炎の炉②

  ◇ ◇ ◇






 ──全身が強張る。



 炎が消えた。跡形もなく消されてしまった。

 あの“オホロ”でそうだったように。



(……いや……ちげェ……)



 顔を上げられないまま、ただ汗だけが滝のように流れていく。

 動けなかった。動くことを、は許していないから。


 息は吸ってもいいのだろうか。

 遠慮がちに浅く、存在を気付かれないように、呼吸を繰り返す。一つひとつの呼吸の度に戦慄が走る。何ならいっそ死んでしまいたいとすら思った。今、指をかけているピンを引き抜けば、それを成せる。

 だがはそれすら止めてしまえるのだろう。そしてその選択をとった俺を許さないだろう。そもそもだ、俺はに手榴弾から手を離すよう言われてしまった。逆らう選択肢はない。


 何もできない。

 “オホロ”が霞んでしまうほどに、“白い少年”は絶望的な重圧を放っていた。



「う……嘘だろ……なんで、なん……」



(バカ、喋んな!)



 思わず心の中で叫んだが、ジハルドの震え声は止まらない。



「全力だったんだぞ……完璧に操ってた、オレが一番上手く使えた、なのに……、ッ……」



  全力?



 一言、そう繰り返しただけで、尋常でない緊張が走る。

 “白い少年”は首を僅かに傾げて、静かな声で言った。



「ただいたずらに炎を放つことを『全力』と云うのか」

「……ぅ、ヒッ……」

「それくらい生まれたての赤子でも出来る。ああそうか、お前は生まれついてより力を持っていたのではないものな。さしずめというところか」



 おさな。“白い少年”にとって、ジハルドの能力の度合いとはその程度のもの……。


 一歩、白い足が踏み出された。

 ジハルドの浅黒い顔が真っ青になった。



「そう怖がるな。俺はお前に聞きたいことがあるだけだ。危害を加えるつもりなど毛頭ない」

「う、嘘だ……絶対嘘だ、こっちに来んじゃねえ……」

「何だ、俺を化け物扱いか? 解せんな、程度が異なるにせよ、お前も同じ力を持つというのに」



 “白い少年”はあくまでゆっくりとした動作で、ジハルドに歩み寄った。その一足ひと足のたび、声帯から温度の低い音が紡がれるたび、空気とはもっと違うものが揺らいで震えた。


 の関心が俺に向いていなくてよかったと心底思った。意識を向けられただけで全身の水分がどうにかなってしまいそうだ。


 と。

 重圧に晒されたジハルドがとうとう、堪えきれずに行動に出た。かざした手に再び炎が灯され、空いている手にナイフが握られた。



「ヒヒ……ハッハァ! そうさ、ベイザムなんてこの際どうでもいいんだよ、オレの目的はあくまで“白い少年”! お前さえ手元に来てくれりゃあ、オレは更なる力を手に入れられるってわけだ! まさかターゲット自らご登場とはなァ!」

「待てジハルド! よせ!」



 思わず叫んだ俺に、ブルーグレーの目線が投げつけられた。

 それだけで喉がカラカラに渇いた。心臓に冷や水を浴びせられた心地がした。



(……俺ァ……どっちの味方をすりゃいいんだ……?)



 ジハルドは俺が殺さなければならない存在。“白い少年”は俺を庇うようなタイミングで現れたが、果たして本当なのか?

 というより、俺は、“白い少年”を本能的に──敵とみなしたのだ。ジハルドに声をかけたということは。



「ベイ、お前にも後で話があるよ」

「…………」

「その前にジハルドだ。お前はその力についてどう聞いている?」

「ごちゃごちゃうるせえ、いいから黙ってそのチカラ寄越せ!」



 突き出された浅黒い手のひらから炎の柱が、少年めがけて放たれた。


 同時にジハルドが閃光のごとく間合いを詰め、懐に入り込む──



 ジハルドの動きはまさに歴戦の戦士のそれだった。感情的ではあるが、急所を容赦なく突く冷徹さも兼ね備えた、一連の動作。

 だがそれ以上に“白い少年”の動きはシンプルなものだった。片手を揺らすだけで炎柱は消え失せ、白い足で床を蹴って立て続けに襲いくるナイフの軌道を避けた。



「もっと冷静なお前ならだったろうな。少なくとも老齢の師匠よりは格段に精彩を欠く。それと一つ云わせてもらうが」



 汗ひとつかかず、息も切らさず。

 がっくりと膝をついたジハルドに、無情な声が降り注ぐ。



「俺がに望もうとも、誰かに能力を受け渡すことなど出来ぬのだ」



 決着。

 なんと呆気のない。俺が手こずり、道連れしか方法のなかった相手が、こうも、赤子の手をひねるように。


 白い少年は腰のベルトからナイフを引き抜いて振り上げた。反射した白い光にジハルドが身を強張らせる。



 だが、次の瞬間。




「は?」




 鮮血が走った。

 ──白い右手から。



「『記録。とき北歴ほくれき三三四年、八月十七日、夜。ところ、ガラクト地方ガヤラザ州ラザロ郊外、保養施設跡地、地下にて。記録者、ナダ・トヴィエル』」



 事務的にそう告げた後、右手のひらの傷口をザックリ開かせたまま、少年が続けた。



「尋問対象、ジハルドに問う。お前は如何にしてその力を得たのか?」



 ……意味が分からない。

 少年は俺たち二人を置いてけぼりのまま淡々とことを進めようとしているが、事態を飲み込めない俺とジハルドは単純な質問すら理解できなかった。


 尋問、尋問と言ったか? 尋問するなら、なぜ自分の手を? 痛めつける相手を間違っていないか?

 そもそも圧倒的な差を見せつけた相手を、これ以上苦しめる──“苦しめる”が妥当な表現かどうかはさておき、そうする意図も分からない。必要ないはずだ。俺の知る少年はそういうタイプの男ではない。



(はず……だよな?)



 ざわりと毛穴が逆立つ。もしや、以前のように裏人格のようなものが出て来ているのか。

 いや……別れ際を思い出せ、あの時も妙な口調になっていた、今もそうなのかもしれないだろ。


 思考を回したいのに、流れ滴る血に気を取られて上手く考えられない。

 ボタタッ、ボタタタッ、と重みを伴って床に落ちている。貧血にならないんだろうかとおかしな心配をしてしまう。



く答えよ。無為な沈黙は嫌いだ」

「わっ……分かんねえ、オレぁただ……」

「分からんなど通用せんぞ。俺の身柄と力で取引があったのだろう。お前がそう云ったのだ」



 白い手からは止めどなく血が滴り落ちる傍らで、ジハルドの十字傷はもはや原型を留めないほどに恐怖で歪んでいた。

 ポタタッ、ポタッ、ポタッ。



「ホントにわかんねえんだ、オレらはただ『オホロの精霊と同じ力をやる』って言われて……」

「誰に」

「知らねえ! ホントに知らねえんだよ! ここで殺し合って、生き残ったつえェ奴にだけ力をやるって!」



 ピチャン……ポタ……。



「それが十年前の事件の真相というわけか。お前たちを唆したのは、エイモスグループの何某なにがしということで良いか」

「ああ多分……多分そうだ。もういいかよ! これ以上はオレも知らねえ、ホントだ!」



 タッ。



いや。もうひとつ」



 ……ポタリ。



「“ザッケス”という名に、聞き覚えは?」



 ゆっくりと、ジハルドの目が見開かれていった。

 少年は尚も続ける。



「偽名を名乗っておるかもしれんがな。黒髪の男だ。今思えば、東方の血も流れるのかな、肌がやや黄色であったような」

「……博士はかせ……」



 そう口走った後、ジハルドは激しく首を振った。



「言えねえ。博士のことはなんも言えねえ! 言ったらオレが殺される!」

「ジ……バカ、待て!」



 俺の叫びも虚しく、ジハルドは逃げ出した。ここで逃げ出して……“尋問中”の少年が何をするかわかったものではない。

 逃げ切るよう援護すべきか。逃げないよう止めるべきか。


 ……その時、少年が右手を逃げる背に向かって突き出した。

 その手からはもう血が滴ることはなく、少年はグッと拳を握りしめ、



 変だ。

 だってあんな切り方をして、止血もなしに、こんなにすぐ止まるか?



「逃げるなどされては、流石さすがの俺とて哀しいぞ」



 握り拳の指の隙間から、

 蔓が生えた。



「しようのない男だ。口を割らで俺に甚振いたぶられるよりも、博士の方が恐ろしいとは。優しくしておるうちに話せば良いものを」



 その蔓はあっという間に数メートルにまで生長し、白い腕を赤い根が這うように包んだ。

 拳に籠められた力が緩まる。

 逃げる男を蠢く蔓が追いかける。

 脚に絡みつき、男は床に鼻っ柱を打ち付けて呻いた。



「博士は今何処にいる」

「う……ブフッ」

「独り何かをせんとするような強き意志を持つ男ではない。操っている者がいる筈。誰がそそのかしている?」

「…………」

「言え」

「…………オレが知るかよ!」



 炎の柱が立ち昇り、束の間あたりが熱に支配された。すぐに少年が炎を消すも、蔓の先にジハルドの姿はなかった。火を目眩しに逃げたのだ。


 少年は後を追おうとはしなかった。むしろ口元に薄っすらと笑みすら浮かべて、片耳を押さえて呟いた。



「イザベラ。標的逃亡。追跡は頼んだ、こちらは任せろ」

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