ臭い!」
「クソッ! 絶対何か中で腐ってるな。チクショウ! 臭い消えるまで部屋が使えないじゃねぇか。しょうがない、マットレスどかすぞ」
「うっわ、重そ」
嫌そうに文句を言いながらも、二人でキングサイズはありそうなベッドのマットレスを両側から持ち上げ、横にずらす。
すると、10匹近い蠅が一斉にその下から飛び出す。そして、同時にもの凄い悪臭が部屋中に漂い始めた。
だが、男達はそんなものに気をとられることは無かった。
「う、うわぁぁぁ!」
「な、ななな、し、しし、死体?!」
ベッドの中にあったモノ。悪臭の元になったソレは、腐乱した人間だった。
腰を抜かしたようにへたり込みながら、這いずるように二人は部屋を飛び出し、叫んだ。
「し、ししし、死た……」
「け、警察……」
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「はぁ~、疲れたぁ」
復帰空け初日の仕事を終え、理恵がマンションに帰ってきたのは21時を過ぎてからだった。
さすがにそれから食事の支度をするだけの気力は湧かなかったので駅前で簡単な食事を済ませてからの帰宅である。
すぐに風呂に入り、ゆっくりと身体を温めると、じんわりと疲労が身体全体を包んでいるようだった。
パジャマに着替え、髪を乾かしてから、理恵は冷蔵庫からチューハイの缶を取り出し、ゆっくりと喉に流し込んだ。
それほどお酒には強くないのでグレープフルーツ果汁入りの軽めのモノだ。
普段家で飲むことはあまりないのだが、彰が来たときに付き合い程度に飲むことはあり、そのために数本のビールやチューハイを常備している。
今日は休んでいた分の仕事がどっと押し寄せて、ソレを処理することに必死で余計な事を考えている暇などなかった。
そのおかげで、目の回るような忙しさだったのだが同時にここ数日頭を悩ましていた諸々を考えずに済み、心地よい疲労感が理恵の気分を高揚させていた。
そのせいか、久しぶりにお酒が飲みたくなったので、一本だけ飲もうと考えたのだ。
悩みは何一つ解決していないのだが、それでも今日くらいは気分良く眠りたいと思っている。アルコールはその助けになるだろう。
ピン、ポ~ン。
チューハイを飲み終わり、缶を洗って資源ゴミの袋に片付けていると、チャイムが鳴った。
インターホンの表示は玄関のランプが付いている。
モニターには玄関先に立つ俯いた男性の姿が映し出されている。
理恵の恋人の彰だった。
(彰? 平日なのに、どうしたのかしら)
チャイムの音に一瞬身体が強張ったが、モニターに映る恋人の姿にホッと息を吐く。
だが、月曜日に恋人が理恵の元を訪れるのは珍しい。どうしたのだろうかと理恵は訝しむ。
もしかしたら金曜日のプロポーズの答えを聞きに来たのだろうか。だが、その時には少し考える時間が欲しいと頼んだはずだ。それからまだ3日しか経っていない。
当然、まだ理恵の考えは纏まっているはずも無く、恋人に会える喜びよりも戸惑いの方が大きかった。
(あれ? オートロックは? 他の人が通るときに一緒に入ってきたの?)
1階のロビーからではなく、いきなり玄関のチャイムが鳴った事にも違和感を感じたが、それはマナー違反ではあるものの、ないわけじゃない。
実際にマンションのオートロックをその方法で勝手に通り抜けた新聞の勧誘が来たことも過去にあった。
一瞬、理恵は言いようのない不安を感じるが、それでも「はい。今開けるね」と返事をして玄関へ向かった。
「どうしたの? 平日に来るなんて」
彰を招き入れながら、理恵が問うも彰は何も答えない。
俯き加減のままユラリと玄関で靴を脱ぎ、リビングに向かう。
(何かあったのかな? いつもと様子が違うけど)
普段の彰は、少々我の強いところはあっても社交的で、理恵に対して感情的になることも少ない。嫌なことがあれば愚痴を溢したりもするが、基本的に前向きな思考で後に引きずる事があまりなかった。
仕事に失敗して目に見えて落ち込んだこともあり、その時は子供のように理恵に甘えていたりもしたのだが。
だが、今日の彼はそれのどれとも違い、何か意識がどこかに飛んでいるような、虚ろなものに思える。
不安感は一向に減ることなく、逆に増えてすらいるが、それでもそこにいるのは理恵の恋人である。
当然、愛情もあるし、これまで培ってきた信頼もある相手だ。
寧ろ、仕事か何かで嫌なことや辛いことでもあったのなら自分が支えてあげたいとすら思っていた。
理恵は冷蔵庫からビールを取り出し、グラスに注いでソファーに座る彰の前に置いた。
「ああ、ありがとう」
理恵の方に目をやることなく、彰はそう言ってグラスを手に取り、一気に呷る。
その声は、籠もったような、喉ではなくどこか別のところから発せられたような違和感のある声だった。
理恵は彰の隣、クッションひとつ分ほどの距離を空けて腰掛ける。
「何かあったの?」
「ああ、うん、ちょっと」
理恵の問いに曖昧な答えを返す彰。
それは何か言いずらそうな事を誤魔化しているようにも理恵には思えた。
だから、無理に聞き出そうとはしないで、自然に話してくれるのを待つことにする。
時間が掛かりそうな雰囲気だったので、自分の分の飲み物でも淹れようと理恵が立ち上がる。
「理恵」
するといつ立ち上がったのか、不意に理恵は彰に抱きすくめられた。
その瞬間、先ほどからずっと理恵の中にあった不安感が大きくなり、思わず彰を突き飛ばそうとする衝動に駆られる。
何とか意思の力でそれを抑え、身を固くしながらも彰のなすがまま抱きしめられた。
「理恵……」
彰は抱きしめる力を緩めることなく顔を寄せて理恵の唇を奪う。
そして直ぐさま理恵の口内に舌を差し入れ、理恵の舌に絡める。
ビールを飲んだせいなのか、アルコールの匂いと酷く冷たく感じる舌が口内を蹂躙するかのように這い回り、唾液を交換していく。
正体不明の不安感で身を固くしていた理恵も、執拗なディープキスに徐々に力が入らなくなってきていた。
力強く抱きしめる腕も、前面を包む胸板も、激しく理恵を求める唇も、確かに恋人のものだ。
これまでも幾度となく抱かれた、その記憶が理恵の理性と本能を溶かしていく。
「理恵……」
彰は一度唇を離し、小さく呟くと再び唇を寄せながら片手で理恵の胸をパジャマの上から
ブラをしていない理恵の身体は、その刺激にビクッと身を震わせた。
「あ…ん…」
さらにもう一方の手が背後から理恵の太股、それにヒップをゆっくりと撫でる。
「理恵……」
「あ、彰、ダメ、す、するならベッドで、お願い…」
熱い吐息を堪えながら理恵が懇願する。
彰は構わずパジャマの裾から手を差し入れようとするが、理恵は彰の胸を手で押して身体を離す。
だが拒否したと思われないように、理恵は彰の手を取り寝室へ
彰も大人しく手を引かれるまま後に続く。
ベッドの傍に来た途端、彰は覆い被さるように理恵をベッドに押し倒した。
理恵ももう抵抗することなく、彰のするがままに任せる。
彰はパジャマのボタンを引きちぎるかのように乱暴に開き、胸を揉み拉く。
「痛っ! あ、彰、もっと優しく…ああっ!」
彰は理恵の胸に唇を付けるが、理恵がお酒で火照っているせいなのか、感じる吐息は冷たく、荒々しい手つきに怖さすら感じる。
それでも、慣れ親しんだ恋人の愛撫に理恵の下腹部は潤い、身体は彰を求めて乱れ始めていた。
やがて理恵の着ているものは彰によって全て剥ぎ取られ、生まれたままの姿で理恵は抱きしめられる。
「理恵……」
(なに? 冷たい!)
いつもなら何よりも熱く感じる彰の分身は、まるで氷のように冷たく理恵を刺し貫いた。
理恵はそれに言い知れない恐怖を感じたものの、抱きしめられ、貫かれた身体は動かすことが出来ない。
「理恵……理恵……理恵……」
虚ろな彰の声とベッドが軋む音が響く中、理恵は吐き気にも似たものがこみ上げてくるのを堪える。
(そういえば、ゴムしてくれてない。終わったらアフターピル飲まないと)
現実逃避気味にそんなことを考えながら、ただ、彰が終わるのを待つ。
理恵の身体の火照りはもうどこにも残ってはいない。
彰の動きが一層速くなり、終わりが近い事を察して理恵は身を固くする。
動きながら、彰は少し身体を起こし、今日初めて、理恵と視線を合わせる。
(……!!)
その目を見たとき、理恵は心臓に氷の刃を突き刺されたかのような衝撃を受けた。
彰の目は、なにも写していなかった。いや、それは目だったのだろうか。ただ、虚無としか言えない、
理恵は呆然とそれを見つめ、彰が理恵の中で果てた感触を感じながら、いつしかその意識を闇に沈めていった。
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荒川警察署の署内、刑事課のデスクで大林は腰を伸ばし目元を揉む。
「大林さん、大丈夫ですか?」
「ああ、俺も歳かなぁ、最近は疲れが目に来る」
社交辞令的に声を掛けてきた向井に、苦笑いで答える。
「警察官の仕事は8割方書類仕事ですからね。イメージ違いすぎて最初はビックリしましたよ」
向井が大袈裟に肩をすくめながら言う。
実際に、警察官というものはドラマなどとは違って、仕事のほとんどが報告書や裁判所、検察に提出する書類の作成など、事務的な業務が中心だ。
聞き込みや取り調べ、犯人逮捕などは全体の時間の2割にも満たない。残りは会議と書類業務だ。
その点では普通の企業と変わらないのかもしれない。もっとも、大林も向井も普通の企業とやらに勤めたことはないので判断が付かないが。
「にしても、例のあの殺人死体遺棄事件、共犯者とか見つからないですね」
「ああ、形跡すらないな。それに……」
「発信記録はあるのに中継器が特定できないんなんて、あり得るんですかね?」
向井の言っているのは、白河紗理奈の殺害と死体遺棄、それから被害者の姉に対する電話と差出人不明の手紙の捜査だ。
向井が携帯電話会社に令状を提出して、該当する電話番号の発信記録を出してもらったのだが、確かに通話記録自体は残っていた。だが、通常記録されているはずの発信位置を特定する中継器の記録が無かったのだ。
当然だが、携帯電話の電波は端末同士で通信を直接やり取りしているわけではなく、中継器から各キャリアの交換機を通して相手の端末に電波を発信している。
だから中継器の記録が残らないなんて事は本来あり得ないのだ。
「それに、手紙に残されていたのは被害者の指紋だけ、か」
「どういうことなんですかね? まさか死ぬ前に大量に封筒とA4用紙に指紋付けまくっていたとか?」
「全ての手紙の寸分違わぬ位置に指紋をつけるって? どんな職人だよ」
肩を竦めながら戯けるように言う向井に、渋面で応じる。
姉の白河理恵の住むマンションのポストに投函されていた、なにも書かれていない封筒と紙には、殺された妹の白河紗理奈の指紋と開封した理恵の指紋が検出され、それ以外の指紋は検出されなかった。
理恵の指紋は数も位置も開封した際に着いたもので間違いなさそうだった。
問題なのは白河理恵から提出された封筒とA4用紙全て、白河紗理奈の指紋がまったく同じ位置に付着しているという点だった。
受け取った理恵の指紋が付着している場所はバラバラで、同じような位置であっても多少はずれている。それが当然で、まったく同じなどというのは異常としか言い様がない。
鑑識も「まるでコピーか版画みたいですよ」と気味悪がっていたくらいだ。
それに、肝心の白河紗理奈の携帯電話もまだ見つかっていない。
今も交代で遺棄現場の周辺と加害者の男の立ち寄り先を捜索しているが、状況から見て誰かが持ち去ったと考えられる以上、その人物を特定しない限り見つかることはなさそうだ。
ただ、このまま行けば直接的な加害者が死亡している以上、被疑者死亡で捜査終了となるだろう。
姉のあの不安そうな様子から、何とか事情を知っていると考えられる電話と手紙の主を捜してやりたいが、手詰まりの状況なのだ。
「大林、それと向井、ちょっと会議室まで来てくれ」
話をしている二人を刑事課の課長が呼ぶ。
2人が呼ばれたということは、今回の事件のことで何か進展があったのかもしれない。
2人は立ち上がり、課長に続いて会議室に行く。
部屋に入ると、中には2人の男が待っていた。
「世田谷警察署、刑事課の武藤君と佐野君だ」
「どうも、武藤です」
「佐野です。よろしく」
立ち上がり手を差し出したので握手して大林と向井も名乗る。
「実は、自分達が現在捜査している案件が、どうもそちらの案件と関わっていそうなので」
会議室の椅子に全員が座ったのを見計らって、武藤と名乗った刑事が切り出す。
「というと? まず、そちらの案件を聞いてもよろしいですか?」
「はい。今週の月曜日に世田谷区にあるラブホテルで男性の変死体が見つかりました。発見者はホテルのオーナーとその従業員です。
遺体の状態から検視官は死後3日程度と見積もっています。
丁度その日時に、ホテルに宿泊していた人物がチェックアウトの手続きをせずに部屋から居なくなっていたらしく、その時点で死亡していたと考えられます。
遺体はベッドのマットレスの下に隠され、異臭に気がついた利用客のクレームでオーナーが確認に行き、発見したと。
そして、その遺体を検視官と監察が調べたところ、身体に大量の土が付着していて、その土は秩父の山中の物と同一成分ということがサンプルとの照合から判明しました」
「秩父の山中、というと」
「はい。そちらが担当している殺人死体遺棄事件で遺棄された現場の土と同一と考えられます」
警視庁には様々な地域の土のデータがサンプルとして保管されている。土という物は様々な鉱物や成分が含まれていて、地域によって含有する内容物にかなりの差があり、車のタイヤや
「念のため、うちの署の捜査員が現地で土を採取して現在分析していますが、おそらくは」
「捜査資料を拝見しましたが、そちらの事件では被疑者は死亡しているが、共犯者が存在する可能性があるとか」
「なるほど、その人物がそちらの事件に関わっている可能性がある、ということですか」
大林が言葉を引き継ぐと、世田谷署の刑事は頷いた。
「あ、でも、ホテルとかって防犯カメラなんか設置してなかったんですか?」
向井がもっともな疑問を投げかける。
すると、2人の刑事が何とも言えない表情で顔を見合わせた。
「確かにカメラは設置されていたんですが、映っていたのが、その、何というか、非常に説明しづらいもので……」
「被害者の男はハッキリと映っていたんですが、同伴していたと思われる女性、というか、服装から女性だと思われる人物と一緒に居たことは間違いないんですが、映像の肝心の顔付近の輪郭がぼやけていてまったく分からないんです」
「それに、その部屋のある階のエレベーター前にはカメラはあるんですが、通路にはカメラが無く、該当する部屋に確実に入ったという映像はありません。さらに、現在までのところその部屋以外の利用者を除くと、誰もその階から出た映像がないんですよ」
「まるでオカルトですね。調査はどのあたりまで?」
苦笑しながら大林は話を戻す。
「まぁ、そのホテルはカメラの台数も少なくて、知っている人間ならカメラに写らないで移動するルートもあるらしいので、オカルトってほどじゃないかもしれないですけど。
被害男性の身体からアルコールが検出されていることから、現在はホテルに近い場所の飲食店や飲み屋を聞き込むのと、交友関係の洗い出しをしています」
「その交友関係でも、そちらの事件と関連がありそうなところがあります」
そう言って、佐野がファイルを大林に見せる。
「これが被害者の男性ですか。交際相手は……白河理恵?」
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