第一章

「………はぁ、面倒くせぇなぁ……」

 学校へと続く坂道。それを俺―――神楽惟(かぐら ゆい)は溜息をつきながら上がっていた。いつも思うのだが、この学校は何でもう少し平地に作られなかったんだろう。ここを立てた野郎は生徒の通学の苦労を考えんなかったのか? 生徒に毎日朝から登山をさせたかったのか? アンタはドSかよ。

「……暑い」

 今日は、四月なのだが、平年の平均より五度も高い。初夏の温度。それに、登りながら汗をかいてくることもあって、まるで真夏のように感じる。学園長は生徒のことを考えるならいますぐ夏季の制服はTシャツとし、衣替えを自主性に任せるべきだな。

 四月一五日火曜日。

 俺は周りを見渡す。自分と同じ制服の者は誰もいない。

 まあ、当然だろう。今は時計の短針はすでに六時側ではなく、一二時側に傾いている。さらに言うならば、もう一一時を五分ほど回っているのだ。こんな時間に登校する奴はほとんどいるまい。

「……停学開けから遅刻はまじーかな……」

 たっぷり絞られるだろうなぁ……と俺は思いながら重い足取りで歩を進める。生徒指導部の不破悟(ふわ さとる)先生(通称フワちゃん)の説教はおっかない。専門が体育教師とだけあって。拳の一発や二発、簡単に飛んでくる。体罰なんて駄目だ! と叫ぶモンスターペアレンツがいてもよさそうなものだが、そういうクレームはほとんど来ていないらしい。こないだ、理由をきいてみたら、『殴るのはせいぜいお前を含め数人だ』と言っていた。差別反対。ゆとり万歳。皆、平等に行こうぜ、と言ったら、フワちゃんは拳を俺の脳天に炸裂させた挙句、『差別されたくなかったらまず一般生徒と同じ行動をしろ』と言われた。……ま、正論だろうさ。

 俺は坂を上る。

 徐々に周りの家々が減ってきて、緑が増えてきた。ウチの学校は山を無理やり開けて作ったようなもので、学校の周りはほぼ四方八方山と言っていい。

 尤も、俺はその自然と融合した立地は嫌いではないのだがな。……だって、窓の外を見ていても退屈しないだろ?

 と、学校が見え始めた時だった。

 俺の前に、一人の女子生徒がいる。

「……この時間に登校かよ……俺レベルの女子の不良ってそうそういないと思ってたんだが……高一か? それとも転入生か?」

 ちなみに、俺は高二。悲しいことに中三からほとんど背が伸びておらず、一七〇代中盤でストップしている。

 俺の前の女子生徒は、校門の前で、中に入ろうとせずうろうろしていた。

 ―――もしかして不審者か? と思うが、制服を着ている者が不審者なはずがなかろう、と自分で駄目だしする。

「………わかんね」

 難しくことを考えるのは嫌いだ。斜に構えて、気取ったように長ったらしく喋ることは得意なのだが、その内容も、実がない。

「………おい、そこのお前」

 どうするか迷った挙句、とりあえず声をかけてみた。

「……………」

 沈黙。……シカトかよ。

「お前だ、お前」

「…………へ? あたし?」

 俺がもう一度、今度はよりはっきりと声をかけると、その女子生徒はこちらに振り向く。

「……………っ」

 俺の目に映ったのは、

 一人の、美少女。

 背は俺より少し低い。一六〇代に乗っているだろうか、といったところ。髪は黒色で、背中の真ん中まであるくらいの長さだろうが、後頭部近くでまとめてポニーテールにしているため、実際には肩の少し下までしか垂れ下がっていない。

 目は、強い眼光を放っている。なにかやってやろう、と言う強い意志を感じられる。

 ちなみに、胸は中くらい。スタイルはよく、彼氏の一人や二人いそうな風貌だった。

「…………おま……え……?」

 だが、そんな彼女の魅力も今の俺には伝わっていなかった。

「……これ……は?」

 何かが、おかしかった。

 彼女は確かに美しい。でも、今俺が彼女に感じているのは、その類の感情じゃない。

 寧ろ、既視感。

 明らかなデジャビュを、俺は感じていた。

 寒気が、俺の全身を駆け抜ける。

 何か、底知れない漠然とした……これは、なんていえばいいのだろうか? 恐怖? 不安? ……少し違う気がする。俺自身、分からない物が、俺の体を支配していた。

「……ちょっと、どうしたのよ、アンタ。あたしに話しかけといて」

「お前……前に、俺に出会ったことある?」

「は? ナンパ? えらく古典的手段ね。馬鹿じゃないの? こんな時間に登校する不良についていくわけがないじゃない」

「違う、俺はそういう意味で言ったんじゃなくてだな。本当に俺はお前に会ったことがないかと……」

「はいはい。きっと、電車の中ででも会ったことあるんでしょ」

 違う……電車で偶然会ったとか、そういうことじゃない。

 だって、俺はコイツの顔を知らない。見たこともない。

 でも、どこかで、俺はコイツを知っている……?

「………クソっ」

 俺はとりあえずコイツを置いて、校門のなかへと走りだした。

 この場にい続けると、俺はおかしくなってしまう気がしたからだ。

「……杞憂、だったのか……」

 着いたら教室ではもうすでに三時間目の古文の授業が始まっていた。しっかし、古文かよ……もう後三十分ほどサボればよかったかもな……。俺は古文が嫌いだ。日本語は現代語が読めりゃじゅーぶんなんだよ、と俺は思う。況や漢文をや。

 ちなみに、授業の途中から入って恥ずかしくないのか、と思うかもしれないが、俺はまったくそうは思わないね。もう何十回と遅刻していると、慣れてくる。習うより慣れろ、というじゃないか、ほら。……ちっと意味違うか。

「……フワちゃん、やっぱりえげつなかったな……」

 今は四時間目の英語の時間中。さっきの一〇分休みにフワちゃんが来て俺を殴っていきやがった。えげつない威力だった。まだ頭が痛む。

 ちなみに、坂の上で会った彼女のことは、単なる俺の思いすごしだろう、ということで結論づけた。三時間目の授業も終われば、もうあの得体のしれない感覚は消え去っていた。

 だが、そうすると、彼女は誰だったんだろう、という疑問が浮上する。今まで他のクラス―――ちなみに俺はCだ―――にあんな生徒はいなかったはずだ。尤も俺が女子の名前をほとんど知らないという理由もあるだろうが―――あんなに風貌いい女子なら話題くらい上がっても不思議ではないだろう。

「………誰だったんだろうな……」

 あの感覚はなくなったにしても、彼女が誰だったのか、無性に気になる。こう、頭がむずがゆくなるっていうか……あぁ!

『……お前はどう思う、ナギ?』

 埒が明かないので、俺はナギに聞いてみた。

『…………知らん。拙者に聞くな』

『ですよね……』

彼女は不愛想に返す。

 ……………。

 ああ、ナギというのが誰だかわからない、と。まあそうだよな。紹介しておかないといけないな。これは一応俺の一人称形式で書かれてあるのだし、この先ナギはかなりの頻度で登場するはずだからな。

 ナギは、霊なんだ。

 ……………。

 いや、冗談じゃないんスよ?

『お前の説明の仕方が悪いからだろう、惟』

 ちなみにこの声は俺の頭の中に直接響いてきてる。今のナギは実体がなく、この世界に形を見せない、いわゆる『トランス状態』にあるのだ。声のやりとりはできるし、俺の目を通じて外界を見ることはできるそうなんだがな。

『じゃ、ナギ。お前自己紹介やってくれよ、自分で』

『……拙者がか? まあいいだろう。拙者の名は十六夜薙誾千代(いざよいなぎぎんちよ)。こやつ……惟からはナギと呼ばれている。色々あって今は惟に取り憑いている。……以上だ』

『ホント、簡略的だよな。もっとないのかよ、特技は何々ですとか、好きなものは何々でーす、とか』

 とナギに聞いてみる。ちなみに俺はトランス状態のナギに直接聞いているため、声は外に漏れていない。便利なものだ。

『特技は薙刀。好きなものは……甘いものだ。……以上』

『そうっすか。てか霊だから味覚ないよな、お前』

『……気にするな。……ちなみに好きな食べ物はショートケーキだ』

『お前、江戸時代の人間じゃないのかよ……』

 正直なところ、十六夜薙誾千代、ナギがどの時代の人の霊であるかわからない。江戸時代というのは彼女の堅苦しい言葉の使い回しからの推測だ。ショートケーキが好き、と言っているが、それは俺が咀嚼している時の感覚を共有しているから知っているのであって決して彼女自身の好みでは……ってわかんねぇな。要するに、ナギが生前にショートケーキを食ったことがある可能性は低いっつーことだ。

 ちなみに、ナギとは二年前のあの一件以来、俺が自分の感情やなんかを殻に閉じ込めてからあまり話をしていなかった。……最近でこそようやく元の関係性に戻って来た気もするが、果たしてこれは心から信頼し合っているのかは分からない。

だが、ナギは二年前に俺が香恋を亡くした時も、いろいろ慰めてくれた。当時の俺は聞く耳を持たず、ただうるさいと思っていたのだが、今考えると、彼女の功績は大きいのかもしれない。……あのときの俺は、自殺くらいならしかねなかったからな。

 霊も出てきたことだし、この機会に霊の説明でもしようか。

 霊やスピリット、霊魂と言われるものは、古来から世界に伝わる死んだ人の魂のこと。いや、生霊はここでは無視しておく。これからは基本的に霊、と言えば死霊のことを指すと思ってくれ。

 で、その霊。昔は特定の人に取り憑き、人に害を与えるものだと思われてきて、しばしばそれを退治する職業がはやったもんだそうだ。日本でいう巫女。外国でいうエクソシスト。

 だが、近年、霊に取り憑かれる人が増えてきて、それが特別なことじゃないとわかり始めてきた。人間、だれしもが霊に取り憑かれる可能性を持っているということだ。そして、霊に取り付かれた人を霊媒者、スピリット・ミディアム、と言う。俺もその霊媒者の一人だ。

 で、霊の種類は大きく分けて三つ。普通の死霊、神霊、悪霊だ。

 まず、普通の死霊だが、これは、この世に何らかの心残りを持つ死んだ人間の魂が人間に憑依したもののことを言う。霊の内の九割以上がこれに属するとされるとも言われる、最もセオリーな霊だ。

 次に、神霊。これは基本的には普通の死霊と同じなのだが、死霊の中でも、特に徳の高い霊だけが、神霊と呼ばれる。だが、神霊には生前の記憶がないものも多く、本当に死んだ人の霊なのか、もしかしたら本物の神なのじゃないか、と言う色々な憶測があるが、実際の所はわからない。また、神霊は特殊能力を持っている場合も多々ある。ちなみに俺の霊のナギ、十六夜薙誾千代もここに属し、薙刀を使う神霊だ。

 最後に、悪霊だが、これは人に取り憑いたが最後、命まで削りつくす最悪の霊だ。そして何故悪霊が生まれるのか、誰に取り憑くのかなどの多くのことが分からず、自然災厄のようにも扱われている。香恋の霊も、この悪霊だった。

 ところでだが、取り憑いた霊は、基本的にトランス状態と呼ばれる状態で霊媒者に憑依している。意識や感覚を霊媒者と共有し、頭の中で会話できる状態だ。ここから『顕現』を行えば、この世に可視化することができる。まあ、実体はない、皆が想像する幽霊のようなあれだ。

ちなみに、これはよほど信頼し合っている霊と霊媒者同士にしか使えないのだが、『同調顕現』と言う技もあり、これを使えば体を俺の共有したまま顕現することができる。すると、ナギと俺の場合、薙刀を高速で操る俺が誕生するわけだ。

 ………これで、説明はできただろうか。

 あと、そうだな、それじゃ、ここの話をしよう。

 ここは霊媒者育成都市Spirit-0一。その名前から、皮肉で《ゴーストタウン》と呼ばれることが多い。霊に憑依された未成年の霊媒者はここに強制的に移住させられる。確か日本全土で全部で六つほどあったか。ここの目的は二つ。まずは強力な霊媒者の育成。霊はその使い方や能力によっては独自の人にはできない特殊ない力を備えることができる。それを育成するという目的。二つ目は、まだ成ったばかりの幼い霊媒者の力を監視すること。暴走や、濫用を防ぐためだ。

まあ、てなわけでこの街には霊媒者がごろごろいる。ウチの高校にも転入者が絶えないし、おそらく坂の上で出会った彼女も最近霊媒者になったやつだろう。ちなみに、ウチの高校は、正式には《霊媒者育成学園高等部》と言い、同じ敷地に初等部と中等部が隣接してある。年が進むにつれ、霊媒者も多くなるため、学年ごとのクラスの数もどんどん増えていき、今の高二はA組からG組まで、全部で七組ある。

 ウチの高校の最大の特徴といえば、霊媒者育成高校ということもあり、霊に関する授業が週二であることだな。最近のその内容は……

『……寝てたわ、その授業』

 まったくもって受ける気ゼロであった。

『はぁ……まったく、お前と言うやつは』

『すまんすまん。……テストのときは、頼りにしてるぜ』

 コイツから答えをききだせばあるいは……

『駄目だ』

『……頭の固い奴め』

『ズバズバ言うなぁ……』

『だって、お前俺の霊だろ? だから直接殴られることもねぇし……』

『そうか。なら、これからお前の恥ずかしい体験トップ二五を語ろう。あれは惟が中学二年生の秋であったか……』

「わ―――――っ!」

 思わず、頭の中だけでなく現実でも叫んでしまう。

「神楽君、今は授業中ですよ」

 教師からの冷たい目線と声。

「………うわぁ、不良って頭の中どうなってんのかな」

「………急にキレそうで怖いよね」

「………つーか、薬やってんじゃね?」

 周りの生徒からも白い目線が降りかかる。

 こそこそ話してるつもりなのかもしれないが、全部聞こえてるぞ、お前ら。だいたいな、俺は薬はやってねぇし、酒もタバコもやってねぇ。薬やっててタバコ吸ってるだけが不良って思うなよ。

『……何をお前は堂々と不良の説明をしてるんだ』

『う。……も、もとはと言えばお前のせいだろう』

 お前のせいで、俺が薬やってるように疑われるんだ。

『それに、トップ二五ってなんだよ、あの話が二五個も続くのかよ……』

『完全に自業自得だと思うがな』

 あれ、そうだっけ?

 ……あぁ、気をつけねぇとな。ちなみに俺の意識はナギと深く共有してると言っていても、こちらからある程度遮断することはできるらしい。一応プライバシーは守られてはいるということか。

『ま、お前分かりやすいから何考えてるかすぐ分かるけどな』

 余計な御世話だ。

 俺は前の黒板の上の時計を見てみる。現在時刻一二時二〇分。四時間目が終わるのは一二時三五分だから、まだ後一五分もある。

『……ところで、惟。お前、あの説明はしなくていいのか?』 

『あの、説明?』

『霊道について、だ』

 霊道………ね。

『忘れていたわけじゃねぇ』

 ただ……したくなかっただけだ。

『だが、この世界と、霊について説明するのに、霊道の説明は必要不可欠だぞ』

『…………そうか。そうだな』

 気乗りはしない。しないのだが……まあ、しなければならないことのようなので、しておこう。

霊道とは、簡単に言うと霊を使った競技のことだ。剣を使った競技である剣道、弓を使った競技である弓道などと同じ、スポーツである。

 個人戦や、団体戦など、いろいろな形式がある、今や日本を代表するスポーツの一つだ。勿論この学校にも霊道部と言うのがあり、全校生徒の約三分の一がそこに属しているらしい。

 で、霊道には、死霊や神霊と言った霊の種類の別に、霊のクラスが存在する。昇格試験を勝ち抜いた霊媒者だけが、自分の霊につけることのできる称号、『英霊』となるものがあるのだ。

 そして、俺とナギは、もともと名のある霊道の選手だった。小学校五年生にナギが俺にに憑依してから、メキメキと頭角を現し、中学三年生になった春、英霊昇格試験決勝戦で相手を倒し、ナギは英霊に、俺は史上最年少で英霊の霊媒者となった。

 だが、それは奪われた。理由は、その試合のすぐ次の日に、香恋が死んだからだ。その出来事は俺の心に強く影を残し……、学校にもろくに行かないようになった。町ではよく不良に絡まれるようになり、それを本来人に使用してはいけない同調顕現で相手をし、倒していたら、いつの間にかこの街で拙者と惟にかなう者はいなくなった。……はく奪は時間の問題だった。

『…………』

 これは、ナギの沈黙。

 ………。だから、俺は嫌いなんだ、霊道が。

 何故、英霊使いでもあった俺が、彼女が悪霊に取り憑かれていたことに気付けなかったのか。取り去ってやれなかったのか。俺ならできたんじゃないのか、あのときの俺ならば、と何度思ったことか。

 しかし、答えはNOなのだ。いくら英霊使いでも、悪霊に取り憑かれているかどうかなんて、分かりやしない。

 でも……それじゃ俺は満足できなかったんだ。

 だから、俺はもう霊道をしたくなくなった。出来なくなった。それだけだ。

 香恋を亡くした気持ちはだれにも分からない。……いや、分かってほしくない、と言うのが正しいのかもしれないな。ナギでさえも、俺と意識を共有してるとはいえ、すべてわかっているわけではないのだ。だが、あの時、支えになってくれたのは確実にナギなのだ。

『感謝してるよ』

 ……だが、まあ。あの時に、一緒に生きる気力もなくしたのは確かだ。

 自分が何のために生き、何のために学校に行ってるのか、自分は何がしたいのか。

 そういうのが全部、分からなくなったのだ。

『………』

 とか言ってるうちに、チャイムが鳴り、英語教師が出ていった。

 さて、今日の昼飯は何にしようか。

 で、食堂に昼飯を求めていくと、そこに一人、俺の知った顔がいた。

「おーい! 惟じゃないか。久しぶりだな」

 一人の爽やか系男子が笑顔でこちらに駆け寄って来た。賢そうな瞳に、メガネをかけた端正な顔立ち。

 そんなイケメンの名は、須藤寛治(すどう かんじ)。二―A所属でこの学校の生徒会副会長。成績はトップクラスと言う完璧超人だ。だが、俺の中学校以来の友達で、この学校唯一の友人である。さらに別の所では霊道部部員として名をはせていた。

「ハハハッ。惟、お前、新学期早々停学食らってんたんだってなぁ」

「ん、ああ。……始業式の帰りの喧嘩で食らってよ。一週間の停学だってよ」

 少し春休みが伸びたような感覚だな、とつけくわえる。

「また、いつものあれか?」

「………ま、な」

 いつものあれ。つまり町で俺のことを知らない不良に絡まれ、同調顕現によって返り討ちにしたら、あいつら、学校に通報して『やられました』と言いやがる。……もうこれで高校に上がって六回……いや、今回で七回目だ。

「よく一週間で済んだな」

「今回はラッキーだったんだ」

「ところで、惟。お前飯食いに来たんだろ?」

「そうだったそうだった……」

 俺はポケットから財布を出す。

 お、硬貨が二十枚もあったぜ! ………一円玉、一七枚。十円玉、三枚。

「何も買えねぇじゃねぇか!」

 所持金三七円で何ができるってんだよ! 学食にう○い棒は売ってねぇぞ!

「まったく、惟はいつもどこで金使ってんだよ」

「……ゲーセン」

「はぁ。ほどほどにしとけよ。いつか本当に金なくなるぞ、生活費まで。……今日は貸し一な」

「すまん」

 そう言って寛治から一五〇円を受け取る。券売機ですうどんを買い、おばちゃんに渡して交換してもらう。

「さーて、あっちの席開いてるし、あそこ座ろうぜ」

「そうだな」

 寛治の提案を受け、窓側の席へ。この昼休みの始まったばかりの時間帯は、いつも混んでおり、すんなり座れた今日は運のいい方と言えよう。

「………ところで寛治よ。転入生の話とか聞いてねぇか?」

 俺はうどんの上に七味をかけながら寛治に言う。

「転入生、ね……全学年合わしたら一週間に一人のペースで来るから……それは最近の話しかい?」

「ああ、そうだ。もしかしたらまだ入ってねぇかもしれん」

「? ……つまり、近日中に入りそうな人、と言うこと?」

「おう」

「ふむ………」

 寛治は顎に手を当て、少し考えたのち、

「わからん」

 あっさりと告げた。

「おま、ここまで期待させておいてだな………」

「すまん! そういえば副会長は転入者名簿見せてもらえないんだったよ。……なんなら会長の日向(ひゅうが)に見せてもらおうか?」

「いや、いい。少し気になっただけだ」

「ふ~ん。……女か?」

「ま、そんなところだよ……」

 寛治が俺を猜疑心の目で見る。

「惟がそういうことにしておきたいなら、僕はそうしておくよ」

 そんな話をしているうちに、俺達は飯を食い終わり、それぞれの教室へと戻った。

 五時間目の化学、六時間目の数学と二時間連続の理数系科目の怒涛の攻撃にさらされながらも、なんとか今日一日を終えることができた。そういえば俺は理数選択してたんだなぁ、と実感する。世界史とか暗記が苦手、という安直な理由で理数選択したのだが。

 んで、俺は勿論クラブになど入っていないので、まっすぐ帰る。寛治は霊道部と生徒会があるので、大抵の日は一緒に帰ることはできない。だが、今日はたまたま霊道部が休みで、生徒会でもめぼしい仕事がないそうなので、久々に一緒に帰ることができた。

「さぁて……じゃ、惟、久々に駅前にでも行こうか」

「駅前? ゲーセンにでも行くのか? 俺、今金ないんだが……」

「いいっていいって。……見とくだけでも楽しいから」

「おい」

 ……貸してくれるんじゃねぇのかよ、こいつは。

「両親からの仕送り、結構厳しいんだろ? これ以上借金増やすと後で大変だぞ?」

「うるせぇよ。……ま、じゃあ今日は見とくだけにするよ」

 あと、ヒマだし、することもないので、こいつがゲーセンで大損するのを高みから見物するとでもしよう。

 ちなみにだが、俺は高校一年の時から寮に住んでいる。元々、家族全員でこの街に移住していたのだが、香恋の一件があり俺と両親との距離があいてしまった。我が妹、神楽舞(かぐらまい)も家族についていったのだ。この街で友達もできただろうに、申し訳ないことをしたとは思っている。

「……あいつ、今中二か、元気にしてるかな……」

「妹さんか? お前、家族なんだから連絡すりゃいいだろ?」

「連絡ねぇ。いまさらできそこないの兄貴が連絡したってどう思うかな……」

 あいつとは二年前以来まともに話していない……いや、家族全員とか。

「たまには、声聞かせてやれよ」

「……考えておくさ」

 とかいいながら、俺はしないんだろうがな……。

 寛治とそんな会話をしつつ、駅前のゲーセンに顔を出す。

 俺が停学中に、どうやら新台のパチンコが配備されており、寛治がそれを遊んでるのを俺は隣で見ていた。何度がリーチして、当たるものの、すべて単発で終わる。パチンコみたいなもんは必ずやる人が負けるように出来てんだよ。俺が今まで財産一万円をつぎ込んだんだから、それには間違いない。

「……っは~。やっぱりなかなかあたんねぇな」

 寛治の座る前の台の画面の中では、真ん中の数字だけ違う絵柄がピカピカと光っていた。

 んでもって、六時くらいまで駅前で時間をつぶして、自宅通いの寛治と別れ、寮に戻る。学校から歩いて一〇分ほど、駅前からも一〇分くらいの所に寮はあった。高低でいったら、ちょうど学校と駅の間くらいであろうか。築一〇年くらいの、比較的新しい寮だった。

 俺は門をくぐり、共通の玄関へと入る。

「あ、惟、帰って来たわね」

 と俺に声をかけたのは、俺より顔二つ低い童顔の少女―――もとい寮母だった。

 身長一四五センチ。見た目は中学生と言っても不思議ではない。だが、この人の年齢は二〇を過ぎており、立派な寮母さんなのだそうだ。……と言われてもまだ半信半疑の人は多いはず。

 そんな謎の多い寮母、上里汐織(こうざと しおり)さんは、

「……アンタ私の顔見ながらなんか失礼なこと考えてない?」

 と下から俺の顔を覗き込んだ。

「いんや、なんも考えてねーよ」

「そう。あ、それで惟ちゃん。両親から仕送り来てたわよ」

「お、ありがとう…………で、金は?」

 俺は両手を汐織さんにさしだす。

「…………」

 笑みを浮かべる汐織さん。

「汐織さん、もう一度言う。……金は?」

「…………(ニコッ)」

 何をたくらんでやがるんだこのロリ寮母は!

「惟ちゃん……貴方、最近お金どこで使ってるのカナ……?」

「う………せ、生活費だよ生活費」

「ふ~ん。まともに生活費仕送りしてもらって友達に食事代借りるほど切羽詰まるんだ~。へ~」

 寛治……お前………!

「寛治君から聞いたわよ。貴方最近ゲーセンや漫画なんかにお金使いすぎじゃないの?」

「……俺の勝手だろ?」

「いいえ。私は貴方の寮母です」

 見えねぇけどな。

「何かおっしゃいましたか?」

「いえ、なんでもないです」

 さすがに俺より年長者。オーラだけは貫禄があると言っていい。凄いギャップで逆に怖い。それがこの寮の欲求不満男子達を押さえつけられる才能が故か。

「ですから、このお金は私が預かっておきます。……必要な食事代とか生活費は出すから。ま、心配しないで頂戴」

「……ったく余計なことしやがって……」

「あんたのためを思ってやってあげてるのよ? あんた、他の男どもに比べりゃ手はかからないんだけど、ちゃんと生活できてるか心配だからね~」

「すまん、迷惑掛けてたか」

「……別に、いいわよ。それが私の仕事なんだし。……はぁ。なんで男どもはこう手がかかるかね」

 と言って汐織さんは寮母室へ戻って行った。

「……あぁ、俺の大切な交際費が……」

 とかいいながらそのほとんどを一人で使っているのは内緒である。

 てなことが玄関であり、俺はとぼとぼと自室に戻る。

 ちなみにこの寮は男子寮と女子寮にわかれていない。別々に立てる敷地も経費もなかったからであろう。一人に付き一つ部屋があるが、隣が異性と言う生徒も少なくないという。何故だか俺は隣が二つとも空き部屋なのだがな。

 それが理由か、しばしば男どもは女子部屋や女子風呂に突撃しては玉砕している。ただのエロや罰ゲームなどいろいろ理由があるのだろうが、汐織さんが困っている理由は主にそれだろう。男子の性欲を処理しきるのはエロ本やエロDVDだけでは足りないのだ。

 そんなことを考えつつ、俺は自室の扉を開け放つ。

 俺の部屋は簡素なもので、机のほかにはベットが一つあるだけ。友達もこの寮にはいないし、滅多に人が来ることもないので、終始散らかりっぱなしである。

「……ふぅ」

 とりあえず、俺は一日の疲れからか、ベッドに頭から突っ込んだ。お前三時間目の途中からしか行ってねぇじゃねぇか、とか言う突っ込みは置いとき願いたい。

 そうベッドに突っ伏していると、ふと頭に今朝の坂の上の女の子が頭に浮かんだ。

「……いったいなんだっていうんだよ……」

 何故か、頭から消えない。

 これが恋か、恋なのか? とか思うが、断じて違う。何故なら俺は二年前以降恋愛感情という物を誰にも抱いてないからだ。

 失うくらいなら、最初から持たない方がいいのだ、といえば格好いいかもしれないが、実際の所俺はまだ香恋以外を好きになる余力も原動力もないだけなのだ。

「…………」

 彼女の目、言葉、容姿。

 俺は見たことがないはずだった。

 でも、強烈な既視感を覚える。

 今朝あった少女は、どことなく香恋に近かったのだ。

 つーわけで、今日も平穏無事に一日が終了した。何も特別なことはない。停学期間中や長期休暇中でもない通常登校日の間は、いつもこんな感じだ。

 学校が終わったらぶらぶらと駅前やなんかで時間を過ごし、六時から七時の間に寮に戻る。門限の八時を回ることもしばしば。

 二年前のあの事件以来、ずっとこんな生活を続けている。ただ、過ぎていくだけの日々。

 将来の夢もなきゃ、数か月先の目標すらない、怠惰にまみれた人生。

 汗をかいて青春することもない。誰かに恋することもない。そして、何も学ぶことなく、大人になっていく。そういう、人生。

 今考えれば、よく高二に進学できたと思う。寛治が出席日数や赤点対策などをしててくれなかったら確実にヤバかっただろう。中二の時は学年トップクラスで、寛治と競い合っていた成績も、今は地面すれすれで巡航ミサイルのごとく低空飛行している。

 てな感じで、俺の日々は変わらないはずだった。

 幸福感など、すべて二年前のあの日においてきた日常は、変わるはずがないと思っていた。もちろん、幸福な気持ちを取り戻そうとも、思わなかった。その死角があるかさえも、分からなかった。

 でも、人生、変わるときゃ変わるらしい。

 翌日、俺は再びあの少女と会うことになった。


「白百合アイリ(しらゆり あいり)です。ラヴの愛にくさかんむりに利益の利の『愛莉』って書きます」

 その女子は言った。

 昨日、坂で出会った、あいつだ。

 その時の俺の顔は―――まあ、すさまじいものであっただろう。

「今日からよろしくお願いします」

 特技や趣味などは話そうとせず、彼女はその鋭い眼光をクラスメイト達に放ったまま、無粋にその言葉だけを告げた。

 よりによってこのクラスに転入してくるとは……。

久しぶりに時間通り遅刻せずに登校したらこれだ。

 ったく。なんか縁でもあんのかよ。

 ちなみに、まだ既視感を彼女から感じるものの、もう慣れたというか、逃げ出したいほどの衝動にかられることはなかった。

「はい。今日からこの二年C組に来ることになった、白百合アイリさんです。皆、仲良くしてあげましょうねー」

 と、俺のクラスの担任藤森京香(ふじもり きょうか)独身二九歳は言った。

 仲良くしてあげましょうねー、だとよ。ここは幼稚園じゃんぇンだぞ。

「あーっと、席は、彼の横です。あの、……やたらと目付きの悪い彼の」

 おい、お前どんな説明してんだよ。つーか、名前わかるだろ。

「…………」

 アイリは黙って俺の横の席に座った。

「…………」

 あー。面倒くせー。

 アイリは自分のカバンを机の横にかけ、筆箱を取り出す。

 俺はその様子を横目で見ていた。

 つーか、多分クラスメイトの約半数―――男子どもは全員見ていたと思う。

 その位、彼女は美しかったのだ。男子の本能を考えれば、それも仕方のないと思えるほどに。

「………あ、あんた……」

 彼女は今気付きましたというように俺の顔を見て一言。

「お、おう。昨日はあれだ。なんかすまんな、変な声掛けちまって」

「あんた……昨日の変態さんじゃない」

 どうやら、俺はこいつの中では変態のカテゴリに分類されていたらしい。し、失礼な。

 これ以上誤解をこじらせてもよくないので、

「すまん。人違いだったようだ」

 と謝っておく。

「そう」

 すると彼女は簡潔に返事して、黒板の担任の方を向いた。

 取りつく島もない、とはこのことだ。

 なんだって、俺はこいつが香恋に似てると思ってるのだろうか?

 一時間目。現代国語。俺が早々に睡眠学習しようと決め込んでいると、

「………ねぇ」

 アイリが、俺の肩をツンツンとつついてきた。

「なんだ?」

「……まだ、教科書、ないから」

 どうやら、教科書を見せろということらしい。

「……ああ、いいぜ」

 とりあえず、了承しておく。

 あ? お前、教科書なんか真面目に持ってきてんのかよって?

 あたりめーだ。俺はすべての教科書を今出すことができるぜ。……要するに、全教科置き勉してるだけだがな。

「机、よせろ」

 と言うと、アイリは俺の方に机を寄せてきた。

「…………」

 アイリと、肩がつくかというほど―――というと言い過ぎだが、それでもかなり至近距離に身が寄せられる。

 なんだこの状況。小学校以来こんな状況になったのは初めてじゃないか? 俺みたいな不良に教科書見せてもらうくらいだったら皆一時間教科書なしで耐えきる方が得策と考えているらしいので、俺にとってこの状況はかなり新鮮だ。

 どぎまぎはする。彼女のほのかな香りが―――おそらく髪の毛に使っているシャンプーのそれか―――俺の鼻腔をくすぐる。気にならないと言ったら嘘になるし、嬉しいと言えば嬉しい。だが、その感情は男子本来のものであり、恋愛感情ではないと言い切れる。

 というようなことを考えていると、

「……教科書、開けなさいよ」

 というアイリの声。

「ああ。そうだな………」

「……………」

「……………」

 すまん。今、授業って何ページやってるの?

 つーか、この教科書。学年上がって今始めて開けたんですが。ねぇ、誰か教えてくれませんかね。

『……一一五ページ』

『は? 一一五ページ?』

『……さっき、先生が言っていたぞ』

『あ、ありがとう』

『……ったく、授業くらい聞いておけ。たまにはいいこともあるぞ』

 ナギのおかげでどうにか俺は体裁を保つことができたようだ。

「…………」

 ふと、横からの視線を感じ、俺はその方向を見る。

 アイリが、俺を凝視していた。

「……何?」

「いえ……貴方、以前どこかで会ったことがあったっけ……?」

「………???」

 どういうことだ? 俺は逆ナンされているのか? と思うも、すぐにないと自分で否定する。

 おそらくだが……アイリも俺にあのような既視感を感じているのではないだろうか。だから、以前どこかで会ったことがあると感じられるのだろうか。

「…………」

 沈黙の天使が、ふたりの間を駆け抜ける。聞こえるのは現国教師の教科書を読む声だけだ。

「…………」

 俺達はどちらともなく意識を前の現国教師に向けた。

 アイリは先生が黒板にチョークで書いた板書を凝視している。時たま自分のシャープペンシルで自分のノートにその内容をうつす。

 その様子を、俺は横から見ていた。

 端正な顔だち。鼻は高くもなく低くもなく、顔のラインとの調和がとれている。前髪は少し目にかかっており、時々それを払う姿も美しい。

「何? あたしの顔に何かついてる?」

「いや、なんもねーよ」

「……ふ~ん」

 だが、こいつの目は、その奥底に強く真っすぐな熱い意志を感じさせられる。触ったらたちまち火傷しちまいそうな感じだ。

 ちなみにこの時間中、周りの男子からの羨望の視線が痛かったのは言うまでもない。

 この出来事が、俺と白百合アイリのセカンドコンタクトである。

 この時の俺は別に浮かれてもいなく、また警戒してもいなかった。ただ、めんどくせーな、というだけである。だがそれも今日一日授業を共に受けるうちになくなり始め、彼女のことを特別視しなくなるかのように思われた。

 だが、間もなく彼女の《もう一つの一面》を見ることになる。

 まだ、俺とアイリの物語はプロローグでしかなかったのだ。

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