第5話 夜空と長い散歩
「綺麗ですよね」
濡れた体を寄せ合って、僕らは夜空の星を見上げる。真っ暗な海にゆらゆらと揺れる星がきらめく。息を呑むほど美しいその景色を静かに見つめた。体温を分け合うように、手をぎゅっと握る。
隣に、すみれが居る。
星空が綺麗なことなんかより、そっちの方が僕にとっては重要だった。
「真一」
「うん?」
「明日はどうしますか?」
眠そうなすみれの声が耳をくすぐる。柔らかくて、暖かい声が、記憶に残っているだけで、僕は生きていけるような気がした。大げさじゃなく、本当に。
「明日はもっと西に行こう。新幹線に乗って、そのまた次の電車にも乗って南の海に行こう。それでたくさん泳ごう」
「南の海。楽しそうですね」
彼女の声が少し弾む。ぼくまで楽しくなってきて、弾んだこえで明日からの未来の話を語る。
「南の海に行ったら、その次は船に乗ってハワイみたいな南の島に行こう」
「ハワイは暖かくて気持ち良さそうですね」
「きっと楽しいよ。二人でたくさん話をしよう」
僕らはたくさん未来の話をした。幸福で楽しくて、暖かくて、どうしようもなくぼくだけが悲しくなる時間だった。夜空に浮かぶ月が真ん中に近づいていく。その日は満月で、吸い込まれそうなほど綺麗だった。
月が南中する。
すみれの声が途切れる。
ぼくは泣きそうになりながら、目を瞑った。眠れないまま朝日の眩しい光を見つめながら、僕は小さく笑う。僕はもう大丈夫だ。きっと大丈夫だ。こんなに幸せで。こんなにも悲しい思い出があるなら、きっと生きていける。
隣で眠るすみれの肩を揺すった。海の浜辺で目覚めた彼女は戸惑うような寝ぼけたような顔で僕の目を見つめる。
「おはよう、すみれ。僕は君の幼馴染の小池真一だよ、起きられそう?」
「お、おはようございます。……ここはどこですか?」
彼女の不審そうな瞳の中に昨日の記憶はない。僕は悲しさが顔ににじまないように、ゆっくりと笑った。滲んできた涙を誤魔化すように、瞬きを繰り返してすみれに手を差し伸べる。不安そうな顔のまま僕の手を取った彼女の中に、僕はかけらもいない。昨日繋いでいた時よりも冷たい手。そのことにすら泣きそうになって、僕はまた瞬きを繰り返す。
「私たちは、どうしてここにきたんですか?」
不思議そうな顔をしているすみれに柔らかくなるべく幸せそうに笑う。
「僕のながい散歩に付き合ってもらったんだ。だから、ありがとう。すみれ」
僕はずっと、彼女の隣で寄り道をしていた。彼女の人生に爪痕を残したくて。彼女の中に存在したくて。そんなことは叶わないと知っているのに、それでも足掻き続けた。ずっと、すみれのそばにいる理由を探し続けていた。でも、それももう終わり。
この幸せな記憶を抱えて、それだけを頼りに僕はこれから生きていくのだ。
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